▼「俺のお姫様!」と同設定






 二人が付き合いだして、部の雰囲気が変わったかというとそんなことはなくて。二人は変わらず傍にいたり遠くにいたり。ふらふらとしているのは鳴さんではなく御幸さんだ。
 この人はこの上なく狡い人だと、皆が思っている。俺だって、あの狡くて甘い人に惑わされた一人だ。何かの蜜が出ていて、それが口を塞ぎたくなるくらいの甘い匂いを発しているのではないか、と勘違いしてしまいそうになる。
 本人にその気があるのかと言うと、そんなことはないと言い張るに決まっている。それは本当のことで、俺たちオスが、勝手に惑わされているだけなのだ。
 鳴さんは苦労しそうだな、と思ったけれど、それを楽しむ人でもあるだろうから、退屈しないから、と笑いそうだ。
 降谷が御幸さんに惚れているのは有名な話で、だけど手に入れることが困難なお宝を手に入れる気にはなれないというのも事実で、それに悩んで投球練習さえまともに出来ない日があった。
 内容はさておき、御幸さんは降谷に近付き何かを言った。そのあとの降谷は、先ほどのコントロールミスが嘘のように構えるミットに投げてきた。何を言ったのか気になって後で御幸さんに聞いたけれど、「なにも言っていない」と言われてしまった。それに納得できるわけがなかったので、降谷にも聞いてみたけれど、あの降谷にさえもはぐらかされてしまった。
 それを残念に思っていると、鳴さんに捕まった。何か聞けたの、と素っ気なく言われたので、なにも、と答えると、鳴さんらしくなく舌打ちをして御幸さんの部屋がある方へと歩いて行った。
 御幸さんの部屋は野球部の、男子寮の中の端にある。本来ならば女子寮に入るべきなのだが、うちの学校には女子寮がないため、一室を改装して御幸さんの為にあしらったらしい。らしいというのは、本人から聞いたわけでもないし、信頼できる先輩から聞いたわけでもない。ただの噂なのだ。
 御幸さんの部屋には数回入ったことがあるけれど、自分の部屋となんら変わりがないし、改装したというのは間違った情報なのではないかと思っている。ただ、自分を含めほかの寮生の部屋はカギを掛ける人間がいないので誰でも出入りできるが、御幸さんの部屋はいつだってカギが掛かっている。
 当然と言えば当然だろう。甲子園を目指すために部活に専念している高校球児とはいえ、野球から離れれば思春期の少年たちだ。いつ何が起こるかわからないので当たり前のことだろう。
 でも、ノックをして名前を言って入れてもらうのも少し不用心なのではないかとも思う。何があるかわからない、というのならのぞき穴があったっていいのに。
 鳴さんが御幸さんの部屋をノックして「王子様だけど!」と言ったらドアが開いた。御幸さんの笑い声が聞こえる。きっと、あの花の様に綺麗な笑顔で王子様を迎え入れているのだろう。少しだけ、羨ましいと思ったけれど、そんなことを思うだけでも罪だ、とため息をついた。

 今日は、俺の調子が悪い番だった。不格好ながら、昨日までちゃんと取れていた降谷の球が受け止められなくて、練習内容が走り込みに変更された。こんなに球を取れないのは久々だったし、なにより降谷がとても心配していてとても申し訳なくなった。
 “大丈夫?”“調子悪いの?”“多田野君、無理しちゃだめだよ”とバッテリーを組んで初めてそんな言葉を投げかけられて、嬉しいのやら悲しいのやら。これ以上心配をかけるわけにもいかない、と考えている時に原田さんから声が掛かった。
 よかった、と安堵したのは言うまでもない。
 すいません、と頭を下げて走りに行った。原田さんの隣に、御幸さんがいたのはなぜだろう。

 走り込みが終わり、荒い息でふらふらと歩いていると、御幸さんが隣に来て、同じペースで歩き出した。手には、ドリンクとタオルを持っている。それを受け取ると、「おつかれ」と言われた。
 なんで寄ってきたんだろう。なんだかわからないけど、今は御幸さんと話がしたいとは思えない。

「来て欲しくなかったんだろ」
「え!ち、がいま、そんなこと、」

 考えていることが御幸さんにはわかってしまったらしく、意地悪な笑顔でそう言われた。なんで、どうして、わかったんだ。そんなに顔に出ていたかな。

「何が原因で調子悪いんだ?」
「わからないです」
「そう」
「はい」

 御幸さんは興味なさ気にそう言った。興味がないのなら聞かなければいいのに。俺よりも構わなければいけない人がいるんじゃないのかな、と思いチラ、と鳴さんへと視線を向ける。鳴さんは集中しているのかこちらを一切見ていない。
 俺だけが、気にしているなんて。

「成宮が気になるの?」
「…鳴さんって嫉妬深いんじゃないかなって」
「はは、確かにそうだね。でも、今は集中してるし、練習中だから」
「そうですか」
「樹は?」
「はい?」
「憧れの成宮を私に取られて嫉妬してないの?」
「…なにを言ってるんですか」

 本当に、何を言っているのかわからなかった。マドンナ的存在の御幸さんを取られて嫉妬するならばわかるが、なぜ、鳴さんを取られて嫉妬しなければならないのだろう。そんなの、おかしい。
 けれど、御幸さんはさも当然のように言ってきたので困る。おかしいことを、おかしいと言える勇気がほしいと思った。

「捕手として、優秀な投手を取られて嫉妬しない?」
「捕手としてって、御幸さん、今は捕手じゃないじゃないですか」
「はっはっはっ。確かにそうだね」
「御幸さんこそ、嫉妬しないんですか」
「何に?」
「優秀な投手が、とられて」
「しないわけないだろ?男だったらなぁ、と思ったこともあるけど、違うんだよな。女の私で受け止めたいんだよ」
「怪我しますよ」
「ははは、そうだよなぁ」

 飄々とした態度が崩される時ってどんな時なのだろう。自分には到底無理な話なんだろうけど、一度でいいから見てみたい。焦っている顔も、きっと綺麗なんだろう。
 息が整ってきたので、ブルペンへ向かおうとした。その時、御幸さんがふ、と笑って俺の頬に触れた。花のような、笑顔で。
 グラウンドには俺たち以外の部員がいるはずなのに、騒がしい声が止まり、時間すら止まってしまったのではないかと錯覚した。
 ふわ、と吹いた風が、太陽の光を浴びてキラキラと透けている御幸さんの甘栗色の髪を揺らす。琥珀色の瞳に、俺のシルエットが映る。どんな風に、見えているのだろう。間抜けな顔を晒してはいないだろうか。
 御幸さんは、憂いさも、儚さも、愛しさも感じる表情をしている。向ける相手を、間違えてはいないだろうか。

「大丈夫。お前のリードは間違ってないよ。継続は力になるから、ちゃんと続けていこう。樹なら、できるから」

 御幸さんが言い終わると、止まっていた時間は動き出した。特別な言葉を投げかけられたわけではない。それなのに、心臓はどくどくと早く動き、全身の血が巡っているのがわかる。
 あの時、御幸さんに声を掛けられた降谷も、こんな風になったのかな。
 むず痒い、と思った。胸が擽られて、抱きしめてしまいたいと思った。この人が言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。これは、魔法の言葉かもしれない。
 遠くで、鳴さんの声が聞こえる。

「御幸さん」
「んー?」
「御幸さんってたらしですよね」
「はっはっはっ、もしそうだとしても本人に言う言葉じゃないよな」
「言っておいたほうがいいと思いました」
「たらしじゃないけどなぁ」
「いやいや、もっと自分を知ったほうがいいですよ」
「なかなか言うじゃないか、樹〜!」

 御幸さんが俺の頭をガシガシとかき回した。鳴さんの怒号が響く。なのに、御幸さんは手を止めようとしない。気まぐれなお遊びに巻き込むのはやめてほしい。

「鳴さん、怒ってますよ」
「怒らせておけばいいんだよ」
「そんな、」
「どうせすぐに機嫌直るから」
「なんでわかるんですか?」
「わかるよ、成宮のことだもん」

 ぐっと、心臓を掴まれたような感覚と、眉間がぴくりと動いたのは同時だったと思える。やっぱり狡い人だと思う。ドキドキと、心臓が鳴る。聞こえていやしないだろうか。
 俺はこの人が好きなのだと思うけれど、それは、鳴さんを想っている御幸さんが好きなのであると確信した。だって、鳴さんのことを話す時のこの人は、花のような綺麗な笑顔で愛しそうにしているのだから。
 この人の蜜は、どろどろな砂糖のような甘さだ。その甘さで人を魅了して、離さないのだからたちが悪い。
 御幸さんと共にブルペンに向かうと、鳴さんが怒りながら俺に向かって歩いてきたけれど、その前に御幸さんが「さっきの球凄かったな、もう一回見せてよ」なんて言うとすぐに機嫌を直した。
 鳴さんもなかなか単純な人だと思ったし、御幸さんの、「成宮のことならわかる」という言葉の意味も理解した。

 練習終わり、原田さんが「お前を走りに行かせたほうがいいって言い出したのは御幸だぞ。まったく腹が立ちやがる」と告げてきて、やっぱり狡い人だな、と思った。




2014/11/10 05:18


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