口付けはディナーの後で

こんばんは。

顔を上げれば見慣れた男が見慣れた微笑みを浮かべて立っていた。小綺麗なスーツを着込み、足元は値の張りそうな革靴で飾り立てた顔見知りの男、ラック・ガンドール。紳士的に被っていた帽子を胸の辺りに湛え、真っ直ぐに店主であるサラ・ローウェルを見つめて会釈する。

また来たの。

呆れたようにそう吐き捨てたサラは手元の小説へと視線を戻した。今いいところだから邪魔しないで。横顔がそう告げている。
ラックは仕方がなしに店内の書棚に視線を走らせては、一段毎にサラの姿を盗み見ることにした。そして気付く。彼女が半分ほど姿を隠しているレジカウンターの上に積み上げられた本の山は、以前に来たときとラインナップが変わっている。僅か1週間も経たぬ間に軽く20冊はあった其を彼女はもう読み終えてしまったというのだろうか。ある一種の尊敬に、真剣な眼差しで手元の活字を追うその姿から視線が外せずにいると、パタンと本を閉じる乾いた音が響き渡った。


「近頃のマフィアは本当に暇なのね。羨ましい限りだわ」


カウンターの上にあったマグを手に取りサラは呟く。おそらく真に羨ましいとは思っていないであろうことは、容易に想像出来た。所詮は嫌味というやつだ。何故なら彼女は此方を一切見ることをしない。それどころかクルリと背を向けると壁掛け時計に視線を送っているようだ。
時刻は午後6時少し前。

「忙しい仕事の合間を縫って来ているとは思って頂けないんですね。残念です」
微かに眉尻を下げてラックは手近にあった棚の中から一冊本を抜き取った。特に好きな作家のものでもなければ、誰かに勧められたわけでもない。ただただタイトルが目についた。
「部下が泣くわよ。そこそこ名の知れたマフィアの、それもボスなんて肩書き背負ってる人間が活字に夢中だなんて知ったら」
コトリとマグがカウンターへと戻される。薄くなった珈琲の香りがラックの鼻腔へと緩やかに届いた。手にした書籍の背表紙を撫でながらふと笑うラック。


「残念ながら、私が夢中になってるのが活字ではなく貴女だ……ということは既に周知の事実です」


微かに狼狽えて震えた肩の上に、赤く染まる小さな耳を見つけてラックは更に笑みを深くする。「冗談でしょ」とかぶりを振ってまるで自分に言い聞かせるかのようにサラはありえない、とそう付け足した。

「な、何よ」
「いえ、これを頂こうかと」
静かにサラの側まで歩み寄ったラックは、にっこりと人の良さそうな笑みを浮かべて書籍を胸の高さまで持ち上げる。その手中からひったくるように本を取ったサラはぶっきらぼうに「カバーは」とだけ訊ねてカウンターの下を覗きこんだ。
お願いします。というラックの返答に濃紺のブックカバーを一枚取り出したサラは、丁寧にそれを書籍へと被せていく。色の白い指先がうやうやしくカバーを取り付ける様子を見つめながらラックは財布から紙幣を取り出してカウンターへと静かに置いた。

「はい、どうも。さ、お店閉めるからさっさと帰って頂けるかしら」
「よろしければこの後食事でも、と思ったんですが」
「残念ながら貴方みたいに暇じゃないの」
書籍をカウンターへと置くと、入れ替わりに紙幣を取りキャッシャーへとしまいながら空かさず憎まれ口を叩く合間にサラはちらりとラックを盗み見る。
そこをなんとか。
声色は懇願するようにそう告げるが、カウンター越しのラックの表情は相変わらず柔らかい笑みを湛えたままでサラはそのアンバランスさに僅かに身を引いた。
一見スマートではあるが時と場合によってこの男は意外な程の強引さを見せる。今回も例外ではない。微笑みの奥で静かに揺れる瞳は肉食動物のソレに似ていた。

「一人で食事をとるの、寂しいんですよ。付き合ってくれませんか」

レジから取り出したお釣りの硬貨を握ったサラの手首を掴んだラックの手は、関節が男のそれであるのに指が長く、爪も短く整えられていて一見とても綺麗だ。
けれど、まじまじと目を向けると小さな傷が所々に残っているのもわかる。
一際目立ったのは親指の付け根にある縫合痕で、聞けば不死者になるずっと前、まだ若かった頃の傷らしい。そんなどうでもいい話を聞きもしないのにペラペラと話しかけてきたあの日のこの男もそうであるが、何よりそんなことを憶えている自分にも腹が立ってサラは八つ当たりのようにラックをきつく睨みつけた。
見た目では分からないがサラは彼よりも何倍も長く生きている。謂わば人生の大先輩だ。とはいえ、もう自分たちの間に時間の縛りが意味を成すかと言えば成さない。そして、理由はラックが最近サラ側の人間へと生まれ変わってしまったことにある。
不死者。その言葉通り、死ぬことの無い者たちのことである。

「ご兄弟がいるでしょう?」
「生憎、兄達は実の弟よりも妻の方が大事なようでして」
「あらそう、それはご愁傷様」
「ですから」
カウンター越しに手を引かれ、一気に距離が縮まる。真っ直ぐに射抜くような視線は強い光を放ち、サラは慌てて目を反らせた。この男のペースに呑まれるな。脳内に鳴り響く警告音。頬に触れる吐息に腰が引ける。

「お願いします。ねぇ、サラ」
「あッ貴方の奢りよ!」
「勿論。それに、飛び切り美味い店をご紹介しますよ」

ありがとう。と笑うラックの顔は、いつもの胡散臭いテンプレートのようなそれではなく、ちらりと覗く白い歯や目尻に寄った皺に妙に幼さを感じてしまいサラはどうしようもなく心が焦げたような気がして吐息する。こんなはずじゃなかったのに、と悪態付いたところで時すでに遅し。ほんのりと上気した顔で項垂れるサラの一瞬の隙をついて、ラックの唇がその頬に触れた。

「――――ッ!」
「すみません。貴方があまりにも可愛いものですから、我慢が出来なくて……ご馳走様です」

誰よこの後食事に誘ったのは!と先程よりも更に頬を染めて半ば吼えるようにそう言ったサラに、まるで悪びれる風でもなく「頬で我慢したんですからその辺りはご考慮下さい。ほら、表で待ってますよ」と購入した書籍を小脇に抱えて帽子を被ったラックは、回れ右をして扉まで進み、先刻この扉を潜ったときよりもずっと上機嫌で外に出た。




***

悠李様、リクエストどうも有難う御座いました!
長らくお待たせしてしまい、6年越しのお渡しとなってしまったことを大変申し訳なく思っております。
設定的にはとても美味しく頂きました。うちのラック、こんな感じです。笑
そしてタイトルはかの有名な“謎解きは〜”から文字らせて頂きました。

この度は拙宅の1周年をお祝いして下さり本当に有難うございました。6年分の愛を込めて送らせて頂きます。

2017.8.3 高屋


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -