「なんだ、まだここにいたいのか」
 男が話しかけても子供は相変わらず口をきかなかった。
 かれこれこの子供は四刻も木の下でずっと蹲っている。何がしたいのかなど男には毛頭分からないが、なんとなく気になって一刻毎に様子を見に来ていた。
「お前は死ぬまでそこにいるつもりか?」
 今度は少し茶化すように男は言ってみた。だが、やはり反応は無い。
 子供は何かに怒っている――もしかしたらふて腐れているのかもしれない――のか不機嫌そうな顔をして僅かに何処かを睨んでいるようだ。少なくとも男には見えた。

 一刻毎に子供に男が話しかけ、しかし子供には反応がない……そんな状態がしばらく続き、ついには夜になってしまった。さすがにいつまでもこうしてはおれまいと、男は子供がどんな反応をしようとあるいはどんなに反応が無かろうと家に連れて帰るつもりで、再び木の下を訪れた。
「おい」
 子供は顔を伏せていた。だが寝息は聞こえない。
「預けられた以上、お前を放っておくわけにいかん。帰るぞ」
 相変わらず何も言わない、動きを見せない子供に痺れを切らし男はぐいと子供の腕を掴んだ。
「おい、帰る……!?」
 腕を引っ張った途端見えた子供の顔に男は驚いた。声こそ上げていないが、子供は――目から鼻から大量の水を溢れさせ、泣いていたからだ。
「おい、お前」
「……うるせぇ、くそ野郎」
 酷い鼻声で子供がその時ようやく言葉を発した。
「俺に帰るとこなんか無ぇよ……師匠のいないとこに帰ったって、しょうが無ぇだろ!」
 振り絞るように言って、子供は男の腕を振り払った。
 やんちゃで生意気でしかないガキ。そうとしか思っていなかった子供が、家を失くした、師を失くした悲しみで自分の前で涙を流している。泣くにしても強がりなこの子供のことだ、人前で泣くようなことはないと男は思っていたが。
 思わず、男は微笑んだ。
「確かに俺の家では不満があるやもしれんが」
 子供は涙や鼻水を拭うこともせず、垂れ流しながら男を見上げた。
「俺の元で修行をしろ、というのもお前の師が遺した言葉の一つだ……故人の望みを叶えてやってくれないか?」
 男が故人と言ったその瞬間、それは本当に一瞬のことだったのだが男の顔に寂しさのようなものが表れた気がした。子供はそんな男の顔を見て、既に泣いているというのに思わずもらい泣きをしそうになった。
 この男も、師がいなくなったことを悲しんでいるのだ。
 そのことが分かると、男に対する自分の感情が自然と和らいでいくのを子供は感じた。
 そして、悲しみを一瞬だけ見せたその男はゆっくりと腰を屈め顔の位置を子供と同じくしたのだった。
「お前はいつか歩き出さねばならん。だが今はまだその時ではない――泣いてかまわんぞ。存分にな」
 そして続けて、俺も泣くかなと言った。男はそれをもちろん冗談のつもりで言ったのだろうが子供はもう耐えきれなかった。男の言葉が沁みて、ついに嗚咽が漏れ始めたのだ。
「し、ししょ……う……し、師匠」
 滴を絶え間なくこぼしながら声を上げ、子供は心の底から体の底から泣いた。わんわん泣いた。
 男は子供の背中を慰めるようにとんとんと叩いてやっていた。その調子に、何となく自分も救われているような気がして男は心中で苦笑いをせざるを得なかった。
 自分もなかなか弱いのだ、と。
 澄んだ空に月が浮かび、二人を青白い光で包んでいた。







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