どうしよう、止められない。
 いや、止めたら死んでしまいそうだから、止められない。
 いくら食べ物を口に運んでも、満足できない。
 腹が心が、満たされない。

 その異常な音に驚き、老翁は少年の元へと向かった。
「おい……ディジェ」
 部屋を覗くと、おびただしい数の皿の破片が床に散乱していた。
 これ自体は決して珍しいことではない。
 異常なのは、少年が皿の上の料理を口に掻き込むその速さだった。
 ひたすら素手で料理を口に入れては、床に皿を放り投げ次の皿へと手を伸ばす。それを尋常ではない速さで絶え間なく繰り返していた。
 素手で料理を食べることも、皿を床に放り投げることも日常的に行われていることだ。
 だが、この異常なまでの食いっぷりは何なのだろう。
 ただでさえ食べる量の多い少年が、いつも以上に多くの料理を掻き込んでいる。
 少年は部屋を覗く老翁に気がついていないのか、老翁の方を見ることもしない。
「おい、ディジェ……!」
 老翁が声を張り上げる。
 その声でようやく老翁の存在に気がついたのか、ディジェは手を止めた。
「ディ、ジェ」
 こちらを向く少年の姿に驚き、老翁は絶句してしまった。
 思い切り見開かれた目は血走り、少年は苦しそうに肩で息をしていた。食べた料理の粕を口に周りに付着させ、その口の端からは涎が垂れている。
 その変わり果てた姿はまるで獣のようだと、老翁は今さらながらに思った。
「ダル……ローズ」
 少年は老翁の名前を呼んだ。
「い、一体どうした。お前らしくもない」
 ダルローズはなんとか動揺を抑え、少年に問う。
 このように心底動揺したのは、老翁にとって生まれて初めてのことかもしれない。らしくないのは自分なのかそれとも少年なのか、一瞬分からなくなる。
「お腹、空いてるんだよ。食べなきゃ」
 そう言ってディジェは、再び料理を口に入れ皿を放る。
 陶器の砕ける音が響いた。
「お、お腹……空いた」
「ディジェ……」
 料理を口に運んでは何枚も何枚も、皿を投げる。
「食べても……食べても、ダメ、なんだ」
 大き目の肉を手に取り、思い切り齧りついては引き裂く。
 それは生物が食事をしているようにはとても見えなかった。
 貪る、という言葉では表現しきれない。
 自分はとてもおぞましいものを見ている、老翁はそう思わずにいられなかった。
 卓上の皿を全て床に放り終えると、ディジェは椅子から立ち上がった。椅子が倒れ、大きな音が響く。
 そしておぼつかない足取りで、少年は老翁の元へと歩いていった。
「ダル……ローズ」
 それは助けを求める声なのか、それとも――。
 ダルローズは身動き一つせず、その場に立ち尽くしていた。
 どうするべきか量りかねていたということもある。だが、それだけではない。少なからずダルローズはこの少年に、『恐怖』というものを感じていたのだ。初めて。
 少年が老翁の目の前に辿り着くと、脱力したようにがっくりと膝をつきそして、老翁の服を握り締めた。
「たす、けて……ダルローズ。身体がおかし、いんだ」
 ディジェは何度か咳き込むと、さらに強くダルローズの服を握り締める。
「食べ、ても。食、べても……ぜんぜん、満足いかない」
 ダルローズは身体を硬直させながら、少年の言う事を必死に聞いていた。
「それ…なのに、手が動くんだ……いくら食べたって、満足できないって、知ってる……はずなのに」
 再び何度か咳き込むと、今度は嗚咽交じりにディジェは言葉を発した。
「くるしい……たす、けて…ダル、ローズ」
 ディジェは、目から流れ出た雫を何滴か床に落とすとそのまま倒れこんだ。ダルローズはその強張った身体でなんとか少年を受け止め、尻餅をつく。
 恐る恐る少年の顔を覗き込むと、いつもと変わらない寝顔がそこにはあった。
 それに安堵し、深く溜息をつく。
「一体、どうしたというのだ」
 目じりに溜まった涙を指でそっと拭ってやる。
「だいぶ間隔が短くなってきているな」
 そう言ってダルローズはディジェをなんとか抱え上げ、少年の部屋へと向かった。

 ディジェは本来、人間を食らう生物。
 人間の食事ではなかなか満足できないと知っている。だから定期的に、与えてはいた。その間隔が、少年の成長に反比例しているのかどんどん短くなってきているのだ。
 しかし、今日のような状態になったことは今までになかった。
 それが些か、ダルローズの不安を煽る。
 部屋に着くと、老翁は少年を寝台の上にそっと下ろした。
「ダル、ローズ……」
 夢でも見ているのか、ディジェは老翁の名前を呟く。
 ダルローズはディジェに毛布をかけてやると、少年の部屋を後にした。

 ――何か手を打たなければならない。
 廊下を歩きながら、老翁は真剣に考えていた。
 また今日のような事が起これば、今度は自分の命が無いかもしれない。あのまま首筋にでも飛びついて自分を殺すことなど、少年には他愛のないことだろう。

 あの娘。

 ディジェが興味深げに見つめていた、あの娘。あの娘を与えれば少しはおとなしくなるか?
 しかし。

 ダルローズは歩みを止め、広大な雲海を見下ろすと再び歩き出した。
 まぁ、それはディジェが目覚めてから考えるとするか。
 老翁は少年が散々荒らした食堂へと戻り、皿の片付けを始めるのだった。




confusion


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -