失ったものを数えるのには、もう飽きた――健人はがくりとその場で膝をついた。菜穂子は慌てて駆け寄って必死にその体を抱き締める。
「健人、しっかり……お願いよしっかりして!私を置いていかないでよ」
 菜穂子は健人の首筋に顔を押し付け、泣きながらいやいやと頭を振って懇願する。だが、菜穂子が何と叫ぼうとどれだけ必死に願おうと、健人の心は決まっていた。
 それを覆すことは、例え神であろうとできはしないだろう。
「ごめんな、菜穂子俺はもう失いたくないから……」

 先日買った小説を読んでいたタカラベは不意に本をテーブルの上へ放り投げた。嫌な予感がする……と思いながら側で賞金稼ぎにクロスワードをやっていたサクラバがタカラベの方へ顔を向けてみる。
 どうしたのか訊きたくないけど、訊かなかったら訊かなかったらでもっと機嫌悪くなるだろうし。
 はぁ、と溜め息を心の中で一つついてサクラバを口を開いた。
「ま、またどうしたんですか、タカラベさん」
 少し笑顔がぎこちなくなった気もしたが気にしないことにしておく。
「どうもこうも無いわ、サクちゃん」
 呆れるような溜め息をついてタカラベは机に放った本に目をやり、ぶつぶつと言い始めた。
「買った本がつまらないっていうのは確かにムカつくけど、まぁ当たり外れがあるものだから仕方ないわ。ただ同じつまらないでも、種類があるじゃない。……そうなのよ、同じつまらないでも種類があるものなのよ、サクちゃん分かる!?」
「は、はぁ」
 自分の発言に大いに頷きながらヒートアップしていくタカラベにサクラバは気圧され、持っていたペンを思わず落としてしまった。
「大切な何かを失うのはそりゃ誰だって辛いわよ、自分ではどうにもできないことだって何だかんだで世の中にはあるし。でもだからって死ぬことないわ!!」
 詳しいことはよく分からないが、とにかくタカラベが読んでいた本の登場人物の誰かが死んだのだろう、とサクラバはそう理解した。
「大切な人がいるのに……その人を失うのが怖くて死んじゃうだなんて、自分勝手すぎる」
 だって、それって。
タカラベは思いっきり大声で叫んだ。
「大切な人に自分と同じ思いを、大切な何かを失う苦しみを与えてるってことなのよ。最悪だわ。そんなの怖れて命を投げ出すより、大切な人とできる限り一緒にいた方がいいに決まってるじゃないの!」
 サクちゃんもそう思うでしょ!? とタカラベはテーブルを叩き、サクラバに同意を求める。普段からは考えられない鋭い目付きで顔を見つめられるサクラバは口を半開きにしつつ何とか言葉を発しようとして唇を震わせていた。
「まったく、どうしてこんな自己中男の話がどうして売れるのかしら。信じられない」
「あの、ええと」
 ようやく口が動いてきたサクラバはおずおずと言葉を発する。
「珍しいですね、タカラベさんがそんなに怒るなんて」
 ここまで激しく感情を顕にすることはめったにないように思う。どういった感情を持とうとも、激しいという言葉で表すような感情の出し方をタカラベはしないタイプのだ。
「あらそう?」
 言われた本人は意外だったようだ。
 先程までの怒りはすっかり収まったようで、いつも通りの雰囲気に戻っていた。
「うーん。ま、サクちゃんはそんな男になっちゃだめよってことよ」
「あれ? そういう結論でいいんですか」
「いいのいいの。もう蒸し返したくないし。そうだ、コンビにでも行っておやつ買ってこよ。もうすぐ皆帰ってくるだろうし!」
 ばっと勢いよく立ち上がるとてきぱきと出かける準備を済ませ、タカラベは靴を履いていた。
「ぐずぐずしてると、私の独断と偏見でおやつ買っちゃうぞー」
「そんなぁ! ま、待ってくださいよ」

 面倒臭がりで嫌なことはすぐ他人に任せようとしたり、色々と自分勝手で困った人……そんな職場の先輩にも過去に色々とあったのだろうかと頭の隅でぼんやりと思いながら、サクラバはサンダルに足を突っ込んだ。

「時間切れー! サクちゃんの今日のおやつはゆで卵でーす」
「わざわざ買うんですか!?」






『う』
失うことを怖れていました



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -