こうなることは初めから分かっていた。だが――止められなかったのだ、と男は言い訳をするように心中で呟いた。何とか口からその言葉が出ないように踏ん張るので精一杯だった。

 寝台に横になる女、男が愛したそのヒトはいつもとは異なり僅かだが顔に不安を浮かべながら寝息を立てている。そんな彼女の頭を男はそっと撫でた。
 こうやって。こうやって彼女の髪を撫でることは、二度とできなるのだということを無理矢理にでも意識しようとした。たとえそれが自分を苦しめるだけであっても、そう思わなければいけないような気がしたのだ。最後の想いを込めて、これが最後なのだと。後悔することがないよう、笑顔で彼女を見送ることができるよう――起こさないように、彼女の頬に触れた。
 彼女は人の形はしていても人間ではなかった。世に漂う霊魂を見守る者なのだという。その者は人間界において、己の持つ力を最大限に発揮する為に、男のような霊感の強い人間と契約を結び、任務を遂行する。
 お互い協力はしてもそれは、所謂持ちつ持たれつの関係にすぎなかった。それを恋愛感情を持ってしまうなど――もちろん今までにも無いわけではなかったが、想いを遂げることのできた者達は極少数だった。法を越えること以上に、普通の人には見えない相手と暮らしていくのは難しいことだったのだ。俗世との関わりを切る、そこまでしなければ安穏な生活を手に入れることはできなかった。
 この男女も極少数の者達に加わることなく、愛しい者との一時を惜しまなければならなかった。

 男は女の肌の感触をできるだけ記憶に留めようと、必死に頬を撫で口付けを落としながら、ふと思った。
 ――何故、私達は離れようとしているのだろう、と。
 目の前に立ち塞がる障害があるのならば、取り除くなり乗り越えるなりすればいいだけの話だ。それでも、別れる道を選んだのは何故だったか。
「平蔵……様?」
 女は頬に置かれている男の手に自分の手を重ね男の名を呼んだ。悲しげな声だった。
「すまない、起こしてしまった、な」
 初めから分かっていたのだ、ずっと一緒になどいられない。いつか離れる時が来るのだと。
 ……だから何だというのだ。それがどうした。
「これは詭弁だ。惨めな言い訳に、過ぎないが」
 平蔵は起き上がった女を抱きしめると、首筋に顔をうずめ絞り出すような声で言う。
 この恋を貫くことで得られる幸せもあるだろう。だが――別れることで得られる幸せもあるのだ、きっと。
 私との幸せではない、幸せ。あぁ、それでも構わないと思えてしまうから。
 自分には甲斐性がないのだ。
「――どうか、しあわせに」
 平蔵はっとして顔を上げ、女の顔を見た。男が言わんとしていた言葉を、女が先に口にしたからだ。
「莉晏(りあん)?」
「どうか、倖せになってくださいまし。どうかどうか……」
 最後に莉晏は男の名を呼んだが、嗚咽が漏れてしまいしっかり呼ぶことができなかった。縋るように莉晏が平蔵に抱きつくと、平蔵も力いっぱい莉晏のことを抱きしめた。
 これで本当に最後なのだ。
 頭の片隅で、覇気の無い自分の声が聞こえたような気がした。 

 当たり前のように別れてしまう私達は、愛も貫けぬ軟弱者と呼ばれるのだろうか。
 しあわせの形が一つではないことを知っているからこそ、いや信じていたくて最愛の人と離れることを選んだ私達は。
 だが、そう呼ばれても構わない。
「彼が」
「彼女が」
 倖せになってくれれば、それでいい。




『ね』
願わくは君に、億千億万の、倖せを



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