※伊作→留三郎の情緒不安定な片恋
※ちょっと女の子の影が出てきたりもする…


ああ、いったい、どうしたものか…。


【わずらい】


伊作は、長屋の廊下を歩いていた。
トボトボと、だけども、そこは忍らしく、足音は消して…。
時刻は既に、戌の刻を向かえていた。
自主錬に出ている者も多いだろうが、廊下は静かで、一人の姿も見当たらない。
下級生は、おそらく、そろそろ眠る時刻だろう。
足取りは重かった。
一歩を踏み出す足の動きは狭い。
自室に戻りたくないのだ。
詰まり気味の鼻で息をするのが苦しいので、口で呼吸するが、気を抜くと溜息ばかりが出てしまう。
伊作は同じ組であり同室の留三郎が好きだった。
しかし、片恋である。
そして、残念ながら伊作の性別も男である。
同性相手に、全くの不毛な感情だった。
気がついたのは、いつの頃か…。
本当に、何が切っ掛けだったのか、と言われたらわからない。
心当たりがあり過ぎる!
とにかく、彼の一挙一動に目を奪われて、する表情の一つ一つが愛しくて、話し掛けられる度、心臓が高鳴ってしょうがない。
彼が、誰かと自分の知らない話をしている事があれば、何の話なのか知りたくて、とにかく調べたし…。
彼にお願いされた事は、もし、他の誰かからだったら即刻断るような事でも、拒否したくない。
きっと、嫌な所とか、苛々してしまうような所もあるだろうに、そういった全ての否定的な感情に目隠しがされているかのように、全く見えなかった。
しかし、彼は男であり、同じ忍を目指す者だ。
全くもって、不毛である。
彼に抱く恋心に気がつき、どれ程たっただろうか。
勿論、進展などある筈がない。
幸いなのか、不幸にもか、留三郎に恋人が出来る様子は無かった。
自分で、気持ちに踏ん切りを付けられるような諦める理由が無い。
しかし、自分達も、もう、子供のままでいられる年ではない。
あと少しして、学園を出れば、プロの忍として闇の世に生きなくてはならない。
いい加減、諦めなくては…。
どうすればいい?
どうやって、諦めたらいい?
日毎に恋しさは募るばかりなのに!
そんな時、町のうどん屋で働いている娘に声を掛けられた。
年の頃は、自分より一つ二つ下だろうか。
“今度、二人でお話出来ませんでしょうか?”
もしや、これは…と思ったが、案の定、日を改めて二人で会ってみれば、彼女から好意を伝えられた。
しかし、そうは言われても、伊作には、いくら報われないものだろうが、留三郎という想い人がいるのだ。
けれど、心のどこかで、もしも、彼女を愛せたら、自分はこの彼への想いと共に深まる不安と孤独から抜け出せるのではないか?、思案していた。
すぐには、彼女に気持ちが移らなくても、少しずつなら…。
そう思い、二度目に彼女に会った。
しかし、なんでだろう?
自分でも、そんな自分に引いてしまう位に、面白いとも、楽しいとも思わなかった。
何も思わないだけならまだしも…。
それが苦痛なのだと、途中で感じた。
留三郎と一緒でないから楽しくない、という訳ではない。
彼と一緒じゃなくても、楽しい時も、有意義だと感じる時もある。
例えば、仙蔵や小平太等の学友と過ごす時間。
後輩達と共に過ごす委員会活動。
しかし、そういった気分にもなれないのだ。
そして、途中で気がついた。
苦痛なのは、自分が無理をしているからなのだと…。
彼女を愛そう、好意を抱こうと無理をしている。
そして、彼女とただ話だけをして数刻を過ごした帰り、気を抜くと涙が出そうになる自分に頭を二、三度振って、山道を走った。
自分が悲しかった。
どうして、そちらの方が幸せとわかっていて、そちらを選べないのだろう?
彼女に対して、申し訳ないとか、悪い事をしたという、罪悪感が湧いてこない自分にもウンザリした。
それだけ、彼女に対して何も想っていないという事なのだ。
学園に着くまで大回りをして、ようやく着いたそこに入るのを、一瞬、躊躇った。
しかし、すぐに事務員に見付かって、入門表にサインをせがまれ、門の中に引きずり込まれると、戸を閉められてしまった。
よく出来た事務員だ。

そして、今に至る。
廊下を歩きながらも、目には涙が滲んだ。
ああ、どうして、自分はこうなのだろう?
だって、しょうがないじゃないか、自分は彼女を愛せそうには無い!
彼女を選ぶべきだとわかってるのに…。
無理して彼女と過ごしても、どうせ、いつか駄目になる。
己を嘆く思考と、庇護しようとする思考が交互に繰り返され、頭がいっぱいになり、苦しかった。
一旦、それで頭がいっぱいになると、その脳裏にフワリと留三郎の姿が浮かび、
ああ、いつぞやの留三郎は優しかったな
とか、
この間の野外実習での留三郎の動きは素晴らしかったな
とか…
留三郎の事で頭が満たされて、落ち着くのだ。
そして、ああ、また、自分は留三郎を!と嘆く。
仕方が無いのだ。
何も考えないでいい時間、頭の中を留三郎で満たしておくのは、ここ数年、もう癖だ。
ああ、畜生。
もう、彼と自分の部屋の前ではないか…。
何事も無い顔。
何事も無かったように、いつもの顔。
そう、ただ、一人、己の心中で嵐が巻き起こっているだけで、実際は何も無かったのだけれど…。
どうやら、自分は表情に落胆が出やすいらしいのだが、今回だけは悟られたくないと一度、口角を上げて笑みの表情を作り、戸に手を掛けた。
「ただいま」
「おう、おかえり!!」
留三郎が頭の中で描いていた笑顔と同じ顔でそう言ったのに、伊作は心底ホッとした。
「何かあったのか、伊作?」
そして、結局、その目には、努力の甲斐も無く涙が滲んだのだった。
「何もないよ?」

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10/03/07



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