あなたに私の神様をあげる



凍てついた冬の朝の空気が肺を刺すように凍みた。駆け抜ける廊下はシンと静まり返っていて、終わりが来ないのではないかと言いようのない不安に駆られる。酸素が足りずに視界が潤んだ。薄い扉の前をいくつも通り過ぎて、それらとなんの変わりもしないのに目的の一つを目の前にした時、ようやく自分が震えていることに気が付いた。
ノックをしようと伸ばした手が止まる。本当は来ることをとても恐れていた。その反面、この先にあるかもしれない安息を一秒でも早く手にしたかった。

「――今日は冷える……早く入りなさい」

自分が触れることを躊躇っていた扉の取っ手に、背後から大きな手が添えられた。そっと首に掛かった息に振り返れば、兄とよく似た笑みを浮かべるその人が立っていた。

「シュウさん、あの」
「全くこんな薄着でふらふらして……」
「……ごめんなさい」

これを着なさいと本人の温もりが残るガウンを肩に掛けられ、そっと大きな掌に背中を押される。部屋の中ではパチパチと暖炉に焼べられた薪が小さく鳴いていた。そして――

「もう直ぐ起きると思うから」

簡素なベットの上で眠るその姿を見つけて息が詰まった。逢いたくて仕方がなかった人。でも実際にそうなることをとても恐れていた人。
定期的に上下する胸の動きに安堵したのに、閉ざされた瞼が開くその瞬間を想像すると足が竦んだ。目覚めて欲しいのに、目覚めて欲しくない。この名を呼ばれたいのに、万が一を思い為して溢れる涙を堪えられなかった。

彼女の中にあるイノセンスが、今度こそ自分という存在を消してしまっていたとしたら……それが怖かった。

「大丈夫……リナリー、泣かないでくれ」
「ごめんなさいッ……わたし、約束したのに」
「分かっているよ。私だっていつか訪れるその日を思うと恐ろしくてたまらないのだから」

ベットで眠る彼女、レイチェルは元よりイノセンスの適合者ではない。その一族にのみ古から伝わる術によってイノセンスと契約をした謂わばただの人間である。聖職者でありながら一部のものの間では神殺しとすら呼ばれるのは、文字通り神の意思を殺してその力を手に入れたが故の皮肉であった。
そして、本来であれば神に選ばれし適合者のみが許されたその力を使う代償として、彼女は記憶を保持する自由を奪われていた。

「さぁ、涙を拭いて。レイが驚いてしまうよ」

それにこのままでは私が泣かせたんじゃないかと言われかねないだろう?
暖かい手が優しく頭を撫でる。胸の中で渦巻く恐怖が少しずつ薄まるのを感じていた。唇に触れた自身の涙の塩気を飲み込んで前を向く。
近付いた先、シーツの波に飲まれた身体がゆっくりと動いた。気怠さそうに髪を掻き上げた後、僅かに伸びをして溢れた欠伸を手で塞ぐ。長い睫毛が影を落としていた頬に血の気が戻る。
とてもゆっくりと瞼が持ち上げられた。

「レイチェル、おかえりなさい」
「あぁ……ただいま、リナ」

優しく微笑む彼女の瞳の中で、泣き出しそうな私が笑っていた。

例え誰も救えないような世界になろうとも

深い眠りにつく前に、いつだって彼女は少し色褪せた一枚の写真を取り出して愛おしげにキスをする。呪いのように唱えるのがその写真の中で笑う人々の名前だと気付いたのはごく最近の話だ。幸せそうに意識を手放す最後の瞬間、彼女の頬には一筋の雫が伝う。
そのことを目の前の少女はまだ知らなくてもいい。

あとがき+α

ついに始められなかった灰男の連載から引っ張って来たお話。実の姉のように慕う主人公の記憶の中からいつしか自分が消えてしまうことを恐れていながら、誰よりも早く“おかえりなさい”を伝えにくるリナリー。連載は無理だけどシリーズ的な感じで広げられたらいいなと思います。+αは2人を見守るオリキャラ目線。

20180213
Title by OTOGIUNION



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