(ペイルライダー×アマゾンスピリット)
砂を踏みながらペイルライダーはアマゾンスピリットのことばかりを考えていた。つい先程、飯富調教師の指示で手前変えの練習中に倒れ、早くあがった彼は今頃馬房の中で不貞腐れているだろうか。誰よりも負けず嫌いの馬だ、スタミナ勝ちしている相手と年下牝馬の前で見せた失態と思えば、悔しい不完全燃焼の気持ちを抱えているに違いない。そもそも普段から苛ついた様子で、すっきりと気の休まる時間があるのかも疑問だった。
「どうした、ペイルライダー」
「ああいや……アマゾンのことを少し考えていた」
鞍上で「ああ、大丈夫かね」とのんびりした声がする。ペイルライダーは立ち止まり、ダートの砂をざりざりと蹴った。この頂点にアマゾンスピリットがいる。そうして今は世界を見ている。彼の父が偉大な挑戦者だったように、やはりその血を受け継いでいるのは誰の目にも明らかだ。小さいと思った3歳馬の尻が他馬との競い傷つけられ筋肉をつけ、王者の魂を宿らせ大きくなる過程をよく知っていた。
「気になるのならラスト一周流したら会ってくるといい」
「下手に声をかけて唾を吐かれないといいな」
「まさかそこまで子供じゃないだろう、年上らしく激励してやるんだな」
「オレなんかの言葉じゃ重みが足りんさ」
「だからいいんだろう」
ぽんぽんと体を叩く手のひらにペイルライダーはゆっくりと走りだす。会ってなんと声をかければいいのだろう。こんな時彼の主戦騎手であればなんと言うだろう。放っておくべきなのだろうが、ペイルライダーはアマゾンスピリットのことを考えるのを止められなかった。
すっかり陽も落ちて、体も洗い終わるとペイルライダーはアマゾンスピリットの元へ向かった。教えられた馬房を覗き、奥で蹲った黒い馬体を見つけてすぐに声をかけ、無視される。眠っているのかとも思ったが、アマゾンともう一度呼んでようやく苛立たしげに尻尾が振られた。振り向かれることもなく低い声が返される。
「何の用だ」
「様子を見にきたんだ、脚はどうだ」
「大袈裟なんだよ。どいつもこいつも」
アマゾンスピリットはブルルッと鼻を鳴らしただけで再び頭を下げてしまう。気難しく、滅多に人とも馬とも馴れ合うことはないことは百も承知だ。それに付き合う根気を誰もが持ち合わせているわけではない。それでも、ペイルライダーは暫く言葉を探しながらその背中を眺めていた。
「……いつまで見てる気だ」
「顔くらい出してくれてもいいだろう、オレは先輩だぞ」
「オレに勝ったこともねえくせに先輩面か」
「さっきのアレは俺の経験勝ちだ」
「そんな事を言いに来たのか、わざわざご苦労なことだな」
「どうしてそう素直じゃないかね、お前は」
薄く馬鹿にしたように笑った影がのそりと起き上がる。ペイルライダーはその不機嫌丸出しの顔に釘付けになった。トレードマークの白いメンコとパシファイアーのない素顔を見たのは初めてだ。しかし、それはアマゾンスピリットにとっても同じことであり、ペイルライダーの素顔をじっと睨むように見てくる。
「これで満足か」
顔を出した青鹿毛の牡馬。ペイルライダーは彼にとって禁句である父サトミアマゾンに酷似している点よりも、普段隠れている険しい表情に幼さが滲んでいるのが気になった。子供が拗ねているような、決してかわいいとは言い難い性格も憎めなくなってしまいそうなそれをじっと見つめる。そうして決して口には出せない想いが生まれていく感覚に微かに戸惑うペイルライダーに、アマゾンスピリットは怪訝そうに首を傾けた。
「……さっさと自分の馬房に帰ったらどうだ。あんたも現役の競走馬ならわかるだろ、オレも疲れてるんでね」
「そう、だな……悪かった」
長居をするつもりはなかったと付けたし、ふと視線がぶつかる。スナイパーの異名をとるに相応しい、正しく射抜くような鋭い瞳にペイルライダーは体の向きを変えた。剥き出しの感情を目の当たりにしてどうにも居心地が悪い。ただ、嫌われていないということを知れただけでも不思議と嬉しいというのが、一つの事実だった。
「ペイルライダー」
「ん?」
「明日も頼む、お疲れさん」
「ああ、こちらこそ。お疲れ。しっかり休んでくれ」
「……悪かった、ありがとうよ」
ぼそっと呟かれた音の意味を理解するのに、ほんの数秒要してペイルライダーは心拍数があがるのを感じた。アマゾンスピリットが再びばさりと大きく尻尾を振って、奥へと消える。まるで照れ隠しだ。そう思うと疲労もとんで走り出したくなる。
「じゃあ、また」
最後に「おやすみ」と声を投げ掛けたが、アマゾンスピリットが応えることはなかった。
代わりに、その後羞恥から壁を蹴り飛ばしたことを聞きつけ、翌日負けず嫌いに磨きがかかったように挑む姿を奇妙にも愛しいと感じたのだった。
140814
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