こいつの何が俺は嫌いなんだ、と孜堂(しどう)は自分が殴った為に縁側で倒れ込む男の姿をまじまじと見ながら考えていた。

 何が嫌いなのか。

 それが自分の中ではっきりする前に手が先に動いてしまっていた。とにかく、腹立たしかったのだ。この男が。
 殴られた男、瓔堂(ようどう)は孜堂と師を同じくする者だった。二人とも同時期に弟子入りした為、兄弟子だとか弟弟子だとかそのような意識はお互いになかったが、好敵手や友人という意識もこの二人にはなかった。
 ただの同門。
 鍛錬の相手として、いて損はない。その程度だった。

 だから、好き嫌いでさえ気にしていなくとも不思議ではなかったのだ。
 だが孜堂は、瓔堂の顔を見ると無性に腹がたつ――つまりは嫌いだった。
 この男の顔は幼い頃から見ているというのに、今頃になってそう思うようになった。そう、あの戦いが終わってから。
「今日はまた……一体何で俺は殴られたんです?」
 瓔堂は殴られた左頬をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
 いきなり殴られたというのに、怒らず理由を訊いてくるところが嫌いなのかもしれない。
「相変わらず加減てものを知らないんですね、孜堂は」
 避けようと思えば避けられるものを、避けようとしないところもまた、嫌いなのかもしれない。
 馬鹿にしているのではないから、それが余計に腹がたつ。
「お前の間抜け面が今頃になって目障りに思えたんだよ」
 孜堂は自らを嘲笑うかのように、笑い声を漏らした。
「本当ですよ。なぜ今頃」
 瓔堂も自分に対する同門の理不尽な行いには慣れているのか、相変わらず怒りもせずに孜堂につられるように笑ったのだった。
「……おい」
 だからよ。
「はい?」
 だから。
「何ですか、孜堂」
 ――そんな顔をするんじゃ、ねぇ!
 孜堂の中で何かが弾け、そして思わず、瓔堂の胸倉を掴み上げた。
「何でそんな顔をしていやがる。それが戦場で名を馳せた燿堂(ようどう)様のする顔か? 戦が終わった途端腑抜けになりやがって」
 師も何故、くにゃくにゃになってしまったこの弟子に何も言わないのだろう。
 叱咤するどころか、憐れむような眼差しを向けていた。
 胸倉を掴み上げたまま、孜堂は何度か瓔堂を揺さぶる。
「虫も殺せねぇみたいな顔をするな。俺よりも誰よりも、殺していやがったくせに」
 あの歳で、この上ない戦士としての名誉を手に入れ、褒美を手に入れ、例えそれらに興味がなかったのだとしても、奴にとって国の為に王の為に働くことは喜びだったはずだ。
 強かった、燿堂。
 だがその燿堂は今や、前線を離れているどころか、名を変え、間抜け面をしてくにゃくにゃしながら生きている。
 まるで自分には関係ない、とでもいうように。
「次会った時」
 孜堂はそう呟くように言って手を解き、瓔堂を解放した。そしてこの場を立ち去ろうと、瓔堂に背を向ける。
「次会った時、またそんな顔でいてみろ。その時は、殺しちまうかもしれないぜ」
 そして振り返りもせずに、孜堂は歩いていってしまった。瓔堂は左頬をさすりながら、孜堂の背中を見ている。
 そうやって、ただ突っ立って見ていることしかできなかった。
「そんな顔でいてみろ……か」

 痛みは、なかなか消えてくれない。
 今も、昔も。






『へ』
平穏を望む大罪



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