ずるり、と何かが足元で動いた気がして、すぐに目を遣るがその姿は確認できなかった。
 そして今度は腕、次は首筋と体のあちこちで何かの存在を感じるが、それが何なのかは分からない。
「何なんだ一体」
 その、何かが体を這い回る感覚が不快で、惣兵衛(そうべえ)は顔を歪めた。

 男の心は真っ暗、いや、真っ黒といった方が正しいのだろうか。
 とりあえず黒一色で、しかしそこにいる惣兵衛自身の姿はしっかりと目で見ることができる。
 俺が光ってる……ってことは、ないだろうからな。
 そう心の中で呟いて惣兵衛は辺りを見回す。
 そこは確かに黒一色なのだがその黒の中に、たまに白い、切れ目のようなものが現れる。
 どうやらその黒は動いているようだった。
 怪しい動きで、生き物のように蠢いている。
「何かが充満、しているのか?」


「おいおい大丈夫かよ、こいつ」
 惣兵衛の隣で、惣兵衛と同じく目を閉じて横たわるその男は、まるで悪夢でも見ているかのようにうなされている。
 その様子を見て、圜(えん)が思わず声を上げた。
「確かにいつもとは違うな……だからって無理やり起こしたりするなよ。それこそ危ない」
 男の様子に少々驚きながらも、吟(ぎん)は冷静に答えた。
「大丈夫かなぁ、惣兵衛さん」


 男は薄々、自分の中で何かが生まれていることに気がついていた。
 それが何かは分からないが、何かが、何かが蠢いている。
 正体の分からないそれは、日に日に増えていった。とても無視などできない程に。
 気持ちが悪かった。
 だがどうにかしようにも、どうしていいのかが分からない。
 ただ、それに占められていく、乗っ取られていく感覚に狼狽え、怯え、焦り……ずっと家に籠っていたが、たまたま食料を調達しに出ざるを得なくなり出かけたのが、今日のこと。
 そして、惣兵衛という少年に出会った。

 ――こ、これは何なんだ。
 怒り? 憎しみ? 悲しみ?
 泉のように湧いてくるこれは、いったい……。

 何かが、男の中で蠢いている。




『る』
坩堝の如く、混沌とした未知の感情



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