▼ ** 今日も、いつも通りの朝が来る。 ダイニングテーブルに二人向かい合って腰掛ければ、貴方はいつも通り味噌汁から口をつけた。 少し熱めな味噌汁が好きな貴方は、口許を熱さでしかめながらも何度かに分けて口に含む。 そしてお椀をテーブルの上に置くと、そっと口を開いた。 「…味噌、変えたか?」 『あ、はい。少しだけお高めの合わせ味噌に変えました』 「…悪くないじゃないか、味も風味もしっかり感じられる。これからはコレを買え」 『わかりました』 朝食を淡々と済ませてしまうと、席を立った貴方は寝間着を解き始める。 窓からの朝陽を浴びながら、似合わぬ欠伸をひとつかませば、ぐっと伸びをした。 上半身だけ裸になった貴方を見て、私も席を立ち傍らに既に用意しておいた今日の仕事着を手に持つ。 横から近づいてシャツ、ズボン、ネクタイ、時計を差し出すと貴方は軽く礼を述べてシャツに腕を通した。 ズボンを履き替え、靴下を履くと貴方はくるりと此方を向く。 時計を手にとって自分の左腕に付けている間に私は白のネクタイを取って貴方の首に巻いた。 毎日繰り返しているこの動作は、もう慣れたものだ。 貴方が目の前の鏡で微調整をして確認が取れたら、私はハンガーに通しておいた素材のいいスーツを手にとって貴方の後ろからそれを着せてあげる。 今日も、綺麗。赤いシャツに白のネクタイ…黒のスーツは彼の代名詞と言ってもよかった。 よし、と一声発すると時計を確認しながら貴方は玄関前までさっさと行ってしまう。 私は鞄を持ちながら、その後を後ろから追いかけた。 「…今日は黒崎様とお食事があるんだ、だから晩飯はいらない」 『わかりました、お気をつけて』 「ああ。じゃあ、いってくる」 そう言って、貴方に微笑みかけると持っていた鞄を手渡した。 貴方は此方を見ながらそれを受け取ってくれる。 ふと、目があった。 貴方は何故か首を傾げて私の顔を覗き込む。 何か顔についてるのかしら。 そうやって問おうとした次の瞬間、ぐらりと重い頭痛と共に、眩暈が私の視界を奪った。 あれ、と頭を抱えるがどんどん息があがるばかりで、どうも治まりそうにない。 「…おい、どうした?顔色悪いぞ、お前」 『い、いえ…ちょっと眩暈が…、あ…』 「おい」 大丈夫です、そう言おうとした矢先、遂に視界がぐるんと一回転して立っていられなくなった私は目の前の貴方に向かって倒れ込んだ。 私の名前を何回か呼ぶ貴方の声が少しずつ遠くなっていく。 落ちてくる瞼の重さに耐えきれず、私はそのまま意識を手放した。 ―――――…… ふと、目が覚めた。 夢を見ていたわけではなかったけれど、瞼がもうそろそろ起きなさい、とでも言ったかのように自然と目が開いた。 身体がなんだか、重い。この重さは多分、熱を出したときに似ている。 そうだ、朝、貴方を送ろうと思ったら突然眩暈がしてそれで…。 きっと熱を出して倒れてしまったのだ。 はぁ、と一息溜め息をつきながら口内から熱を逃がすようにした。 それとは逆に額が、冷たい。何か貼られているようだ。 いつの間にか被っていた布団から手を出し、額に触れると熱さまシートらしいものが丁寧に貼られていた。 そう言えば、何だか背中に暖かみも感じる。 私が振り返ろうと思い、布団をごそごそと弄ったその後ろからだった。 「起きたか」 『わっ』 途端に耳元に声が降ってくる。 聞き慣れたその声は間違いなく貴方の声で、どうやら横になっている私の背中にくっついているようだ。 顔だけちらりと後ろを見ると、赤いシャツを腕捲りしてネクタイを解いた貴方の顔が目に映った。 ああ、心配かけさせてしまったかな。 今日もこれから仕事なのにまた悪い事をしてしまったと、猛省する。 「熱さまシート、何処にしまってあるかわからなくて探すのに苦労した。もう少し分かりやすいところに置いておけ」 『はい、すみません…』 「とりあえず、今日はもう遅い。寝て、明日にでも病院に行くんだな」 『え…?…あ、あの…えっと今何時ですか?』 「夜の7時半だが?」 彼の淡々とした答えに私は思わず振り向いて声をあげた。 『お、お仕事は!?』 「休んだ」 『黒崎様とお食事…』 「今日は無理を言って予定を変えてもらったさ」 『そ、そんな…私は転がしておいてくだされば、一人でも大丈夫だったのに』 「折角看病してやったのに、酷い言い種だな」 貴方は私の身体に触れるとそっと寝返りを打たせて元の方へ身体を向かせた。 少しはだけてしまった布団を再度、私の肩辺りまで持ち上げてくれる。 そんな貴方も何故か、身体をくっつけたままで居てくれて私は不思議に思いながらも大人しくしていた。 しかし長時間彼もきっと私の看病をし続けてくれたのだろう。 このままくっついていれば、風邪を移してしまうかもしれない。 貴方は本当は休めない立場にある人間だから、しょうもない私の風邪なんかで仕事を無駄にしてほしくなかった。 『…もう一人で大丈夫ですよ?』 「そんなに心配しなくても移らない」 『…でも』 貴方は私の髪を後ろから梳くと、ふぅ、と溜め息をついた。 「…いつだったか」 『はい?』 「俺も同じような感じで倒れた事があったな」 『あぁ、何年前でしたっけ…確かあの時は私の家で』 「家族でもないのに、他人の俺を必死こいて看病して…バカみたいだったな、お前」 『一日で治りましたよね』 「お前のお節介看病のお陰でな」 『一言多いですよ、でもそれがどうかしたんですか?』 私がそう尋ねるも、何故か貴方から答えは返ってこない。 けれど、もう長年の慣れなのか。 ふと、思い浮かぶ貴方の心理。 『もしかして、お返し…ですか?』 お礼もろくに口にしない貴方にとって出来る不器用なお礼の返し方。 看病返し。 何を今更そんなことを、もう全然気にしてないのに。 それでも何故か背中から有難う、と聞こえたような気がして私はくすりと笑った。 そんな私を察してか、貴方は対抗するように静かに言葉を返してくる。 「バカ、そんなんじゃない」 嘘つき。 もうバレバレなんですよ? でもそんな貴方の不器用な優しさが嬉しかった。 『聖也さん』 「あ?」 今日、初めての貴方の名を呼ぶ。 『…有難う』 振り向かずにそう言うと、貴方のいつも通りの呆れたような溜め息が後ろから降ってくる。 でも少し勿体ないな、これがお返しって事は今度からはそう簡単に看病してくれないかも。 今のうちに甘えておかないとな、と貴方にバレないように私は心の中で笑った。 「…もういいから寝てろ」 照れてるのかな。 貴方は軽く私の背中を小突くと、突然私を後ろから抱き込むようにして更に身体を密着させた。 そして、前の方へ放り出されている私の左手にそっと自分の左手を重ねてきた。 どうしたんだろう。こんな事してくるなんて。 珍しくて逆にこっちが戸惑ってしまいそうなその行動。 重なった左手をぼーっと見つめていると、カチっという金属がぶつかったような音が聞こえた。 『あ…』 その音の正体に気づくと私はハッと目が覚めるように目を見開いた。 ああ。 『ふふ…』 そっか。 これは、お返しなんかじゃない。 貴方が私の左手に強く、手を重ねるものだから。 私はその『意味』が嬉しくて、思わずくすくすと笑ってしまう。 「……アホタレ」 それを聞いてきっと顔を赤くしているだろう貴方の声は 今日一番に、優しかった 限りなく続くこの愛を 手を重ねる事で カチ、と重なり鈍く光っている 私達の薬指の指輪 明日も、数ヵ月後も、来年も その次の年も また、貴方は同じように伝えてくれますか? ずっとずっと 貴方のその想い、変わりませんように 2015/05/03 6:50 『嶺上開花』綾菜 ---------- "俺にはお前を守る義務がある" 大好きです、あなた。 "旦那、だからな" ---------- 2015/05/03 [拍手お返事はコチラ] |
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