「そりゃお前、宇宙じゃティラミスなんざ食えねえからなあ」
「つまり静雄先輩がいかなる民間人をも差し置き、既に宇宙体験を経験済みということでしょうか?事実ならば驚愕に値します」
「まさか、そんなんじゃねえよ。でも宇宙ってのは無重力なんだからよ、こんなん全部飛んでっちまうってことぐらいはわかりきってるだろ?まあそれも綺麗かもしんねーけどな、ぴかぴかして」
彼はあたかも見たような知ったような口調でそう言って、ちゃちな金粉もどきのデコレーションをフォークの先でつっつく。喫茶店の奥の方で、旧式の箱型テレビからけたたましい議論の声が聞こえてくる。番組名は『宇宙生活のススメ』(人類史上、宇宙生活など未だ嘗て実現されていない時点でススメもへったくれもない。)
「食うか?」
「慎重にお断りします。私の満腹中枢が悲鳴を上げます」
「悲鳴ってそりゃあ…よくねえな」
皿の縁を彩る木苺のソース。私の隣で彼は深刻な顔つきをして二度頷き、ゆっくりとティラミスにフォークを突き刺した。忙しなく近くのテーブル席を片付ける背の低い六十代過ぎの主人が此方を見て、目が合った私に人の良い笑顔を向け、ぐっと親指を立てる。この喫茶店にはテーブル席の他に、入口から人目を憚るようにしたカップル席があって、あろうことか彼は迷うことなくそこに座り、このソファふっかふかだろ、と自慢気に言ったのを、店の主人は知らない。二人の勘違いを知っているのは私だけだ。
「…理由は不明瞭ですが、誤解を訂正する必要性を感じません」
「ん、何の話だよ?…あー、やっぱここのが一番美味え」
彼の大きな一口では、きっと三口程度にも満たない小さな小さなティラミスを、彼が私にも食べさせようとしてくれた。私はこの店のティラミスの味を知らないけれど、それでも信じられないくらいの幸福感に包まれている。活字の並ぶ本の山なんかじゃなくって。