彼の指揮する演奏を聞いて完璧主義だなと思った。まぁ、聞かなくても容赦なく飛んでくる彼の指示を見ていればそのものなのだが。
今日のSオケも特にまとまりなく終わってしまった。すでに片付けが終わったホールで私は舞台上で一人項垂れる彼に声をかけた。
「お疲れ様」
「ああ、上杉か」
譜面台の上に置かれている楽譜にはものすごい量の書き込み。それに反してスカスカの演奏。努力が報われていないというやつだ。
「シュトレーゼマンとエリーゼは?」
「シュトレーゼマンはいつものとこ。エリーゼは何か予定が出来たとか言ってどっか行っちゃった」
「上杉も大変だな」
「いつもの事だから」
コンヴァトの生徒でありながら、この事務所のバイトに採用してもらったのはとても運がいいのだろう。しかも指揮者を志すものにとってシュトレーゼマンのお付になれるのも余程運がいいとしか言い様がない。
ただ自由奔放な巨匠に振り回される毎日で事務仕事ばかりな毎日。そして巨匠はいきなり日本に逃亡。自分の勉強の時間も無くなるばかり。ただのバイトなので、教えてもらうことも叶わず、勉強がしたいと巨匠の指揮を見ようとしても別の業務を頼まれる。
もうここのバイトを辞めてしまおうかと思っていたところで千秋に出会ってしまった。彼は海や飛行機が苦手で海外に行きたくても行けない身だという。だから巨匠が大学に来た今がチャンスだとしがみついている。そんな姿を見ていたら私には必死さが足りないのだと思わされてしまう。
「なぁ、上杉ならこのオケどうする?」
突然の投げかけに戸惑ってしまう。どうと問われても私もあそこまで酷い演奏をする人たちの指揮をした事はないし。
「うーん……。わかんない」
「……だよな」
けれど、聞くとこによるとシュトレーゼマンはこのオケを見事に鳴らしたという。
「力になれなくてごめん」
「いや、大丈夫だ」
「それじゃあ」とホールを後にする疲れた背中を見送った。