※食伊前提の仙+伊


いつか、君が僕を選ぶ

待ち遠しい、その瞬間が…


【致死量の幸福】


「留三郎がね、歯を抜いたんだ」
「ほう」
仙蔵が数日前の戦闘実習で負った傷を診せに、伊作の元に顔を出したのは夕方の事だった。
「虫歯か?」
「まさか」
「義歯を入れるのか?」
「うん」
彼の白い細い腕の包帯を解き傷の具合を見ながら、伊作はそんな話を始めた。
「それでね、毒を作って欲しいって…」
「なんの?」
「自害用だよ」
「そうか」
忍が自害用に、と自らの歯に毒を仕込むのは、よくある事だ。
自害用の毒を義歯に仕込ませて、奥歯に差し込む為に歯を抜く。
それは、忍として生きてく覚悟を決めたということだ。
「最初はね、嫌だって言ったんだ」
「だろうな」
「留は、何も言わなかったよ」
仲間どころか、敵が血を流す事すら嫌う伊作が、どうして恋人である留三郎を死に至らす為の毒を作ろうか。
“自害の為の毒なんて作らない”
誰しもが、予想出来るの伊作の返答。
きっと、留三郎もそれを分かっていた筈だ。
だから、反論しなかったのだろう。
「僕は、その時、とにかく、…腹が立ったんだ」
「何に?」
首を僅かに傾けて伊作を見る仙蔵の口元は、人に不快感を与えない程度に口角が上げられている。
「近い将来、留三郎が死を選ぶ瞬間が来るかもしれないって事と…」
伊作が、傷に軟膏を塗り始めるとチリッと、腕に僅かな痛みが走った。
「その毒を僕に頼む留三郎に」
ほんの一瞬だけ、伊作の指が止まる。
仙蔵は、ジッと自分の傷に伊作の指が軟膏を塗り込めるのを見つめていたので、その一瞬を、逃さなかった。
「それから何日か、歯の話も、毒の話もしないでいたよ…。僕の頭の中は、その事でいっぱいだったけどね」
傷口に丁寧に薬を塗り終えると、汚れた指を手拭いで拭い、軟膏入れの貝の蓋を閉じる。
「でも、気分が落ち着いてきて…、ちゃんと考えたら、それって凄い事だって気付いた」
救急箱から新しい包帯を取り出すと、慣れた様子で仙蔵の腕を持ち上げた。
「僕が作った毒で、留三郎が死ぬんだ」
今まで仙蔵の傷口ばかりを見ていた伊作の目が、彼の顔を見た。
口元が笑みを作っている。
彼が言っている内容、声音、弧を描く唇、笑っていない大きな吊り気味の目。
全てのバランスに違和感を覚えて、仙蔵は自分の腕を掴む“その男”にゾッとした。
「それって、僕が留三郎を殺すって事だ。誰でもない、僕が」
己の腕を掴む彼の手は普段通りの筈なのに、やけに圧力を感じた気がして、仙蔵は表に出さず内心で己を笑った。
「今日からの外部からの依頼の潜入任務ね、仕込んでいったんだ。僕の毒を」
ニコニコといつもの様子で笑っている。
細められた目からは、その色が伺えない。
「前まではあんなに怯えてたのに、なんか、ちょっとだけ落ち着いてられるんだ」
ああ、やっぱり、コイツは厄介なタイプだと仙蔵は改めて思った。
以前から、ずっと感じてはいたのだが…。
「留三郎が生を諦めて、楽になる瞬間を齎すのは僕なんだよ」
それって幸せな事じゃない?と、伊作は問いながら、仙蔵の腕に巻き終え、余った包帯を裁ち鋏で切った。

仙蔵は問いに答えずに、包帯の巻かれた腕を動かして一撫する。

「私は、たまにお前が恐ろしいよ」

伊作は幸せそうに微笑みを浮かべていた。


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09/10/18



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