「景吾さん……」

 降りしきる雨の中、彼は傘もささずに天を仰ぎながら立ち尽くしていた。

 家で本を読んでいたら、ふと耳にサーッと雨が降る音が聞こえてきた。次第にパチパチと窓を打ち付ける雨音に変わった頃、脳裏に傘を持たずにテニスの練習に出かけて行った愛しい彼を思い出す。車で出て行ったから傘を持っていなくても心配はないのだけれど、なぜか胸騒ぎがする。
 携帯で連絡を取ってみるも、出てくれる気配もない。軽く身支度を整え、彼の傘を掴み外へと飛び出した。決して徒歩でも行けない距離ではない。小走りでテニスコートへと向かえば、フェンス越しに彼を見つけた。

 雨の音に負けないように、彼をこちらに引き戻すように「景吾さん!」と叫べば、天から私へと視線をゆっくりと映してくれた。私を視界に捉えた景吾さんはいつもと変わらない柔らかい笑みで私の方へと歩いて来た。

「どうした? うい」
「どうしたって……。こっちのセリフです」

 余程私の声色が呆れてるように聞こえたのだろう。練習着が肌に張り付き、髪はびしょ濡れな事にたった今気がついたというように彼は「それもそうだな」と自嘲した。

「明日、大切な会議だと言ってたじゃないですか。風邪ひいちゃいますよ。帰りましょう?」

 若くして社長になった彼に倒れられたら困る人がたくさんいるのだ。私もその一人。

「準備してくる。待ってろ」

 私は頷き、しばらくすればフェンス越しではない彼がこちらへと歩いて来る。急いで駆け寄り傘を渡す。

「悪かったな」
「そう思うなら雨に打たれるなんて学生みたいな青春やめてください」
「すまねぇ」

 私にはわからないようなプレッシャーだってあるだろう。いくら完全無欠に見えていたって彼だって私の隣を普通に歩いている人間なのだ。少し先を歩いている彼の背中に心の中でお疲れ様ですと呟いた。


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