「波江、さっきから何してるの?夏休みの自由研究?それとも日曜大工?」
「馬鹿ね。バジルを植えてるのよ」
屈んで背中を丸める彼女はどうにも見慣れずに、俺も一緒になってしゃがみ込む。ベランダには新品のスコップやじょうろ、植木鉢に肥料土、それから小さくも青々しい苗が無造作に広げられていた。いつだって俺を馬鹿にすることを忘れないその有能な秘書が、ご丁寧に聞き慣れない三文字の片仮名を強調する。
「バジル」
「そう、あなたが好きなバジル」
「俺ってそんな葉っぱ好きな設定だったっけ?」
「あなたの好物のジェノベーゼはバジルソースがないとできないのよ、臨也」
わざわざ名前を呼んでくれるのは嬉しいが、しかしそこからはおよそ独り言に近かった。
「それにいい香り付けになるわ。肉料理にパスタ、ピザなんかのイタリアンには最適。ある程度育ったら年中収穫できるし」
イタリアンが好きなのは彼女だって同じだ。茄子とトマトのラザニア、カリカリに焼いたベーコンのカルボナーラ、オリーブの実とモッツァレラチーズのピザ。彼女の料理は味もさることながら、家庭離れしたメニューばかりだった。まるで高級レストランに外食に来たような。それが悪いとは言わない、俺は作ってもらう側として美味しいものが好きだし、ただ何となくそんなメニューが机に並んだ次の日は、おでんや鍋や、そう言った庶民的で一緒につつけるものをねだった。
「やたら詳しいね」
「調べたもの」
「俺のために?」
「…そうね、あなたのため以外ないわね」
彼女は軍手を嵌めた手を止めて、真顔のままに俺の方を向いた。植え替えを終えたバジルの苗は、全身に水を浴びてきらきらと光っている。もう少し恥じらうとか躊躇うとか、あればいいのに。しかし到底期待できそうにないと心得ている俺は、ただ笑って続きを口にした。
「急にこいつが可愛く見えて来たよ」
「それは結構。水遣りにもせいが出るでしょう」
「…俺が?」
「私は忙しいから、あなたと違って」
そんな伊達眼鏡したって無駄よ、俺につられたのか珍しく彼女は笑みを零すと、たらいを持って再びキッチンの方に消えて行く。俺は何度か瞬きをして、ワンテンポ遅れてから、伊達じゃないんだけどなあ、とだけ呟くに留まった。