「お前、初盆だろ」
総悟は何も言わなかった。一秒二秒と時間だけが進む。その沈黙に耐え兼ねて、俺は焦るように続けた。
「いいのかよ、帰らなくて」
「武州ですかィ」
「あぁ」
それはいまだ俺の中で埃一つ被ることなく、大切にしまわれた思い出だった。今の自分にはあまりにも眩しく、無条件に優しい場所だ。総悟が前を向いたまま、抑揚乏しく答えた。
「土方さんには関係ねェでしょう」
「…そうだな」
「そうでさァ」
今あの家はどうしているのだとか、ちゃんと花は供えたのかとか、墓石は綺麗に清めたのかとか、言いたいことは山ほどあった。ただ、関係ないと言われればそれまでで、そのくせそうやって俺を突き放した当の本人が、何か諦めたような表情でいるのを、俺は何も出来ないまま、ハンドルを回した。
「今日は暇だったろう」
「いつもこうだといいんだがな」
「はは、残念ながら明日明後日にはまた騒がしい街に戻るさ。二人とも着替えてさっさと寝ろよ。書類は明日朝一で構わんから」
屯所に戻ると、シャツ一枚の軽装で机に向かっていたらしい近藤さんが出迎えてくれた。他の隊士は寝静まっているようだ。失礼しやす、ろくに近藤さんの顔も見ようとしないまま総悟が片手を上げて、そそくさと脇をすり抜ける。
「あぁ…おい、総悟」
しかしそれを近藤さんが呼び止めた。振り返った総悟の顔は、ひどくやつれている。気付かなかった。今日一日ずっと隣に座っていたはずなのに、俺は気付かなかった。あるいはヤツがその気配を微塵も感じさせなかった。近藤さんにしか見せない、総悟の素顔だ。
「ミツバ殿の墓には寄ったか」
「いいえ」
近藤さんが深い息を吐くのがわかる。
「野郎連れ立って行くなんざ考えたこともありやせんよ、近藤さん。行くなら俺一人で行きやす」
俺の方に目線を遣って、
「それじゃ」
今度こそひらひらと手を振って背中を向けた。歩き出す。まだ餓鬼のくせにじじいみたいな猫背で、片手はポケットに突っ込んで、もう片方の手がぶらぶらと行き場をなくしたみたいに所在無い。角を曲がって、姿が見えなくなる。ぎし、ぎし、古い廊下の軋む音だけが、規則的に小さくなっていく。
「…トシ」
「わーってるよ。近藤さんも早めに切り上げねえと明日もたねえぜ」
「あぁ、おやすみ」
何か言いたげな近藤さんに、同じように手を上げて答える。近藤さんはただそれだけ言って、机の上の書類に向き直った。その優しさが有り難かった。廊下に出て暫く歩いていると、角を曲がったところでやはり猫背の背中が見えた。少し早足になる。
「ついて来ないでくだせェ」
「悪ィな、知らなかったか?あいにく俺の部屋もこっちだ」
「…飽き飽きすらァ」
「お互い様だろ」
ただ今夜は星が綺麗で、生意気で子供で素直じゃない弟を窘める彼女の声が今にも聞こえてくるようで、それだけで俺は泣けそうだ。