※5年生の団きり。


授業が終わった放課後の教室。
静まり返ったそこで、机の上に広げた用紙の空欄に一つの回答も書き込めないまま、きり丸はただ一人、ぼんやりと窓枠の開け放たれた障子の向こうに見える夕焼け空を見ていた。
カラスの鳴き声と、校庭からの下級生が放つ賑やかな騒ぎ声。
きり丸には、そのどちらも遠くに聞こえた。
「きり丸!!」
ふと自分に語り掛ける声に驚いて、そちらを向くと既にその姿は目前で、すぐそこに団蔵がいた。
「団蔵!?」
団蔵はきり丸の向かいに腰を下ろすと、机の上の紙を覗き見る。
「進路調査表?」
「そう。」
あーあ、ときり丸は頭の後ろで腕を組んで、大きな溜め息を吐いた。
三日前に配布されたそれには、空欄が三つ。
これから決める就職先ではなく、どの職業を選択するかという大まかな物だ。
学園にいるからといって、皆が皆、忍の道を選ぶわけではないし、忍にだって、雇用形態には様々な差違がある。
だから、こうして、調査を取り、残り一年で、それに必要な能力を、さらに強化する訓練が個々に行われたり、斡旋する就職先に話を付けたりとするのだ。
「まだ決めかねてんの?きり丸、今からスカウト、沢山受けてるのに?」
「スカウトも、どれも条件がな…。安い金で働きたくないし、高い金でも、…死にたくないなって」
今更になって、育ててくれた恩師の“銭と命のどちらが大事だ?”という言葉がよく理解出来るようになった。
高い金でも、簡単に死んでしまったら、血の繋がりもない自分を、ここまで根気良く教育してくれた彼に申し訳が立たない。
きり丸の希望は、高い給金で死なない程度の忍業、である。
スカウトで掛かる声が多いからこそ、高望みをしてしまう。
“死なない程度”なんて、戦が日に日に増えだしたこの時代、とんでもない厚待遇だ。
きり丸は、一人苦笑を浮かべて正面に座る団蔵を見た。
「団蔵は、家を継ぐことにしたんだろ?」
「小さい頃は気付かなかったけど馬借って、良い諜報網貼れるんだ。」
つまり、団蔵は馬借の仕事の裏で忍業を行うという進路を取ったのだ。
団蔵は懐から己の進路調査票の紙を取り出して、きり丸のそれに並べて置いた。
そこには、第一希望の欄にのみ、回答が書かれている。
かなり独特の読み取るのが難解な字だが、きり丸にはもう見慣れた字だ。
書いてあるのは、もちろん彼の実家のある村だ。
「お前、そんな事、部外者で、しかも、どこの忍になるかもわからない俺に言っちゃうなよ」
「きり丸だから、言ったんだよ」
団蔵は、俺ときり丸の仲じゃない?とニィッと笑った。
「俺はきりちゃん、信じてるからね」
お日様の様なその笑顔に、きり丸は弱い。
きり丸は、ヤレヤレと溜息をついて、紅く染まりそうな頬を誤魔化した。
「きり丸、俺、凄い良い就職先知ってるよ」
「マジか?どこどこ?」
「一日三食に住まい付き。家の掃除とご飯を作ってもらえるなら、給金も弾むし、副業もし放題っていう…」
「バイトしてていいの!?」
きり丸は机に手を着いて団蔵へと身を乗り出すと、その目をキラキラさせて、話に食い付く。
「勿論!それに、そこにいる馬の世話なんかも手伝ったら、プラスで給金アップだよ」
「…なんか、忍びっていうより、雑用っていうか、飯に掃除に家畜の世話って、なんか…、嫁さんみたいだな」
「いや?」
「残念ながら全部得意分野だ」
さらに言えば、女装も含めてだ。
「美味しい話だけど、そりゃ、どこの忍組だ?」
「ここだよ」
そう言って、団蔵は、机に広げた自分の進路調査票の第一希望の回答欄を指で指し示した。
「はぁ?お前んとこか?」
「んー、そうなんだけど、ちょっと違うかな?」
厳密に言うと、こっちと団蔵は己の名前をトントンと指差した。
ハァ?と団蔵の意図が読みとれないきり丸は眉を顰めて団蔵を見た。
「ねぇ、きり丸」
ふと、真面目な声のトーンで呼び掛けられる。
彼の顔は、先程と同じように温かい笑みを浮かべている。
何?ときり丸が首を傾げると、団蔵はきり丸の机に上に置かれていた手に、自分の手を重ねてギュッと握った。
「俺、君の事、ずっと守っていきたいんだ。」
その団蔵の言葉に、彼の言わんとしている所を、やっと理解したきり丸は大きな目を、さらに大きく見開いた後に、顔を真っ赤に染めた。


【お嫁においで】


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10/04/02




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