ヒガンバナ―悲しい思い出


目が覚めて、一番最初に見たものはモルジアナ殿の寝顔だった。

「――っ!」

驚きのあまり声が出そうになるのを必死で押さえる。
未だ静かな寝息を立てて眠るモルジアナ殿を起こしてはいけない。
状況を把握するために首だけを動かす。
質素なように見えて最低限の家財道具が揃えられている見たことのない部屋。知らないベッド。隣に寝るモルジアナ殿。
――ああ、そういえばお茶のみの途中で酔ってしまったのだったか。
未だぼんやりと霞がかった頭を振って、ゆっくりと体を起こす。

「頭、痛い……」

独り言は広い部屋に溶けていく。
と、隣に寝ているモルジアナ殿から小さく吐息がこぼれる。
どきりと高鳴る胸。

「……え?」

見れば彼女は涙を流していた。
夢見が悪いのか、眉間に皺を寄せて一筋、また一筋閉ざされた瞼から涙が零れる。
どうにもできないもどかしさのうちに、そっと彼女の頭を撫でていた。
指に引っかかることなくさらさらと流れる髪。

「モルジアナ殿」
「…………はい」

まさか返事がくるとは思ってもみなかったから目を見開く。
起きていたのか……? いつから?

「起きていたのですか?」
「今、目が覚めました……。白龍さん、具合はいかがですか?」
「いい、とは言えませんね」

俺の苦笑にそうですか、と薄く笑ってモルジアナ殿は緩やかに体を起こす。
その姿が何となく艶やかというか色っぽくて少しばかり頬が染まる。
いつもの溌剌とした彼女も素敵だけれど、こうして寝起きでぼんやりとしている彼女もまた違った印象でいいと思う。
決して下心とかでなく。

「白龍さんって酒乱の気があったのですね」
「え!?」

モルジアナ殿の言葉に驚く。
驚くだなんて言葉では温い。驚愕とでも言ったほうがいいか。
思い出そうにも記憶がないからどうにもできない。
もしかしてモルジアナ殿に何か失礼をしてしまったのだろうか。

「酔ってる時の白龍さん、凄かったですよ」
「え、あの……その話詳しく伺いたいのですが」
「恥ずかしくて言えません」

モルジアナ殿が恥ずかしがるほどのことをしたのか!?
内心頭を抱えながらこれ以上この話題を広げることができないことを察して、別の話題に移る。
別の話題、というか先ほどからずっと気になって仕方がないことを尋ねる。

「モルジアナ殿、夢見が悪かったのですか?」

どうして、と言いたげな表情を貼り付けて、彼女は俺をじっと見据える。

「寝ている間、泣いておられましたので。何か嫌な夢でも見たのではないかと……」
「……………………」

たっぷり間を置いて、小さく弱々しい言葉で「はい」と肯定の言葉を口にした彼女はどこか怯えているようにも見えた。
どうかしたのですか、大丈夫ですか、なんて言葉をかけるべきなのだろうか。
それともこのまま聞かずに話題を変えてしまったほうがいいのだろうか。
判断に困っていると意外にも彼女の方から話を広げようと言葉が続けられる。

「怖い、夢を見ました」
「怖い夢?」
「いえ、夢ではないですね。あれは現実です。私がつい最近まで身を置いていた、置かなければならなかった……そしてもう二度と置くことのない、置きたくない現実でした」

そして何かを決心するかのように、一度大きく深呼吸をしてから彼女は重い口を開く。

「私は――ついこの間まで育ての親に軟禁されていました」
「…………え?」

軟禁? ってあの軟禁か?
絶句している俺に彼女は続けて言葉を綴る。

「外に出ることを許されず、育ての親以外の人間に会うことができず、ずっと暗い部屋で、必要な時だけ労働力として使われ、ストレス発散のはけ口として殴られ蹴られ続けていました」
「なんで……そんな……」
「私をその暗闇から救い出してくれたのがマスルールさんとアリババさんとアラジンでした。救い出してくれて、もう二度とあそこへ戻らなくてもいいようにマスルールさんが後見人になってくださって、アラジンとアリババさんがサージャル邸に手伝いとして置いてくださったのです。さっき泣いていたのは、軟禁状態の頃を夢見て、それで、」

それ以上彼女に言葉を紡がせてはいけない。
そう思ったと同時に、彼女の華奢な腕を引いて自分の腕の中へ閉じ込めた。
突然の引力に逆らうことなく、でもいきなりのことに驚いて目を見開く彼女に俺は何と言えばいい?
何を言えば安心する?
どうしたら、この悲しそうな表情をなくせる?

「モルジアナ殿、すみません。あなたにそんな顔をさせたかったわけではありません。辛いことを思い出させるつもりもありませんでした。知らなかったこととはいえ非礼をお詫びします」
「白龍、さん……あの、」
「すみません。すみませんモルジアナ殿。でも、もう大丈夫です。あなたの今までの人生は暗闇だったのかもしれません。だけど今はアリババ殿やアラジン殿、マスルール殿に俺がいます。自惚れだと笑っていただいて構いません。それでも俺はあなたのことを、一生幸せな明るい世界に引っ張り上げます。引っ張り上げてみせます。だから、そんな悲しそうな顔をしないでください。俺は――あなたのことを絶対幸せにしてみせます」
「…………え、あ……はい」

困惑の顔で俺を見上げて、曖昧な返事をする彼女の頬が微妙に熱を帯びている。
何故だろう、と考えて――考えた先には今しがた口にした自分の言葉。
一瞬で顔が真っ赤に染まる。
待て。待て待て待て待て。今、俺……もしかしてプロポーズをしたのか?
あなたのことを絶対幸せにしてみせますって誰がどう聞いてもプロポーズの言葉じゃないか!
途端に込み上げる恥ずかしさと熱に耐え切れず、腕の中に閉じ込めていた彼女を解放し、そのままベッドを転がって着地。
この前のモルジアナ殿のように、今度は俺が脱兎のごとく部屋から出ていく番となった。



(白龍さん、何をあんなに焦っていたのかしら……)

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