通い妻
現パロ






 学校終わり、もう日課になってしまったあの男の家へと向かうために、自宅とは反対方向へと歩き始めた。“真っ直ぐ家に帰るべし”なんていういい子ちゃんに向けた校則なんて、俺には全く関係がなかったし、校則違反をしているのは俺だけではないだろう。そもそも、高校生にもなって寄り道せずに帰るという方が不自然であり、不健全なのだ。このルールを決めた人間だって、学生の頃は寄り道をしてから自宅へと帰ったことくらいあるだろう。
 守るべき校則は、守っているつもりではある。男子生徒の髪の長さについては、守れていない自覚はあれど、この伸ばした髪を切る気は更々ない。なぜ、女子生徒は許され、男子生徒は許されないのか、俺には理解が出来なかったし、担当の教師も納得のいく説明を与えてくれなかった。では、守る必要もないだろう。髪を結んでいるだけ大目に見て欲しい。

 比較的人通りの多い道を通る。他校の女学生が友人と思わしき人間とクレープを食べ歩いていた。すれ違いざま、ふわりと香るフレグランスの匂いと、出来立てのクレープの匂いが鼻孔を擽った。ぐる、と腹の虫が鳴る。母の作った昼飯だけでは足りず、購買でパンを買って食べたというのに、育ち盛りの身体はまだ食べ物を求めている。これから夕飯の材料をスーパーに買いに行くのだから、食べ歩きできるものを買うのは諦めた。
 週に何度も家に訪れ食事を作るものだから、料理の腕がかなり上がった。両親が疲れて帰ってきた時に夕飯の準備をしておくと、かなり喜ばれる。“私たちの為にありがとう”と言われるけれど、料理をするのは二人の為ではない。生きていくために必要なスキルでもあるし、あの男の喜ぶ顔が見たいから料理をするのだ。もちろん、二人の喜ぶ顔も見たいけれど。目を細めて優しく笑う顔が、脳裏を過る。本人に言ったことはないし、これから先も言うつもりはないが、あの顔が好きだ。

 制服を着て個人経営のお店に行くと、おつかい偉いわね、と言われておまけをして安くしてくれたり、果物をくれたりする。何か貰った時の為に、先に個人経営のお店に行ってからスーパーへ行くことにしている。素直じゃないと言われるが、それだけは素直に受け取っておく。こういうところでは、素直な子供が好かれると言うことを理解していた。大人の望む子供は、少しだけ疲れる。
 個人経営のお店での買い物を済ませ、子供連れの主婦たちで賑わうスーパーへと向かう。タイムセールには少し早い時間だが、相変わらず大型スーパーには人が溢れかえている。お菓子売り場には、親元を離れた子供たちで賑わっていた。
「あ、ランドルだー!」
 一人が声を上げると一斉に子供たちの瞳が此方を向く。あの男の家の近所に住む子供が、名前を呼んでにこにこしている。あの男の帰りを待っている間、近くの公園で暇をつぶしている時があり、いつだったか、子供が近寄ってきて遊べと強請ってきたのを思い出した。
「デカい声で名前を呼ぶな」
「またかよいづましてるのか!?」
「いったい誰がそんなことを言ったんだ?」
 近寄り、子供の頬を軽く引っ張った。へらへらしている表情に、隣の家に住む腐れ縁の男を思い出した。子供の無邪気な顔を見ると、鬣のような黄金に輝く髪を持つあのバカのことばかり脳裏に過る。極力、子供とは関わらないようにしているが、そうもいかない時があるのだ。
「なー!戦隊ごっこしよう!」
「それは俺じゃなくてウェルダーとやればいいだろ」
「ウェルダーはあかてん?とったからしばらく遊べないって」
 子供に大人気のウェルダーは、戦隊ものが好きで、人混みが苦手で、顔に大きな傷のある長髪の男だ。祭りの時期は夜店で射的の商品を掻っ攫うほどの腕前を見せると、前に聞いたことがある。勉強が苦手だと、誰かが言っていたかもしれない。
「な〜、遊ぼうよ〜」
「買い物したら夕飯の準備をするから無理だ」
「けち!かよいづま!」
「お前それ意味わかって言ってんのか!?」
「しらない!」
「意味を知らないなら言うな」
「なんでだよ〜!」
 駄々をこねる子供は苦手だ。こいつの場合、こちらの反応を見て楽しんでいるのだろうけれど、言っている言葉が悪すぎるだろう。いったい誰がそんな言葉を教えているのか。昼にやっているメロドラマだとしたら、即刻放送を中止すべきだ。
 騒いでいる声に気付いたからか、母親がお菓子売り場にやってきた。気の強さを感じさせる眉の角度に、ぬばたまの瞳が印象的だ。
「ランドルちゃんじゃない。今日も買い物?」
「あぁ」
「騒がしくてごめんねぇ。ウェルダーちゃんが遊んでくれないのが気にくわないみたいで」
 駄々をこねて座っていた子供を無理やり立たせて、隣に並ぶ。買い物かごには野菜がたくさん入っていた。人の家の夕飯を想像するのが、結構好きだ。
「今日は白菜が安いわよ」
 携帯電話に届いたメールマガジンにも、そんなことが書いてあったような気がする。主婦同士がするような会話を二言三言交わしていると、子供がこっそりおもちゃ付のお菓子を買い物かごに入れていた。そーっと、ばれない様に入れている姿が可愛くて、共犯になる為に会話をし、母親の気を逸らしてやった。今は怒られないだろうけど、きっと家に帰ってから怒られるのは目に見えている。“通い妻”と言った仕返しだ。許せよ。
 会話を終わらせ、目的の場所へと向かった。この間買って行ったせんべいを食べきってしまったとメッセージが入っていたから、それの補充がしたかった。珍しくバクバク食べていたからすぐに無くなってしまうと思っていたが、いない間に無くなるとは思わなかった。無いものを知らせてくれるのはありがたい。俺もあのせんべいが好きだから、少し多めに買っておこう。
 先程の母親が教えてくれた通り、個人経営のお店よりもこちらのスーパーの方が白菜は安かった。せんべいの袋を端に寄せ、空いたスペースに白菜を入れる。人参としめじと肉を買って、中華丼にしてもいいかもしれない。魚があると言っていたけれど、それはスープに回そう。
 酒が無くなったと言っていたが、学生服を着ている俺には買えないから、それはあの男が勝手に買えばいい。酒を飲むといつも以上にべたべたと身体に触れ、髪に触れ、熱視線を向けてくる。嫌いじゃない。好きだ。自分だけが特別になったような気がして、身体が甘く痺れてしまう。
 頭を振り、買い物を済ませてスーパーから出た。心地よい風が、惣菜屋の匂いを運んでくる。空は青から赤へと色を変えている途中だった。きらり、一番星が光っている。
 両手に買い物袋をぶら下げ、歩き始めた。人通りの多い道は、何を急いでいるのか走っている人や犬の散歩をしている人、手を繋いで歩いている親子で溢れかえっていた。両手に買い物をぶら下げていると、邪魔になってしまうかもしれない。どうせ、反対側の道に行かなければならないのなら歩道橋を使ってしまおう。今日は体育も無くて、身体を動かし足りない。
 歩道橋の階段を二段ずつ登っていく。あまり使われていないから、前にも後ろにも誰もいない。橋の上から見下げると、少しだけ小さくなった人たちが忙しなく動いている。視線を進む方向へと戻す。見慣れた、男が一人、笑っている。
「よぉ、迎えに来たぜ」
 手を上げ、歯を見せて笑う男の背後ではグラデーションが終わりかけている。狡いと思った。こんなにも心を占めている男が、偶然かもしれないが、自分を見つけて階段を上り、橋の上で待っているなんて、狡いだろう。買い物袋を落としてしまいそうだった。鼓動は五月蝿く痛み、冷たい風が頬を掠め、薄桃の長髪を揺らす。
 へらへら笑う男が、こちらへ歩みを進める。まだ肌寒いというのに、半袖でいるのは早すぎるだろう。縫い付けられた様に動かない脚に、脳が動くように命令する。止まって待っていたら、揶揄われることは分かっている。
 なんとか動いた脚は、歩道橋の真ん中まで進んだ。余裕のある優しい瞳が、少し低い身長の俺を見下げる。
「ほれ」
「ん、」
 片手を出され、意図を理解し買い物袋を渡す。中身を確認して、子供のように笑った。
「随分たくさん買ったじゃねェか」
「好きなんだろ」
「まぁな」
 頭を撫でた大きな手に、その“好き”への同意は何を示しているのか考える。答えは、腰に回された腕に込められているような気がした。
 階段を下りる頃には、その腕は名残惜しそうに腰を撫で離れて行った。
 他愛もない話に、先程の親子の名前が出てきた。親子がそろそろ来ると言うのを教えたらしい。通い妻、という言葉も添えて。こいつは大きな声で笑っていたが、目だけは笑っていなかった。今日の帰りは遅くなるかもしれない。マンションに着くころには、空は群青に染まり、星が輝いていた。





2018/05/14
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