▼「俺のお姫様!」などと同設定







 はぁ、とため息をついてしまったのを聞き逃さないのが成宮鳴という男だ。目敏いこの男は、目の前にやってきて、頬を膨らませた。なにそれ、可愛いだけなんだけど。

 出会ったのはとても前、なんて言ってみるけれど数年前、の今日だ。初めて成宮鳴を見たとき、絵本の中から飛び出してきた王子様かと思った。キラキラと輝く髪も、雲一つない空みたいな瞳も、とても惹きつけられた。
 それに見惚れないわけがなくて、少しだけぼーっとしてしまった。だって、今まで出会った人の中で、こんなに惹かれる人はいなかった。王子様みたいだ、と思った。
 王子様の投げる球だって、惹きつけるにはもってこいだった。バッテリーを組んでいる相手を随分と困らせていたのも印象的で、マウンドで何度首を横に振っているのを見たことか。
 いいなぁ、あの人の球を受けたいなぁ、なんて欲求が湧いて出て、頭を思い切り振った。今は試合中だし、勝つことに集中しなければ。今バッテリーを組んでいるのは、自分のチームの投手なのだ。この試合が終わったら考えればいい。
 彼がマウンドに立った時点で、勝負はついていたのかもしれない。そう思わせるほどの野球センスを持ち合わせている人物だと思った。
 彼のことをもっと知りたい。
 この欲求をどうやって満たそうか、なんて考えていたら、後ろから声を掛けられた。まだ、監督からの総評も聞いていないというのに、誰だろう、と振り返ると、眩しいと感じるほどの色素の薄い髪が、太陽の光に当たってキラキラしている、あの、マウンドに立っていた王子様が立っていた。

「えと、なに」
「俺、成宮鳴!」
「うん?」
「名前は?」
「ああ、御幸一也」
「カズヤっていうんだ!俺のことは鳴って呼んで!」

 マウンドで見せたような傲慢さが、自分にも向けられるとは思いもしなかった。瞳がキラキラと輝き、その瞳には私が映っている。大きくて、綺麗な、ビー玉のような瞳だ。
 見とれていると、“なるみやめい”の唇が開き、「カズヤ」と呼んだ。一也って?それは、私しかいない。チームメイトからだって下の名前を呼ばれたことがないのに、“なるみやめい”は、簡単に名前を呼んだ。呼ばれなれていないその名前に、背筋がぞわりとした。

「なに」
「この後って、時間ある?」
「なんで?」
「カズヤと話がしたいから!」

 そういってにかっと白い歯を見せて笑う成宮鳴に、どきりと心臓がひと跳ねした。こんなことは、初めてで、どうしたらいいのかわからない。でも、断ることもできそうにないので、頷くことにした。
 だって、この傲慢な投手は、ノーなんて聞き入れないと思ったから。

 監督からの総評も終わり、現地解散なので、“なるみやめい”のチームが終わるまで、ベンチに座って待っていた。
 頭の中で、何度も何度も“なるみやめい”の名前を繰り返す。その度にどくんどくんと心臓が鳴って、不思議な気持ちになった。どういう字を書くのだろう。
 めいって、女の子みたいな名前だけど、あの子も女の子なのかな。でも、身長は低いけど体つきは成長途中の男の子のような気がする。見た目じゃ、やっぱりわからないなぁ。
 きっと、“なるみやめい”も、私を男だと思っているに違いない。だって、名前は一也だ。この名前で女の子だという子を、私以外に見たことがない。見た目だって、まだ女だとは言い難いだろう。これでスカートを穿いていれば間違われないだろうが、私はスカートが苦手なので、ズボンばかりを穿いている。それのほうが、楽だし。
 ベンチに座り、足をブラブラさせていたら、少し離れた場所から、「カズヤ!」と呼ぶ“なるみやめい”の声が聞こえた。顔を上げて、確認すると、太陽のような眩しい笑顔で走り寄ってきた。この男は、どうしてこんなに眩しいのだろうか。ああ、王子様だからかな。
 掛けてきた王子様は、隣に腰かけた。

「ねぇ」
「なに!?」
「…、“なるみやめい”って、どういう字を書くの?」
「えっとね、」

 質問をされたのが嬉しかったのか、満面の笑みで返事をしてきて、吹き出しそうになってしまった。
 “なるみやめい”は、地面に字を書き始めた。あの素晴らしく人を惹きつける球を投げる手とは反対の手だった。お世辞にも綺麗とは言えない字が書き終わるのを待つ。
 “成宮鳴”という字を書くのだと、自慢してきた。自慢をしてきたのはよくわからないけれど、フッと笑っておいた。この字を頭の中にインプットして、また、何度も頭の中で繰り返した。家に帰ったら、ノートに書き込まなくては。
 「カズヤはどういう字を書くの?」と言われたので、成宮と同じように地面に名前を書く。成宮よりは、綺麗に書けた文字に少しだけホッとした。だって、男の子より字が汚いって、なんだか恥ずかしいから。

「みゆき、かずや」
「うん」
「名前みたいな苗字だね」
「うん」

 そっちが下の名前のような感覚に何度も何度も陥ったけれど、私の下の名前は変わらず一也なのだ。特別仲が良い子がいるわけではないけれど、女の子たちはみんな“みゆきちゃん”と呼んでくる。だから、錯覚してしまうのだ。いじめられていないだけ、ましなんだろうな。

「それで、話ってなに?」
「ん?」
「ん?じゃなくて、話がしたいって」
「べつに、これと言ってなにかあるわけじゃないよ。ただ、俺の女房役になってほしいなって思っただけ」
「は?」

 成宮鳴が傲慢で、我儘なのは今日の試合で十分わかったけれど、こんな突拍子も無いことを言い出すとは思わなかった。一瞬だけ「それってどっちの意味?」と思ったけれど、どっちもなにも、野球において、に決まっている。
 まっすぐに見つめる瞳に強い意志を感じて、思わず頷いてしまいそうになったけれど、私は、成宮鳴とバッテリーを組むことはできない。私が男の子と混ざって野球ができるのは、高校に入るまでだ。

「残念」
「なに?」
「成宮とはバッテリー組めないよ」
「なんで」
「だって、シニアが違うし」
「これから先の話だよ。未来の話!」
「うん、わかってる」
「どうして?高校で甲子園目指すでしょ?」
「…うん」
「じゃあ、俺と一緒の学校に行けばバッテリー組めるよ」
「組めないよ」
「なんで!」
「女だから」
「は?」
「私、女なんだよ」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、このことを言うのだろうか。驚くのは無理もない。だって、私は女だけれど、周りからは天才だなんだと言われ、強肩だとか、野球センスが素晴らしいだとか、その他もろもろ言われているのだから。
 そう言われる度に、どうして私は男の子じゃないのだろう、と思ったけれど、女である自分が嫌いなわけではないのだ。小さいころからやっている野球を奪われるのは悔しいけれど、仕方のないことだ。
 ソフトボールでもやれば、と言われたけれど、男の子に混ざってやる野球が好きだから、その言葉には曖昧な返事ばかりをしている。

「おんなのこ」

 そう呟いた成宮が、私の頭からつま先までを何度も繰り返して眺めている。おかしいの。
 見た目でわかるほど、成長してないんだよ。そりゃ、間違えるよね。

「…女房役にはなれないけど、女房にはなれるよね」
「は?」

 おかしなことしか言えないのだろうか。“女房役にはなれないけど、女房にはなれるよね”だと?これは、どういう意味だ。どういう意味って、そのままの意味じゃないのか。初対面の人間に言う言葉ではないだろう。
 私の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる。その言葉を何度頭の中で繰り返しても、私には理解できなかった。

「言っている意味がわからないのですが」
「なんで?」
「なんでってどういうこと?」
「女房になってって言ってるんだけど」
「いやいや、自分でおかしいこと言ってるなって自覚はないわけ?」
「は?意味わかんない」
「それはこっちのセリフなんだけど」

 投手という生き物はとても変わっていて面倒な奴ばかりだと思っているけれど、成宮鳴は典型的すぎやしないか。傲慢もいいところだ。女房役になれないとわかったら、自分の女房になれだと?初対面の相手に言うには過激すぎやしないか。
 そんなこと言われたって、答えられるわけがないのに。

「…考えておいてよ」
「いやいやいや」
「おねがい、一也」
「お願いって言われても…」
「友達からはじめよう」
「あ、はい」

 差し出された左手に、思わず自分も手を出してしまった。成長途中の、まだ小さい手なのに、皮膚は硬くなっていて、ああ、投手の手だ、とぼんやり考えていた。あの素晴らしい球を投げる、この左手が、いま私に触れている。
 目の前の天才は、努力を惜しまず練習に励んでいるのだろう。その結晶を、私だって、受けてみたい。

「じゃあ帰ろう」
「あ、うん」
「送ってくよ」
「え、いいよ」
「だめだよ。女の子なんでしょ?女の子には優しくしろって言ってた」
「誰が?」
「お母さんとか、ねぇちゃんとか」
「ふぅん。でも、ほんとにいいよ」
「だめ。だって、何かあったら困るもん」
「もんって…」
「なんだよ!あれだよ!男が送っていくって言ってるんだから、女の子はそれに素直に従うべきだよ!」

 少しだけ頬を赤く染めた成宮が、送られるべきだ!と叫んだ。あんまり大きな声を出すなよ。誰もいないわけではないのだ。犬の散歩をしている人や、ランニングをしている人だっているのに。
 成宮が言っていることにも一理あるので、その言葉に甘えることにした。男に、投手に恥をかかせるわけにはいけない。
 「わかったよ」と言うと、満足そうな顔をして手を差し出してきた。意味が分からず、首を傾げると、「手」と言われ、右手を掴まれた。厚くなった掌が、私の手を優しく包む。手を振りほどきたいくらい恥ずかしかったけれど、この手を傷つけるわけにはいかないので、このまま家まで送ってもらった。

 それが、数年前の今日あった話だ。きっと鳴は覚えていないけれど、私は忘れることができない。だって、“女房役になれないなら女房になってくれ”なんてことを言われたのだ。あの時はおかしな奴だ、と思っているだけだったが、今思えばこの言葉はプロポーズではないか。
 思い出して、頬がカッと熱くなった。目の前にいるのは、あの時の王子様。不満げに頬を膨らませていたはずなのに、急ににんまりと顔を歪めた。この顔、嫌いじゃないんだよなぁ。

「なに」
「一也、ほっぺ赤いよ」
「うるさいなぁ」
「なに思い出したの?初めてチューした時のこと?」
「あー、それよりも恥ずかしいこと」
「えー!なんだろう!教えて!」
「やだよ」

 教えてやるもんか。思い出すまで言うつもりもない。だって、こんなこと言うの恥ずかしいじゃないか。「お前、昔、私を女房にするって言ってたよな」なんて自分から言えるわけもない。そりゃあしてくれるなら、とか、なんとかっていうのは鳴には秘密だ。鳴に心変わりする可能性があるうちは、言ってはいけない。
 私の幸せはどうやら鳴にあるようだけれど、鳴の幸せが私にあるのかどうかっていうのはわからない。馬鹿なこというな、と叱られてしまいそうだけど、未来のことなんてわからないから。
 鳴が、私の右手に触れた。

「一也ってずるいよね」
「なんで?」
「なんでも」
「よくわかんないな」
「好きだよ」

 愛を囁かれることに、一生慣れることはないのだろうと思う。どきどきと心臓がうるさい。これでは、鳴に聞こえてしまう。もう、聞こえてるかもしれない。
 一生って、鳴以外に愛を囁く相手と言ったら、と考えて浮かんだ人物に、吹き出しそうになった。でも、こんなに恥ずかしくて、心が擽られるような気持ちになるのは、鳴だけなんだろう。

「なーに笑ってんの」
「めーい」
「なーに」
「…す、き」
「…!俺も!俺も一也のこと大好き!」

 愛を囁かれるのに慣れないなら、愛を囁くことにだって慣れるはずがない。ああ、きっと顔も、耳も、全身が真っ赤なんだろう。恥ずかしい。鳴は、にこにこと私の大好きな笑顔で笑って、あの時の様に、私の右手を掴み、優しく包んだ。

「ねぇ、覚えてる?今日って、一也と初めて会った日だよ」

 出会ったころと同じで、キラキラと輝く鬣のような色素の薄い髪は眩しくて、雲一つない空のような大きな瞳に私が映っている。
 心の中で、もう一度、好き、とつぶやいた。




2014/11/08 01:59


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