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「え?退学?」
「お前っ本当に…馬鹿だよな!
初めての授業であんなこと言うなんて…しかも、スネイプ教授の授業で!
安心しろよ、僕が父上にお願いしてやるから!父上はスネイプ教授の先輩にあたるそうで今も交友関係にあるんだ、だから_」
「ちょっとドラコ、待ってってば。
私別に退学処分になんてなってないけど…」
「ああ、だから大丈夫だ、流石に当日に叩き出されるってことは……
は?」

校長室のすぐ外でスタンバイしていたドラコに捕まって頭が取れるんじゃあないかと思うくらいに肩を揺すられたのが、5分前のこと。
恐らく彼の“父上”に宛てて書いたであろう書簡をドラコが真っ青な顔でローブの中から取り出したので、なまえはとっさにそれを取り上げた。
ドラコはと言うと、思わぬなまえの返事に目を白黒させている。
一体どこからそんな情報を聞いたんだろうかとなまえが溜息を溢した。魔法薬学の授業が終わってからそんなに時間は経っていないと思うが、好奇心旺盛な生徒たちの噂に尾鰭がつくには充分だったようだ。

「いま、なんて言ったんだ?お前…」
「だからー、私退学になんてなってない、って言ったの」

はああああ?とドラコが廊下中に響き渡るほどの大声で脱力する。
_流石に、授業中に口が滑ったくらいで退学処分にはならないだろう。
いやもしかして、なったりするのか?スネイプ教授って、そんなに気が短い…のか?

「お前がスネイプ教授に連れられて校長室に入って行くからてっきり…先輩が言ってたんだ、普通の生徒が校長室に呼ばれるようなときは、退学処分を受けるときくらいだって。だから…」

なまえはとうとう吹き出した。が、それも無理からぬことで。
あんまりドラコが必死に説明してくれるので、可愛くって仕方がなくなったのである。
愛する我が子の授業参観に訪れた母親のように目を細めながら頭を撫でてくるなまえを見て、ドラコの耳はみるみるうちに真っ赤に染まった。

「お前っ…なにふやけた海藻みたいな顔してるんだよ!
悪いけど父上にお前のこと頼まれてるんだ、是非、会いたいって仰ってるから。だから」
「うんうん、分かった分かったドラコ。
心配してくれたのね?優しいのね、ほんと」
「ちがっ…お前僕の話聞いてなかったのか!この馬鹿!」

遂に頬にまで朱が差してきたドラコはなまえの掌を叩き落としてから、背中を向けてスリザリン寮の方へとダッシュで走り去って行ってしまった。
_阿呆、マヌケ、今日一日口を聞いてやらないからな!_と随分遠くで立ち止まってから捨て台詞を残して行く彼になまえは苦笑いする。
何しろ今日はもう、これから夕食を食べて寝るだけなのだ。絶交にしても短すぎるなぁとなまえが思う。

「それにしても退学、なんて噂が…
あの発言そんなにまずかったかな」

確か、“幾ら何でも陰険すぎる”としか言ってないと思うのだけれど。
いや、これって立派な暴言なのだろうか?

何時迄も校長室の前で突っ立っているわけにもいかないので、彼女は腕を組みつつ歩き出した。あるアイデアを思い浮かべながら向かうは勿論、湿っぽい地下教室である。




「…予想よりも随分と早い御出でですな」
「え?だって、あの鏡を使わなきゃ良いんでしょう?
それに今は出歩いていけない時間でもありませんし」
「我輩にも色々と仕事がある、とは考えないのかね…」
「そのことなんです!」

このホグワーツで、減点魔と呼ばれ恐れられている薬学教授の研究室を意気揚々と訪れる生徒は恐らく彼女だけだろう。
招き入れられた地下室の執務机に身を乗り出している、幾らか頬が赤く染まったなまえにスネイプは混乱しつつも身を引いた。
彼女の原因不明の興奮具合を見てさり気なくインクの瓶を避難させる。

「何が言いたいのか分かりませんな」
「だから、ですね!
私、初めての授業で教授に暴言を吐いたじゃあありませんか?」
「そのような自覚があるのは結構なことだ」
「そうじゃなくて!
罰則、ください!罰則」
「……意味が分からん」

_何を言い出すかと思えば、この娘は。
スネイプが眉間の皺を濃くして溜息をついている間に、なまえは更に身を乗り出して彼に詰め寄っていた。

「教授にあんなことを言ったのに何もお咎めなしなんて怪しまれますよ?
減点されて寮の子達に睨まれるのは嫌なので、罰則がいいです教授…そうしたら合法的にここに来られますし!
ね、良いでしょう?」
「…………」

_そういうことか。確かに、自分は一年生の小娘にあんな生意気なことを言われて黙っているような人間ではない、が。

余りにストレートに言われてスネイプは躊躇った。まるで足繁くここへ通うことを望んでいるかのような_なまえの口振りに、頬に差した朱い色。
心のさざめきを彼女に気付かれることのないように、はっきりと眉間に力を入れて彼が足を組む。

「…そんなにこき使われたいのなら止めはしないが。変わった趣味をお持ちですな」
「なんか誤解されているようですけど、私別にマゾじゃないですからね。時と場合に依ります」
「そんなことは聞いていない、馬鹿者が」

本当にこの娘が記憶をなくしているのかどうか、つくづく疑問だ_とスネイプは胸の内で呟いた。ダンブルドアやなまえが言う“前回の彼女”が自分を慕う理由は分かっていたし、勿論彼女に好かれている自覚もあった。彼女が自分を好ましく思うことに対する、納得に足る理由を彼は知っていた。
しかし、記憶をなくしたはずのなまえが何故自分を慕っているのか、それがスネイプには分からなかった。何と無く、と彼女は言うが、好意の表し方が何と無くなどという次元を越えているのだ。以前とはうって変わって溌剌と好意をぶつけてくるなまえへの接し方を、彼は決め兼ねていた。
不老不死であることを“前回の彼女”がひた隠しにしていたように、このなまえもまた、自分に何か隠しているのではないか_
そんな疑念がぐるぐると渦巻いていく。

「ねえ、どんな罰則にしましょうか、教授?」

なまえが上機嫌に微笑みながら小首を傾げた。
そんな彼女の一抹の悲しみも見受けることができない仕草に、スネイプの心の内に巣食う疑いはまるで霧が晴れるようにゆっくりと散り散りになっていく。

_そう、そうだ。彼女のこんな晴れやかな表情は見たことがなかった、不満気に小さな唇を尖らせる仕草など、一度も。自分が知っている彼女は何をしているときも何処か悲し気で、総てに絶望しているかのような_ああ。
この学校で恐れられている、自分と同じような表情をしていた。自分のようにいつも眉間に皺を作っていたわけではないが、何ものにも希望を見出していないかのような顔を…

この変化こそが、なまえが記憶を失っているという証明に他ならないではないか。それでも…いや、だからこそ、いま目の前ではにかんでいるこの女こそが本当の彼女なのだと言えるのではないか。
彼はそう思い至った。同時に自分が知っている、彼女の余りに悲惨なこれまでの人生を明かすわけにはいかない_彼女が漸く手に入れた魂の平穏を奪うようなことはしたくない、とも。

_いつかきっと彼女は総てを思い出すことになるだろう、しかしそれは今ではない。

一度たりとも暴かれたことのない自分の閉心術で以って、来たる時までなまえの暗澹たる記憶を彼女から隠し通す自信がスネイプにはあった。

「怪しまれない程度、となると…一週間は雑用処理をしにこの部屋まで参上していただくことになりますな」
「心得ました!
あ、えっと、何時に伺えば?」

そう言ってなまえはきょろきょろと時計を探すが、この部屋には置き時計も掛け時計もない。最終的にスネイプに視線を戻したなまえの意図するところに気が付いてスネイプは懐から懐中時計を取り出した。針は17時30分を少しばかり過ぎた所に位置している。

「そうだな、19時にこの部屋へ…消灯時刻前には帰すのでそのつもりで。勿論、夕食を摂ってからに来るように。
今夜はもう良い、夕食のあとは大人しく寮へ」
「明日から一週間、ヒトキュウ、マルマルにこの部屋ですね。
じゃあ教授、一緒に上まで行きましょうか」

相変わらずの上機嫌でなまえが差し出した柔らかそうな掌をスネイプは一瞥したのち片眉を釣り上げた。
まさかとは思うが手に手を取って仲睦まじく廊下を歩けと言うのか、この娘は_と彼はまた一つ、溜息を漏らす。

「…明日から罰則を受ける身で、我輩と仲睦まじく上がって行くつもりかね?
少々頭の具合が心配になりますな」
「あっ…そうね、そうでした、じゃあ顰めっ面で歩きます!」


_過去のこと。今となっては、今のなまえにとっては、過去のことだ。この娘は今しか知らない。
足取り軽く前を歩いて行くなまえを見て、それで良いのだとスネイプは思った。
彼女が晴れやかに生きているうちはそれで良い、と。