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まだ少し肌寒いなんてことはない、暖かい春。
桜の面影もない、これから通うことになる高校の最寄りの駅で、県外出身の俺を迎えに来るという車を待っていたときだった。


そいつと出会った。



「君が琴平 渚くん?」


声を掛けてきた男は、すらりと長い足が映える、黒い服に目隠し。口角を上げてこちらを見下ろしている。
どう見ても不審者。
だが自分の名前を知っているということは、学校関係者なのだろうと思い、警戒心を和らげた。


「はい」

「待たせてごめんね。じゃあ行こうか」

さりげなく俺の荷物を持ち、エスコートされた。
手慣れているようでなんだか肩身が狭い。


助手席に案内された俺は、学校に着くまでの間にこの人が自分の担任の先生であることを知った。



――五条 悟。

名家育ちではない、俺でさえ聞いたことのある名前。
たしか、無下限術式を持っているとかなんとか。

イメージしていた像よりも、幾分話しやすい印象だった。



五条先生はおしゃべりなのか、俺が口下手なのにもかかわらず、初対面で少しも沈黙がない。



信号が赤になり、車が停止したときだった。

五条先生はちらりとこちらを見たと思ったら、俺の着けていたヘッドフォンを外した。


「え、」

「ずっと気になってたけど、これ外さないの?」

五条先生の声がダイレクトに耳に伝わる。
ずく、と体が微かに反応した。

なんだ?


突然のことに反応できずにいると、蒸れるよ、とするりと耳たぶを撫でられる。


触られたところがぴり、と刺激が走った。

変だ。
いつもヘッドフォンを付けていたからか、耳が敏感になっているのかもしれない。



「やめて、ください」

自分でも情けないくらいの声音で抵抗した。



「あ、ごめんねぇ」

おどけたような声と同時にぱっと右耳から手が離れる。

この人、パーソナルスペース狭すぎないか。
初対面でこんな風に接されることが初めてで戸惑う。



はぁ。

やっと解放され、もぞもぞと肩に落とされたヘッドフォンをまた耳に着けようとしたときだった。



「渚、ものすごくかわいい顔してたよ」

「っ、」


耳に響く低音。
またずくん、と体の奥が反応する。
熱がじわじわと広がっていく感覚。

甘美にも聞こえたそれは、耳元で聞くには十分すぎた。



「うち、寮だから気を付けてね」


また運転に集中する先生に、言葉の意図がわからず聞き返すこともできない。


なぜなら俺は、それどころではなかったからだ。



なんで、なんで……。



普段日常会話をするときに反応するはずのない、自分のものが勃ちかけていた。


冷や汗が背中をつたる。
俺はバレないように必死に意識を違うことに向ける。
今日の朝食べたもの、先生を待っている間に見た犬の画像。




最悪だ、最悪。


意味がわからない。こんなこと、起きたことない。


自分の呪力のせいで普段からヘッドフォンを着けていた。もちろん外すこともある。
他人の声なんて何度も近くで聞いたこともある。


なんで、なんでだ。
これじゃまるで、先生の声に反応してるみたいだ。



もしやこれが自分の性癖なのか。
声を聞いただけなのに…?


今この状況を理解するのに苦しい。
理解力が乏しい俺はもう頭がパニック状態にある。


だが、これから大変になるのであろうことは、なんとなくわかった。
それだけでなんだか気分が悪くなってきた。



五条悟、要注意人物だ。



こちらのことを気にしていないのか、またおしゃべりを始めた先生を横目でじろりと睨むと、ぱっとこちらを向いたので全力で顔を背けた。