※オフ本「春、ある長い一日」のその後の話。 【春、ある長い一日の終わりに】 「ここまでくると、もう、いっそ笑うしかないな」 留三郎は、夜もすっかり更けた真暗い山道を上りながら、引き攣った顔で言った。 その一歩一歩を踏み出す足は、ズシリと重く、足の裏が、きちんと地面を踏んでいるのを確かめているように、遅い。 それもその筈だ。 彼は胸の前に大きな行李を、背に人を一人背負っている。 「…本当に、なんていうか、すまない」 留三郎の背に背負われた伊作はしょぼくれた声を上げて、そう詫びの言葉を放った。 彼の体躯は留三郎のそれより、ほんの少し小さい位でほぼ変わらない。 だからこそ留三郎が自分を背負うのは、なかなか力の要ることだと分かっている。 留三郎は見掛けこそ細く見えるが、実際はかなり力がある。 戦うことが好きな彼だ。 鍛えていない筈もない。 だけれど、この状況で伊作を背負う羽目になるのは、さすがの留三郎にも堪えていることだろう。 自分と彼は、今朝お日様も昇る前から、学園を出て、途中で休憩こそ挟んだものの、一日中歩き通しだ。 そして日が暮れた今もまだ、元来た山道を歩き帰路を辿っている。 実際には、今朝、学園を出る前だって赤ん坊の夜泣きが不安で、ろくに寝ていないのだ。 その上、道中、赤ん坊の世話に追われるのは勿論、喧嘩をするわ、山賊に遭うわの、散々な道程だった。 唯一の救いと言えば、赤ん坊の新たな親となった夫婦の人柄だろうか。 あの二人なら、きっと、彼を愛し慈しみを持って、一人前に育ててくれるに違いない。 安心して、帰路を急ぎ、ようやく山も下り始めた矢先の事だった。 伊作が闇となった山中で、道から足を踏み外したのだ。 「うわっ!」 伊作の上げた声に留三郎が驚いてそちらを振り向けば、伊作は既によろけていて、あろう事か山の斜面に向け転がり落ちた。 「伊作!!」 伊作が落ちた斜面を慌てて覗けば、そこは案外浅く、留三郎は彼を追って、そこに生い茂る木々を避けて、柔らかな腐葉土で出来た斜面を滑り降りる。 闇夜に目を凝らせば、そこには川が流れていた。 どうりで先ほどから、川のせせらぎの音がしていた筈だ。 「痛っ…」 伊作は川岸の砂利の上に座り込んでいた。 留三郎が慌てて屈んでそれを覗き込めば、伊作は身に纏ったままだった女物の袷の裾から出た足首を押さえ込んでいた。 「立てるか?」 「…ちょっと、無理かも。捻ったようだ」 「痛むか?」 「動かそうとするとね…」 参ったな…と伊作が呟き、その足を擦っていると、留三郎は背に背負っていた行李を、胸の前に直して抱え込んだ。 そして、伊作の前に背を向けてしゃがむ。 「えっ?」 「ほらっ!」 留三郎が何を示しているのかは、伊作はすぐに分かった。 彼は自分が背負ってやると言っているのだ。 有り難い話だが、簡単にその行為に甘えることが出来ない。 「い、いいよ、そんな!大変だろ、留三郎!」 「じゃあ、お前、どうやって移動するんだよ?馬鹿会計委員共みたいに匍匐前進でもして這っていくか?」 留三郎の言うことは、尤もである。 歩けない伊作には、彼に頼るより他に手は無い。 「…すまない」 「今更だ。いつもの事じゃねーか」 そうして伊作は留三郎の背に背負われたのだ。 「重いだろう?」 「そうでもねぇよ。まぁ、赤ん坊よりは重いけどな」 「大分、重いよ。なぁ、一旦休まないか?」 どれ程か川岸を歩いたところで、伊作はそう提案した。 一人ならまだしも、自分と同じ体格の人間を一人背負っているのだ。 先程から、歩く速度は格段に落ちている。 さらに足下には、大小の小石がゴロゴロとしており、幾ら闇夜に目が慣れていても、これでは歩きづらかろう。 「僕も足の具合を見て、ちゃんと手当てをしたいし…」 「…そうだ、な」 留三郎が無理をせずに休憩の提案を受け入れてくれたのに、伊作は安心した。 砂利と小石だらけの川岸と木が生い繁る山の傾斜の境目辺りに、大きめの腰掛けるのに調度良さそうな岩を見付けた留三郎は、そこに歩み寄ると、岩の前でクルとそれに背を向け腰を低く屈めた。 背負われていた伊作のすぐ尻の下に岩の固い感触がある。 「ありがとう」 そう言っ、伊作が留三郎の肩から手を離すと、ゆっくりと伊作の足に絡められ、その体重を支えていた腕を外された。 腰を下ろした岩の表面はなだらかで座るには丁度良い。 「はぁ…」 屈んでいた腰を、元に戻した留三郎の口から大きな溜息が漏れる。 やはり、かなりの重労働だったのだろう。 前に抱えた行李を下ろすと、岩に腰掛けた伊作と向き合い砂利の上に足を崩して座り込んだ。 「疲れただろ?」 「ちょっとな」 「水でも飲んでくれば?」 涼しげな音を立てて流れる川に目を向けて、伊作は言った。 「ん?ああ、そうだな」 フラと一瞬よろけつつも留三郎は立ち上がったると、渓流に向かい歩いていく。 伊作はそれを目で追いながら、自分の足首を引き寄せて逆側の膝の上に置いた。 着物の裾が盛大に肌蹴て太腿までが露わとなるが、闇夜は暗く、何より留三郎と自分しかいないこの場所だと気にはしなかった。 「いっ…」 足首の関節に少しの痛みが走り、顔を顰める。 痛めた箇所は熱を持っていたが、然程酷くはないだろう。 (手持ちの軟膏を塗って、帰ったら湿布に切り替えよう…。あっ、軟膏を塗る前に渓流の冷えた水で、熱を治めるのも効果的かも…) 「おまえ…」 「えっ?」 伊作が己の纏った袷の裾が捲れているのも気にせずに、自分の怪我への対処法を考えていると留三郎の呆れたような声がした。 「…なんて格好してんだよ?」 「えっ?痛めた所を見てたんだけど…」 顔を上げると、留三郎は川岸に立ち眉間に皺を寄せて伊作を見ていた。 伊作がキョトンとそう返せば、草鞋が砂利を踏む乾いた音と共に彼は目前と迫って来る。 「留三郎?」 近くで見れば、その前髪や顔は濡れていて、白い肌に弾かれた水滴が輪郭に沿って雫をポタポタと零した。 水を飲むついでに顔を洗ったのだろう。 「そんな格好、無防備にするから、襲われるんだろ?」 「何、言って…っつ!」 留三郎の手が、伊作の肩を掴んだ。 優しいとは言い難い力に思わず顔を歪めると、すぐ眼前で彼の切れ長の目がこちらを向いている。 睨みつけるかのような鋭い眼差しに怯むが、頬から零れた雫がツッと肌を伝い半開きの薄い唇に落ちる様を見て伊作の胸は大きく脈打った。 彼の濡れた唇がやけに赤く見える。 「昼間だって、あの山賊達の所に俺が戻るのが、もう少し遅かったら…」 留三郎のもう一方の手に鷲掴まれるように、グッと両頬を掴まれると、その手の平が唇に触れた。 頬を掴んでいる、その圧力にすら彼を感じてしまう。 彼は怒っているのに、こんな不謹慎な…、と思いながらも、自分の中で擡げている欲に腰が重くなるのを感じた。 「とめ…」 「わかってて、そんな顔してんのかよ?」 「…えっ?」 頬を掴む手が角度を変え、顎を上げられたかと思えば、唇に弾力のある肌がぶつかった。 上唇が捲れる程に、彼の唇が押し当てられる。 「んっ、ふっ…」 元より開いていた唇と歯列を越え、留三郎の舌が口腔内に侵入し、前歯の裏から上顎を辿って往復する舌の感触に、思わず顎を押さえている彼の手を掴んだ。 骨張ったその手を強く掴む事で、それが気持ち良いのだと伝える。 「っ、んぅ…」 舌と共に唾液まで吸われると、伊作の身体からはクタリと力が抜けてしまう。 「…とめさぶろ」 激しく吸われた伊作の唇が赤く膨張しているのが、なんとも淫らで、闇夜の中、屋外というシチュエーションは、余計に留三郎の興奮を煽った。 ハァハァと息を荒くした伊作の紅潮している首筋に、かぶり付く様に柔く歯が立てられる。 「だっ、駄目だ」 宛がわれた歯の感触にビクリと体を震わせながらも、伊作は留三郎の行為にストップをかけた。 「こんな所で…」 「誰もいない」 留三郎の肩を押さえ、伊作は眉を八の字にした。 一応、首筋からは歯を離した留三郎だが、ここが屋外である事など気にもしない様子で、今度は伊作の、着物の合わせ目から手を入れ太腿の肌を探った。 「あっ、…やっ」 そのまま、岩に腰掛けた伊作の前に屈み、手で撫でつけているのとは、逆側の腿に舌を這わせる。 先程、見ず知らずの山賊達に触れられた時は、あんなにゾッとしたのに、今は、もっと触って欲しい、気持ち良くして欲しいという欲求が込み上げてくるばかりだ。 「留三郎…」 腰が疼き、動かしてしまいそうになるのを必至で押さえながら、伊作は、彼の太腿を探る手を掴み止めた。 「ここで、するのか?」 興奮に震えてしまっている声で、何を言っているのだろう?と、唇を噛む。 太股に舌を這わせたまま留三郎が、上目にこちらを向いた。 その舌が、ペロリと己の唇を舐めてから、肯定の変わりに内股の肉を吸い上げる。 「あ…」 尻から腰までのラインを、両手で撫で上げられるその感触に、ゾクゾクとした物が背筋を走り、腰がズシリと重さを増す。 既に、膨らみ下帯を濡らし始めてしまったそこへと、留三郎の手が延びたのに、伊作は快楽に流されてしまいそうになっているギリギリの理性を振り絞った。 「ぼ、僕、足を痛めているし、ここでするのは、ちょっと痛い気が…」 伊作の尻の下には、固い岩、留三郎の屈む地面は一面の砂利だ。 こんなところで万全の状態ならまだしも、怪我をして自由の効かない身体で情事に及ぶのはかなりの痛みが伴いそうだ。 「帰るまで…、うわっ!?」 どうにかすっかりその気になっている留三郎を説得しようと、伊作がオズオズと口を開いた。 すると、留三郎は立ち上がって伊作の身体の尻と腰に腕を回すと、そのまま肩へと担ぎ上げてしまう。 「と、とめ!?」 さすがに軽々とはいかなかったが、伊作を担いだまま留三郎は歩き始め、数歩行った所で、ゆっくりと担いだ身体を地に下ろした。 「ここなら、柔らかいだろ?」 「ええ!?」 川沿いの砂利から、木々の生茂る腐葉土に切り替わる境を越えた土の上だった。 確かに、尻の下は柔らかいが地面に着いた手の平には、湿った土の濡れた感触がある。 「駄目だよ、着物が汚れる」 「洗えばいい」 「泥は染みになる!」 伊作の言葉等聞かず、留三郎は上体を起こしている伊作の肩を地面に押し付けた。 「どうせ、もう汚れてるじゃねぇか?」 留三郎の言う通り、今日の散々な出来事で既に着物のあちこちには泥の染みやら、解れやらがある。 だが、しかし、こんなところで寝転んで抱き合ったら、悲惨な状態になるのは間違いない。 「着物が汚れたら、これから、どうやって帰るんだよ?」 「行李に、お前の着物が入ってただろ?それ、着ろよ」 確かに行李には、伊作の持ってきた己の男物の着物が入っているが、しかし… 「こ、こんな所でしたら、衛生的に…」 次から次へと理由を述べる唇に、ソッと触れるだけの口付けが落とされ、伊作は思わず黙り込んだ。 物欲しそうに眉を潜め、自分を見詰めてる留三郎の顔に、一瞬息が止まり、鼓動すら止まったような感覚に襲われる。 ああ、そんな顔をされてしまったら、 「いさく…」 そんな声で呼ばれてしまったら… 「…とめ」 …もう駄目だ。 「あっ、いっ…」 潤滑剤の類は無いので、唾液と先走りだけで解したそこは、留三郎の起立を受け入れると、ミシミシと身体に亀裂でも入りそうな程の痛みを伊作に齎した。 しかし、盛大に捲り上げられた着物の隙間から、肩に担がれた両足のその合間。 そこで緩やかに勃ち上がっている伊作のそれを、留三郎の手が掴めば、熱を受け入れている身体がビクリと跳ねた。 「あ、いや…」 掴んだものを扱いてやれば、痛みと混じる快楽に、伊作の腰が揺らぐ。 それに合わせて、留三郎は伊作の中におさめた自身を動かし始めた。 「ふ…、んん…」 「なんか、すげぇ興奮する」 自分の下に組み敷いた伊作の装いが、普段とは違うのもあるだろう。 伊作の着た一斤染の女物の袷は肌蹴て、上半身は平らな胸が、下半身は霰も無く留三郎に足を抱え込まれて、中心を勃起させている。 その酷く卑猥な姿に、湧き上がる興奮を抑えることが出来る筈も無く、留三郎は中を擦る動きを、さらに力強いものにした。 「悪い、止められないかも…」 「あっ、いっ、いたっ…」 伊作の髪はとうに解けて、土の上に、明るい茶色の豊かなくせ毛が無残に拡がっている。 それが、まるで、自分が山賊にでもなって、彼を犯しているような気分にさせた。 「んひっ、い、いたい、あっ…」 暗闇の中に浮き上がる伊作の白い肌は紅潮し、赤く染まった顔は快楽に猥らに歪んでいる。 10日以上ぶりの留三郎を包む伊作のそこの感触に、もう余裕等残ってはいなかった。 「やっ、あああ」 留三郎が、伊作の前立線の位置を強く擦り上げると、抱え上げた彼の両足はガクガクと痙攣して土を引っ掻いていた両手が、上下する留三郎の肩を掴んだ。 「あ、もっ、いっ、いっちゃ」 「はっ、うあ」 いい所を擦り上げられた伊作のそこがキュウと締まったのに、留三郎は低く呻いた。 竿を掴まれたそれの先端は留三郎の引き締まった腹筋に擦られ、グチャグチャと先走りで濡れ張り詰めている。 「いさく、いさく」 「あっ、ああ、んんっ!!」 中を発つ速度を速め、握ったそれの先の割れ目に指を引っ掛ければ呆気なく伊作は達し、白濁を留三郎の手の中に零した。 「はぁっ、くっ!」 「あ、…はっ」 頂点を極めた伊作のキツい締め付けに、留三郎はズルリと勢い良くそれを引き抜き、伊作の腹に欲を放った。 腹の上に飛び散る温い精液の感触にすら、伊作は引き摺る快楽の声を小さく漏らした。 留三郎は、まだ整わない荒い呼吸のまま、伊作の肩にその額を擦り付けた。 甘えるようなその仕草に伊作は頬笑みを浮かべて、後頭部を撫でてやる。 すると、留三郎は微かに掠れた声を発した。 「…ごめんな」 「えっ?」 「伊作のせいじゃないよな、あいつ等に襲われたのは…。なのに、お前を責めたりして」 留三郎がポツポツと反省の言葉を口にしている間も、伊作の手は彼の結い上げられた髪筋を指でソッと優しく辿っている。 「なんか…、苛々してた。ゴメン」 「…スッキリして、頭晴れた?」 伊作の直接的な言葉に、思わず留三郎は噴き出してしまった。 「ああ、そうだな」 「僕も…」 伊作も一緒になって笑い声を上げると、留三郎の耳の後ろを撫で付けて、その顔を上げる様に促した。 「僕も水に濡れた君の顔に興奮する位は…、したかったんだ」 かち合った視線の先の伊作の表情は、事後の上気した色を残している。 赤く腫れた唇が紡いだ言葉に、留三郎は再び下半身が疼くのを感じた。 「伊作…」 「それで、留三郎…」 留三郎がその勢いのまま、もう一度、伊作の上に覆い被さりたいと思い立った時である。 神妙な表情と、先程までの甘さを消した声音で伊作は留三郎を呼んだ。 「どうしよう?」 嫌な予感がした。 長年、彼と共に過ごしてきて、互いの表情や発する空気を読む事は、意図も容易いこととなっている。 そして、彼がこのような顔をする時は大体… 「足首が、物凄く熱いんだけど…」 「いい様じゃないか、留三郎」 「うるせぇな」 学園の中庭に生えている雑草の芽を見付けては引き抜く留三郎の姿を、仙蔵は立ったまま上から見下ろして言った。 留三郎の上半身は黒の前掛けのみで、制服である松葉色の上衣は、どこかに脱ぎ捨てて来たようだ。 それもそうだろう。 まだ春の陽気とはいえ、空高く昇った太陽の日差しは、サンサンと地面を照らしている。 そんな中で気の遠くなるような除草作業をしていれば、熱くもなるだろう。 「伊作は脱臼だそうだな?」 「ああ、だから、この除草も免除だ」 伊作と留三郎が学園に戻ったのは、既に月曜日となった今日の昼前の事だった。 既に試験は終わってしまっていたが、留三郎の背に背負われた伊作の状態は、それどころの話では無かった。 山の斜面から落ちた時に痛めた足首は、腫れて熱を持っていた。 伊作が“痛みが酷くなった後”に、自分で診断した通り、脱臼をしていた。 そこまで痛めてしまった原因は言わずもがな、土の上で抱き合ったせいとしか考えられない。 今になって冷静に思い返せば、伊作は最中に何度も「痛い、痛い」と言っていたような気がした。 「良かったではないか?お前が、学園中の草むしりをする事で、追試を受けさせて貰えるんだ」 試験を受けられなかった二人に教師は罰は与える代わりに、追試を受けさせてくれるという恩情のある措置を取ってくれた。 罰として与えられたのは、学園中の除草作業である。 だが、伊作は足を痛めているので、そんな事出来る筈がない。 結果、広大な敷地内の除草作業を留三郎が一人で行うはめになったのだ。 「…元を辿れば、誰のせいだよ?」 いつも通りの余裕の表情でこちらを見下ろす仙蔵を、留三郎は恨めしそうにチロリと見上げた。 「伊作だろ?」 仙蔵の言う事は尤もだ。 それは、まぁ、そうなのだが…。 しかし、元を辿れば、この騒動に無関係であった留三郎を巻き込んだのは、仙蔵でもある。 「普通にいけば、一日あれば往復出来る距離ではなかったか?」 「色々あったんだよ!」 「色々、な?」 仙蔵が目を細めて、ニヤニヤと笑みを浮かべるのに留三郎は舌打ちをした。 確かに、赤ん坊を預けた後、そのまま何事もなく戻れば、試験前にはなんとか学園に着く事が出来た筈だろう。 既に反省はしていたが、途中で事に及んでしまったのが、どう考えても悪かった。 そう考えれば、自分のせいでもある…と留三郎は、苦い表情で仙蔵から目を反らすと、地面に生える青々とした雑草を引っこ抜いた。 「聞かないのか?」 ブチブチと音を立てて雑草を引き抜いては、脇に置かれた箕の中に放り込んでいく留三郎の背に向かって、仙蔵は問い掛けた。 「文に何を書いたか?」 窯元夫婦は留三郎が渡した手紙を見た途端に、なんの説明も聞かず、大喜びで子供を受け入れてしまった。 最初に仙蔵が伊作と留三郎に与えた話の筋は、身分違いの恋の末に出来てしまった稚児の養子先を探して…、というものだった筈だ。 しかし、それにしては、素直過ぎるほどに簡単に受け入れられてしまった。 挙句に説明はいらないと、二人が経緯を話すことすら、必要無いと言いくるめられてしまった。 「…伊作は?」 留三郎は雑草を引き抜く手をピタと止めて、仙蔵を見ずに言った。 「伊作には、何を書いたか話したのか?」 「いいや、アイツも聞いてこないな、文の事など。忘れているのではないか?」 「かもな!」 ハハッと笑って、留三郎は立ち上がった。 暫く屈みっぱなしだった身体を延ばす為に、両手を上げて伸びをすると、首をゴキゴキと左右に振る。 「じゃあ、俺も聞かなくていいよ」 手で片側の肩を揉み解しなら、さも、興味無いです、というような様子だった。 「あのガキが無事に育つなら、それでいいんだ」 そう言って、留三郎は口の端を持ち上げた。 「ふん、お前もつくづく甘い奴だ」 仙蔵は肩眉を吊り上げ鼻で笑う。 「…これから先、冷たい仮面被って生きてかなきゃならないんだ。今位、多少は甘くてもいいだろ?」 首を傾げる留三郎に、仙蔵は呆れたとでもいう様に両の肩を浮かせた。 そのまま踵を返して、その場から立ち去ろうとする仙蔵を留三郎は呼び止めた。 「仙蔵、ありがとうな」 仙蔵は振り返ると、その口元にだけ笑みを浮かべた。 --------------------- 10/10/14 back |