だって、美しいじゃないか。

真っ黒い髪は白い肌を強調しているし。
切れ長の目の淵に薄紅。
鋭角な顎のラインから繋がる首筋の骨。

何より惹かれるのは、その薄めな整った唇で…。

その唇に紅が乗れば、“彼女”に喉仏があるのなんて、僕は全く気にならない。


【唇に紅】


「僕、留三郎が女装してるのって好きなんだ」
留三郎が、今日これより行われる一日掛けての情報収集の実習の為に、鏡に向かい化粧を施していると、既に身支度を整えたらしい伊作が話し掛けてきた。
「そりゃ、変わってんな!」
「そうかな?」
「そうだろ。こんなキツい顔に筋肉質な女」
「美人だと思うよ、凄く」
目の回りに化粧を施す手を止めて、留三郎は奇特な発言者を見る。
伊作は町にいる一般的な男性の装いだ。
二人一組で行う実習で互いに集めた情報の整理の為、途中で落ち合っても不自然でないように、各自で男女の姿に化け物の術を行う事になっている。
「お前の方が女向きの顔だろ?“顔だけ”なら」
「…前よりも少しはマシになったよ、多分」
「どうだか」
というのは数年前の事になるが、初めて化け物の術の授業を受けた日。
伊作の酷い化粧のセンスにクラス中が鳥肌を立てた。
その後、校外で行われた実習では、授業では改善されなかった化粧のセンスをカバーしてやったというのに、変声期を向かえてしまった彼の声は女性を演じるには向いていなかった。
しかも、女性らしい話し方が苦手のようで、度々地声に戻り、町のど真ん中で周囲から冷たい視線を受けたのだ。
それ以来、必要とされない限りは伊作は女装はしない。
化ける必要がある場合、伊作は必ず男でいてもいいものしか選ばない。
「じゃあ、お前が女やるか?」
「留さん、チャレンジャーだね!」
「やんのかよ?」
「やっていいの?」
ニコニコと笑顔で首を傾げる伊作の姿は、可愛らしく見える。
だが“見えるだけ”だ。
「そんな時間あるかよ」
「だね。文次郎と仙蔵は、もう出たみたいだし。あっ、聞いた?文次郎が女装してるらしいよ!」
「身の毛がよだつな」
「仙蔵が無理にそうしたらしい。文次郎は嫌がっていたみたいだ」
「どエスめ…」
どうりで、今朝方、井戸で会った仙蔵の機嫌がすこぶる良かった訳だ。
そうしてる間に目の回りの化粧が終わったので、紅を手に取ろうとそちらに手をのばす。
が、そこにあった筈の紅入れが無い。
「留さん」
呼び掛けにそちらを向くと、伊作の手には紅入れが握られていた。
「おい、返せよ」
「僕が紅を引いてあげるよ」
「いい、自分でやる」
「僕がやってあげるって」
悶着の末に、留三郎は溜め息を吐いて口を開いた。
「…失敗すんなよ」
「分かってるって!」
了承すると、伊作は嬉々とした様子で紅を右手の薬指に取る。
「動かないでね」
向かい合う肩に左手が乗ると、紅差し指が唇に近付いてくる。
「目、閉じてよ。やりづらい」
「嫌だね。失敗されたら、たまったもんじゃない」
「ううっ、緊張するなぁ」
じゃあ、やりたいなんて言い出すなよ、と言ってやりたかったが、伊作の指が唇に触れた感触がしたので返答をしなかった。
ゆっくりと紅に濡れた薬指が下唇をなぞる。
真剣な眼差しで唇を見詰める伊作の顔が留三郎の眼前にあり、彼の瞼の縁に生える睫毛の一本一本が鮮明に見えた。
男にしては長めの睫毛、触り心地の良さそうな頬。
目を見開けば、猫のような大きな瞳、整った唇の形。
どうして、これで女装に向かないのかと考えると溜息しか出ない。
「…出来た」
唇の端を持ち上げて、伊作は完成を告げる。
「おう」
鏡で出来映えを確認しようとするが、伊作は肩から手を離さずに、何やら嬉しそうにこちらを見つめてくる。
「なんだよ、失敗したのか?」
「してないよ」
「じゃあ、なんだよ?」
「いや、ただ僕…」
伊作の様子を不審がっていると、肩に乗った手に一瞬力が篭り引き寄せられる。
紅を引かれたばかりの唇に、柔らかな温い感触。
「留三郎の紅を引いた唇って、たまらないよ」
何が起きたのか留三郎が理解する前に、伊作は互いの距離を開け肩から手を離した。
伊作の唇は、塗られたばかりの紅が移って赤く濡れている。
その真っ赤な唇が歪み、笑みの形を作った。
「おまっ!?」
留三郎は己の唇を押さえようとして、色が手の平に移ると気付き寸でで止める。
「今更、こんな事で慌てないでよ」
「今更とか、そういう問題じゃ…」
「あれっ?私達が最後かと思ったら、まだは組がいるみたいだぞ!」
廊下からドカドカと豪快な足音が賑やかな声と共に聞こえた。
小平太だ。
話しぶりから、おそらく長次もいるのだろう。
「早く行かないと、今日中に終わらないぞ!」
「わっ、わかってる。今、行く」
障子の向こうのろ組に留三郎が慌てる様子がおかしいのか、伊作はアハハと声も殺さずに笑った。
「馬鹿!お前、早く口拭けよ」
「あ?ああ、そうだね」
留三郎が差し出した手拭いを伊作は受け取る。
「ねぇ、吃驚したかい?」
「当たり前だろ」
留三郎は鏡で己の姿を見直す。
唇の紅は多少伊作の唇に移ったようだが、差し直す程の落ち方では無かった。
まだ座って唇を拭っている伊作を振り向かずに立ち上がる。
「さっ、行くぞ」
「えっ、待ってよ」
「お前、ちゃんと鏡で落ちてるか確認しろよ」
障子を開けて振り返ると、慌てた様子の伊作が四つん這いで鏡を覗き込んでいた。
「早くしろ!」
「待って、待って!置いてかないでよ!」
留三郎は伊作を置いて、廊下に出てから自らの唇を押さえて俯く。
「…っの、馬鹿」
おそらく、今、自分の顔は赤い。
白粉では隠しきれていないかもしれない。
と、背後の部屋から、何かを盛大に引っくり返す音と伊作の悲鳴が聞こえた。
おそらく、何かの拍子に転んだのだろう。
不運な彼のお約束だ。
俯いたまま溜め息を吐くと、留三郎は廊下から部屋に戻った。
また、出発が遅れそうだ。

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09/08/15



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