「一発ぶん殴ってやればそのカノジョも目覚ますアル」
「…自分の女ひっ捕まえてんなことする男がどこにいるってんでィ」
二人きり、のらりくらりと下町まで遊びに出掛けて、そのくせ何をすることもなくかぶき町に帰って行く。出会いがしら毎日のように決闘に縺れ込んだあの頃は、もう遠い昔のことだ。きっかけなんて大したものではないが、いつものように嬉々として剣を抜いた俺を、彼女がワンピースのポケットに手を突っ込んだまま、素知らぬ顔で遣り過ごしたからだと、俺はそう思っている。そしてこれは完全な邪推であり、なおかつ下世話な話にはなるのだが、きっとその日、彼女は初潮を迎えたのだ。薄っぺらくて丸っこいその肩に、小さなポシェットなんか提げて。それからは町中で顔を合わせればどうでもいいような話に半時間もかけたり、わざわざ待ち合わせて会いもした。旦那たちじゃ絶対に連れて行かないような、路地裏の汚い店でとびきり美味いものを食ったり、色々。土方の野郎にしろ万事屋の旦那や眼鏡にしろ、意外にも俺と彼女の遊びに余計な詮索をすることはなかった。それはとても好都合で、しかし奴らが期待するような間柄でもなかったのは言うまでもない。
「てめえ相手ならまだしもなァ」
「この私に一発で済んだら上等アル」
そのうち近藤さんのツテで俺は何件かの見合いに駆り出され、あっという間にお付き合いとやらを申し込まれ、俺がもだもだしてるうちにいつの間にか交際が始まっていた。これがそこらのメス豚程度ならいざ知らず、大変な器量良しで気も利くときている。総悟さん、総悟さんとついて回られて、悪い気はしない。しかし案の定、いち早く噂を聞き付けたらしい旦那の、露骨な態度には参る羽目になった。(土方さんは自業自得と言う。)それから一途な交際相手に、俺と彼女の遊びについて散々迫られることにもなった。昨日の言い合いの理由も同じようなものである。
「いっつもケンカばっかりして楽しいアルか」
「何でィ、今度はてめえまで俺に喧嘩売るつもりかィ」
「だって私たちほんとのケンカなんかしたことないネ」
まさか自分が喧嘩の原因とは露知らず、お気楽なご身分この上ない。寒さに鼻の頭を赤くして、それが彼女の意思とは反対に、いかに彼女を子供染みて見せていることか。交際相手より頭一つ分高い身体はすらっと伸びて、いつも持ち歩く傘の他に、ポシェットより一回り大きな鞄を抱えている。その中にはたくさんの細々として、どうでもいいような物ばかりが詰め込まれているのだ。目薬、ティッシュ、彼女には無縁に思える胃薬に下痢止め、姐さんから貰ったらしいが使ったことのないリップ。それに落として割れたままの手鏡とか。
「彼女とはほんとのケンカなんでしょ。別れればいいのに、無理してお付き合いなんかして、おかしいアル」
「てめえの言う通りでさァ」
「さっさと謝って仲直りして来いヨ」
「…この話の流れじゃ別れて来いってのが普通じゃねェの」
「別れたいって言う度胸もないくせによく言うアル」
彼女が俺に抱える、複雑で幼稚で筆舌しがたいその感情を、俺はあまり知りたいと思わない。身勝手極まりないが、きっと俺は彼女を好いているのだ、気付かない内に、自分でも驚くほど。
「それに私も早く帰らなきゃ。銀ちゃんがあんまり総一郎くんと遊んでやるなって。お前、なんか銀ちゃんの気に障ることしたアルか」
「そんなんじゃねェよ。…けどまあ、旦那がそう言うんじゃ仕方ねえなァ」
「そんなもんか」
「…そんなもんでィ」
きっと旦那には俺のことも彼女のことも筒抜けにわかっちまうんだろうと思う。その上で、彼女の口から俺を諌めるあたり、敵わない。彼女が小学六年のガキで俺が中学三年のガキだとしたら、旦那なんか一端に社会に出てるような大の大人だ。彼女はわかったようなわからなかったような表情で、しかし物分かりよく二、三度頷いた。そして重そうな鞄を肩に掛け直してから、俺に手を振った。何か言えばいいのに、彼女は黙ったままだった。俺が彼女に背を向けて歩き去る情けないその姿を、彼女はずっと見つめてる。