口内射撃と十字架
ちがったものを食べる。それが当たり前だった。何の違和感もなく俺はバールで買ったパニーノを、彼女は手製のラザニアを、しかし向かい合わせに頬張る。クイーンサイズのベッドにはどちらかが眠り、もう片方はリビングのソファや、鹿の毛皮でできたカーペットにクッションを敷き詰めて眠る。朝起きて彼女が読み終えた新聞に目を通す。一言も交わさずにそれぞれ仕事へ行き、そのくせディナーは二人がそろうまでどちらかが待ったし、どちらかが帰りを急いだ。ちぐはぐでそれでいて完璧に整合性の取れた生活をひたすらにだらだらと。

「遅かったな」

がちゃりと鍵の開く音がしてキッチンから顔を出すと、彼女がヒールを脱いで上がってくるのが見える。スーツ姿には珍しくおろしたままの髪が後ろの方でほつれている。俺の言葉に彼女は一瞬此方を見遣り、しかし何も言わずベッドルームへ赴く。何か蔑んだような憂いを帯びた表情が後を引いて、皿を洗っていた泡だらけの両手を拭き、ノックもなしにベッドルームのドアを開けた。

「…おい、」

思いがけず電気も点けない部屋に青白い素肌がぼんやりと目に焼き付く。糊の効いたパンツスーツをさっさと脱ぎ捨て、下着だけになった彼女のその四肢はあまりにも頼りない。くだらないジョークに腹を抱えて笑ったり、ほんの些細なことで癇癪を起こす彼女とは思えない女独特の滲み出るような、そして俺の毛嫌いする脆弱なにおいが、確かにそこに噎せ返っている。

「どうした」

彼女は黙っている。否そもそも答える気などないらしく、目も合わせないで下着姿のままにベッドに潜り込むと、此方に背を向けた。ブラジャーの紐の間から肩甲骨がげっそりと浮き出ていて、無意識に眉間を寄せる。俺を散々問い詰めては肉のやわらかい女がすきだと言わせ、ならばと好んで俺をからかうようにチョコレートを摂取していたはずの体躯。しかし決して触れる隙を与えようとはしない、それ。

「飯、食わねえのか」

ふるふると肩が小刻みに揺れていて、伸ばしかけた手は触れる間もなく宙ぶらりんとなる。

「明日」

抑揚の殺された声、怪しむほどに穏やかな物言い。ほつれた髪を掬い上げることも、あらわになった背中に毛布をかけ直してやることも、幾分憚れたのは俺が単に戸惑いを隠せなかったからだった。

「何だよ」
「ここ、出て行くわ」

焦りから続きを促した俺に、彼女は少し声を張ってそう言った。出て行く。それは初めから解っていたことだ。

「…そう、か」
「えぇ」

ならばこの終末感にどう言い訳をする。物分かりのいい大人が二人、子供のように足掻いて得るものは何だと言うのだろう。

「もう、好きなときに好きなことをしていいのよ」

語尾が上ずっていることに気付かないふりをできるほど俺は優しくないとして、しかしこのまま彼女を奪ってしまうほど俺は彼女を―――嗚呼、知らないとはどの口が言うか。こうして短い日常は崩れ落ちてゆく。彼女の放った唐突な事実が静かに終わりを告げる。伸ばしかけた手が彼女の肌に触れるまで、あと幾つ。



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