(御手杵と同田貫正国) 



異形の思念は骸となり、辺りに散らばっていた。御手杵は錆ついた血の腐臭を思い切り吸いこみ、吐き出して汗を拭う。遠くで撤退を叫んだ部隊長の名も曖昧で、槍の柄をぬかるんだ地面に突き立て、がくがくと揺れる膝を叱咤する。ふと手の平に違和感を感じて開けば、金色の輝きを失った刀装が砕けて指の隙間から零れ落ちていった。
何も、覚えてはいなかった。ただ体の自由がほとんどなく、御手杵が唯一認識できたのは、鮮やかな赤を吹き上げて死んだ敵の槍兵の前で胸を押さえた同田貫だけだった。口角を吊り上げ太刀を一振りする剛毅な姿に、御手杵は目を細めてその武器としての魂を羨んだ。

「腹が減っては戦が出来ぬ、ってな」
「……なんだそりゃ」
「うちの大将の口癖だ。食わなきゃまた動けなくなんぞ」
包みを持った同田貫が隣に腰掛けるのを見届け、御手杵は再び手にした握り飯へ目線を落した。そうしてもう一度口をつけて、塩味の米を無理矢理に飲み込むと、あまりの不快感に眉根を寄せてしまう。御手杵は厚樫山で目覚めて以来、人間のように腹は空けども時々食事の方法が分からなくなることを、誰にも打ち明けられずにいる。
「それだけじゃ飽きねぇか」
「ん?ああ、別に…足りてるし」
「嘘つけ。お前の分も貰ってきたから、ほらよ」
「いいって!あっほら箸もないし」
「これ使えばいいだろ」
同田貫は包みの中から重箱を取り出し、銀の食器を御手杵に押し付ける。食に関心がないせいか、生来の不器用か箸使いの悪い御手杵のために審神者が用意したものだ。
「刺すのは得意、なんだろ」
「ぅ……なんだっけ、これ…えっと、ふ、ふお…」
「フォーク」
「ああ、うん。それそれ」
渋々受け取った御手杵は、三又の先端をそっと指でなぞる。その間に拡げられた豪勢な品々を前にしても、腹は鳴かなかった。一方で同田貫は両手を合わせてから箸を器用に使い、肉を食う。御手杵にはまだ豚も牛も鶏もわからないが、美味いと頬を張る姿には興味をそそられ、同じ茶色い塊にフォークを刺した。
「あんま、こういうことは言いたくねぇが……あいつに、主にあんま心配かけんじゃねぇぞ」
「うーん…かけてるつもりはないんだけどなぁ」
ぼんやりと審神者の顔を思い出し、頭を掻く。へし切長谷部ほどの忠誠心を見せなくとも、同田貫はあえて"主人"を強調する。実戦刀である自分を誇るからこそ、戦場を与える審神者を信頼出来ているのだ。他の刀剣男子でさえもそれぞれの理由で選択し、戦っている。御手杵にはわからない感覚だ。
「難しいよな、人間は」
「そうだな」
同じ時代を無用の長物として眠った男は、感傷や同情らしきものを見せない。考えれば考えるほど、味覚や嗅覚が鈍っていく。もう一度戦える幸福と人型の気味悪さを天秤にかければ、どちらに傾くのかを誰にも問えない御手杵は、同田貫の顔の傷を見つめるだけだった。

結局、重箱の中身はほとんど同田貫が平らげた。御手杵に比べて小柄な体つきをしているが、勝つために食うという理念に似合う食いっぷりに思わず苦笑する。
「さぁて…昼寝でもすっか」
「え、もう寝るのか」
「人間の三大欲求ってやつ?」
「ふぅん…食う、寝る、……もう一つってなんだ?」
「俺が知るかよ。他の奴に聞いてくれ」
同田貫はそう言うと、ごろりと横になってすぐに目を閉じる。御手杵はそれに倣い眠ってしまおうかとも思い、頭の中にちらついた光景に動きを止めた。記憶が再生される夢は嫌いだ。二度と目覚めないことはないのに、体が強張る。汗が滲んで、呼吸が乱れかける。
「どうかしたのか」
「………いや、なんでもない」
途端、ざあっと風が吹き抜けて葉桜が揺れ、未練がましい小さな花弁を散らす。それでどうにか自身を取り戻し、御手杵は緩く頭を振った。そうしてせめて何かを話そうと視線を彷徨わせて、白い斑点をつくった同田貫の胸元に気付いた。
「ここ、もう大丈夫なのか?」
「はあ?」
「怪我してたんじゃなかったか」
そっと手を伸ばして花弁を退けたが、想像していたような傷跡は見つからない。指で裸のそこに触れてみても違和感は感じられなかった。あの時は、確かに胸を押さえた同田貫を見ていた。痛んだわけではないのなら、どうしてかと御手杵は問う。
「あー…っと、心臓がうるさすぎて、そうでもしねぇと帰れなくなるからっつーか……わかんだろ」
面倒くさそうに言われ、御手杵は自分の胸に片手をあてる。心臓は生物にとって最も重要な臓器だ。それだけは知っていた。ただ、右手で触れている同田貫のように鼓動しない自分の中に存在しているとは、思いもしなかった。
「なあ、ちょっと俺のこと触ってくれないか」
「……やだよ」
「いいから手貸せって」
御手杵は不可解な焦燥にかられて同田貫の手をとり、胸に押しつけた。すると同田貫の表情が一瞬緊張し、溜息が零れた。曖昧に困ったような色を浮かばせた顔に意味を聞くことは恐ろしく、軽率な行動を呪う。
「これってさ、たぶん、変なことだよな」
「だから俺に聞くなって」
「えっと、なんかごめんな?」
「謝る意味がわかんねぇよ」
けれど、握った手を解けそうにない御手杵に対し、同田貫も振りほどこうとはしない。呆れた声は聞いたが、勝手に共通点を見出していたことを責められた気はしなかった。
「…ちょっとだけ、このままでもいいか」
「勝手にしてろよ。俺は寝る」
「あんたって、結構優しいところあるよな」
「うるせぇ話かけんな」
照れているのかと茶化そうとも思ったが、御手杵は素直に一言詫びてようやく隣に寝そべることが出来た。とくんとくんと心地いい心音は、懐かしい。戦国の世で愛されたあの頃を初めて鮮やかに思い出す。武器として人に振るわれる喜びは、今でも御手杵の胸の中にあった。

頭蓋の中をなにかが駆け巡り思考が乱れた瞬間、言い知れぬ不快感を覚えていた。重い体が勝手に立ち上がり自らを三名槍だと言う男の名前は御手杵であり、それは他でもない自分だった。長い時をかけて付喪神として意思を持ち、再び戦うために人の形をして二本の足で地上に立つ。
御手杵は、その意味を少しだけ理解出来た気がした。



150409
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