半年ほど付き合っていた彼女にふられた。
高校生活も二年目になり、七月に差し掛かった頃だ。
ふられた理由は、実のところ、よく分からない。
俺は出来る限り、彼女に合わせてきたつもりだった。
彼女と話を合わせて、したいと言ったこととか、行きたいと言った場所だって断らなかったし、誕生日には、デー
ト中に買って欲しいとねだられたペンダントをプレゼントした。
何が悪かったのか分からないが、別れて欲しいと言われたので、じゃあ、そうしようと返せば、そういう所が嫌だ
と吐き捨てられて、彼女は切り揃ったボブの髪をなびかせ去っていった。
全く女っていうのは、よくわからない。
それまでの半年間は、彼女の要望で、二人一緒に昼食を取っていた。
彼女と飯を食う理由がなくなったのなら、誰か友人と一緒に食えばいい訳だが、その日はなんだか一人で昼飯を食いたくて、校庭の隅にある体育館の裏庭を覗いてみることにした。
生徒の大半は校舎内か屋上で飯を食う事が多く、この裏庭を使っているという話を聞いた事はない。
それもその筈。まず、そこは体育館の裏という場所のせいで日当たりが悪く、年中ジメジメとしているし、何より、その壁には不気味な絵が描かれているのだ。
それは、極彩色に塗られた壁に描かれている魔法使いの老人の絵。真っ白い髪と真っ白い髭は両方とも長く、頭には如何にも魔法使らしい三角帽を被っている。
ファンタジー映画とかRPGゲームによく出て来る、そういうビジュアルなのだが、どうにもそんな絵を前にして、飯が美味くなるとは思えない。そういう絵だった。
飯は美味く食えないかもしれない。でも、きっと、あそこなら一人になれる。そう思った。
照明の落とされた薄暗い渡り廊下を越えて、開けた視界。
そこには見事なまでの真っ青な空が広がり、眩しさに瞳を細めた。
そこから体育館沿いの細い脇道を抜ければ、木と草が疎らに生えた日当たりの悪い裏庭だ。
「……食満、くん?」
「……善法寺」
誰もいないと思っていたそこだったが、俺の目には先客の姿が映った。
体育館の舞台裏に繋がる裏口の階段。そこに腰掛け、彼は一人ぼっちで膝の上に弁当箱を広げていた。
考えてみれば、そいつの名前を口に出したのは初めてだった。しかし、そんな事よりも、そいつが俺の名前を呼んだ事に驚いた。
善法寺は二年になってから同じクラスになったやつで、いつも一人でいる。
浮いた存在というか、地味な存在というか。
苛めにあっているという話も聞いた事はないので、単に友達がいないのだろう。
そんな奴だったから、一度だって話した事の無い俺の名前を知っているとは思わなかった。
「……」
互いに名前を呼び合ったものの、気不味く沈黙してしまう。
「昼ご飯?」
「ああ、まぁ」
先に沈黙を破ったのは善法寺だった。
「ごめんね」
「何で謝るんだよ?」
「僕が、先に居たから……」
その時、実の所、俺はここを立ち去って別の場所を探すかどうか考えていたのだが、善法寺の言葉にそれもし辛く
なって、彼の座るコンクリートの階段にゆっくりと歩み寄った。
「別にいいだろう?ここはお前のものでも、俺のものでもない」
「そうだけど」
「そこ、座っても平気?」
階段の空いたスペースを顎で差して問えば、善法寺は慌てたように頷いた。
座るのに丁度良さそうな階段はもう一つあったし、他にも腰を下ろせそうな場所はあった。しかし、彼を避けるよ
うにして違う場所に腰を下ろすのも、なんだか、気不味い。
そうして、そこに座ったはいいものの、特に会話が始まる事もなく―――
無言の空気のまま、俺は手にしていたコンビニの袋から、ガサガサと音を立てて総菜パンを取り出すと口に頬張る。
その時には、既に口を開くタイミングが見付からなくなっていた。
「…………」
善法寺の方をチラッと見れば、奴も黙々と弁当を口に運んでいて、その弁当の中身は見るからに手作りです、といった家庭的な色をしている。一見地味なそれだが、今、俺が頬張っている惣菜パンよりも何倍も美味そうだった。
「あっ!」
善法寺の弁当を横目に見ながら、脇に置いていたペットボトルを取ろうとして手が滑った。一瞬の間にボトルはコンクリートの階段の上を転がって、キャップを空けたままにしていた為、見る間に中身は地面に広がり、そこの色を暗く濡らす。
「あーあ……」
「だ、大丈夫?」
拾い上げたペットボトルの中に残っていたのは、あと一口か二口分の液体。これだけの水分で、この季節の昼飯を乗り切るのは、確実にきつい。
「仕方ない、新しく買ってくる」
「あの!」
俺が校内の自販機まで行く覚悟をした時。
善法寺の呼び掛けに振り返ると、そこでは彼が銀色の水筒をこちらに差し出していた。
「お茶、いる?」
僕、いつも飲みきれないんだよね、と付け足される。
なぜか、善法寺は少し脅えたような堅い表情をしていた。
どうして、そんな顔をしているのかはわからないが、なんだか断ってはいけない様に感じ、俺はペットボトルに残っていた最後の一口を飲み干した。
「サンキュ……」
差し出した空のペットボトルに細く注がれていく麦茶。
口に含んでみると、いつも飲む自分の家のものとは少し違う味がした。








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