こういう時が一番辛いのかもしれない。
 二階堂(にかいどう)は、普段考えないようにしていたことをつい考えてしまった。
 ほんのついさっきまで死神との契約を実行に移そうと自棄になっていた少女は座り込んで静かに泣いている。その姿が二階堂の心を揺さぶった。
 思えば自分は――実にお節介で、その上無責任なことをしている。
 人は自由だ。だがその自由は、時に狭く時に広大といったような不確かで実は不鮮明なものである。これはもちろん個人の考え方、価値観によるものだから一概に自由とは何かとは言えないとつまりそういうことであるが、その個人の自由に、二階堂は本人の許可もなくずかずかと踏み込み最終的にはその自由のあり方さえも変えてしまう、そういった行為をしているのだ。
 生死の自由。より的確にいうのであれば――死の自由。二階堂が介入する個人の自由とはそういったものだ。
 座り込んで泣き続ける少女も、その死の自由に介入された一人。
 
 こうして二階堂によって死を阻まれたものが必ず幸せになれる補償など、もちろんどこにもない。生きることは死ぬことよりも幸せなことなのか。死を望む人間と死神との契約を悉く破棄させてきた二階堂でさえ、そうだと断言はできなかった。
 あの時死ななくてよかった、生きててよかったと、将来笑ってくれる者がいれば一人でもいてくれればそれは幸い。二階堂も喜べる。だがそれ以外は?
 あの時死んでいれば――。
 そう思う者がいないとは限らないのだ。
 しかし、それでも二階堂は止めようとは思わない。
 幸せな未来の保証はしてやれない。況してや責任など――取れやしないけれども。

 二階堂が泣いている少女に近づこうと一歩踏み出したその時だった。
「でも、よかったの……かも」
 少女が、涙声でぼそりと言った。
 二階堂は一歩踏み出したその体勢のまま彼女の言葉に耳を傾ける。
「逃げる、ところを、間違っちゃった。そもそも逃げちゃいけなかったのよね……」
 世の中には、いろんなことがあるね。楽しいことだけでもないし。
 でもきっと――。
 生まれたその時から、既に死神との契約書を持っていた親友の言葉がふと二階堂の頭に過る。
「同じ幸せなら、死んでじゃなくて、生きて幸せになりたい。私でも」
 ――でもきっと、逃げちゃいけないんだ。

「ありがとう」
 ようやく涙を拭った少女は、ぎこちなくではあるが二階堂に向かって笑ってみせた。
「そういえば、名前もまだちゃんと訊いてなかった……私って失礼ね」
 二階堂は親友の言葉を心中で反芻した後、ようやく歩き出した。彼女に手を伸ばし、少女を立たせてやる。
「こちらこそ名前も名乗らないで失礼しました。俺は二階堂弌(はじめ)と申します」
「二階堂弌さん。ごめんなさい、ありがとう……」
 ありがとう。
 少女は再び涙を溢しながら、二階堂の手をぎゅっと握り精一杯感謝の気持ちを表した。
 いや、こちらこそ。と二階堂は言いそうになったが、口には出さなかった。

 二階堂は人を励ますのが、慰めるのが苦手だった。気の利いた言葉をかけることはできないし、その場で発せられるべき最上の言葉も分からない。
 だから、行動で示そうと思った。
 あんなに泣いていた少女の顔にも笑顔が浮かんだ。これから出会うであろう人に、いや過去に出会った人にも、いつか彼女のように笑える日がくればいいと、親友の笑顔を思い出しながら二階堂はらしくもなく願ってみたりした。




『な』
涙雨よ、明けて輝く虹になれ



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