デージー―乙女の無邪気


リンリンリン、と聞き慣れない音に驚いて辺りを見渡せば、その音は部屋の隅に置いてある小さなテーブルから鳴っていた。
正確にはテーブルの上に置いてある携帯電話から。
恐る恐るフリップを開いて画面に表示されている名前と番号を確認する。
そこに出ていたのは知らない番号。
名前が出ていないということはアドレス帳に登録していない人からのものだとはわかる。
電話に出るべきか否か、悩んでいるうちに着信が切れてしまった。
かけ直した方がいいのかと着信履歴のページを開けたところで再び同じ番号からの着信。
出てみようか……。
通話ボタンを押し込んで、携帯電話を耳に当てる。

「…………」
『…………』

向こうから何か話してくるのかと思って待ってはみるものの、一向に反応が返ってこない。
不審に思って通話を切ろうと耳から電話を話したその時だった。

『……モルジアナか?』

聞き覚えのある低音。
すぐさま耳に当て直して返答する。

「はい。……マスルールさんですか?」
『ああ』

相変わらずの短い返事。
そういえば、マスルールさんと最後に会ったのはサルージャ邸への住み込み職が決まった時だったかしら。

「お久しぶりです。お元気ですか?」
『ああ。お前、携帯を買ったそうだな』
「はい。この前白龍さんに一緒に行ってもらって買いました」
『そうか。近々顔を見せに来い。先輩達もお前達に会いたいと言っている』
「わかりました。では近々伺います」
『ああ……そういえば、恋人ができたそうだな。よかったな』

事のついでのような物言いだけど、そこにはマスルールさんなりの気遣いも含まれていて、電話口だというのにほんの少し笑みがこぼれる。

『今度連れてこい』
「わかりました」
『じゃあな』
「はい」

ツーツーと無機質な電子音。
フリップを閉じて、それをまたテーブルの上に戻す。
この間、携帯電話を携帯しないなんて意味がないとアリババさんとアラジンに言われてしまったけれど、私の着ているスカートにはポケットがない。持ち歩こうにも手に持たなければならない。そうなると仕事の邪魔になるので、結局屋敷にいる間はこうして自室のテーブルに置くしかないのだ。
でも、確かに二人の言うことは尤もだと思う。
というかそもそも携帯電話を買った理由が離れているところにいても簡単に連絡が取れるから、であったはずなのに、その連絡手段を手元に持っていないなんてまるで意味がない。せっかく白龍さんに暑い中御足労願ったというのに。
携帯を入れておくポケットがないのなら作ればいいではないかと言われそうだけど、生憎力仕事は得意でも裁縫などの細かい作業は苦手だ。
困ったわね、なんて独り言を呟いてため息を一つ。
ふと、時計を見れば仕事の時間が差し迫っていた。
そしてまた、私は携帯電話を携帯せずに部屋を出るのだった。

*


「という電話がマスルールさんからありました」
「そっか、そういえばあの人ともずいぶん会ってないもんな」
「じゃあ久しぶりにみんなで会いに行こうか!」

午後の仕事の合間。
少し休憩でもしようか、というアラジンの提案に乗る形で庭に集合したアリババさんと私。
午前中にあった電話のことを話したら、二人してへぇ、と感嘆した次の言葉がそれだった。

「それにしてもマスルールさんって携帯使えたんだな」
「アリババくん、それは失礼だよ」
「いや、だってよ。あの人機械系とか持ってるだけで壊しそうなイメージがあるからさ」
「それは……私も何となくそう思います」
「だろ? で、いつ行く?」

行くにあたって三人の都合を合わせなくてはならない。
私はサルージャ邸での仕事だけだけれど――仕事と言っても部屋の掃除やら庭の草むしりやらこれで本当に住み込みで仕事をさせてもらっていいのかどうかもわからないような仕事だけど――二人は外に仕事に出ている。
アリババさんは企業から企業へと物を売って歩いていて、アラジンは確か学校の先生だったような……?
普段気にしていないことだけれど、この二人は何をして生計を立てているのだろう。

「僕はいつでも大丈夫だよ」
「俺も大体大丈夫だな。なんなら明日とかに行っちまうか?」
「そ、そんな急にお仕事をお休みしてしまっても大丈夫なのですか?」
「かまわないよ」
「俺もほとんど自由業みたいなもんだしな。明日はちょうど、どことも予定は入ってないし」
「では、お二人が大丈夫でしたら、私も……」
「二人? 何言ってんだモルジアナ。白龍も一緒に行くんだろ?」
「え……?」

呆ける私にアリババさんが首を傾げる。
アラジンもそれに伴って首を傾げる。

「恋人を連れてこいって言われたんだろ?」
「そうでした」
「モルさん、白龍おにいさんに電話して聞いてみてよ」
「私今携帯電話を持っていないのですが……」
「またかよ! ほら、俺の貸してやるから」

そう言ってアリババさんはポケットから自分の携帯電話を取り出して差し出してくる。
自分以外の携帯電話なんて扱うこと自体初めてなのでどれがどのボタンなのかわからず四苦八苦していると、「貸してみな」と私からそれを受け取って慣れた手つきで操作するとそれを戻してくる。
画面を見ると通話中の文字。
携帯電話を耳に当てると、白龍さんの声。

『アリババ殿!? ちょっと何なんですか! 切りますよ!』
「白龍さん、あの」
『モルジアナ殿!? え、あれ? これアリババ殿の携帯番号じゃ……?』
「はい。私の携帯電話は今手元にないのでアリババさんの物をお借りしました」
『そうだったんですか……』
「白龍さん、明日お時間ありますか?」

突然の問いかけに白龍さんが困惑の声を上げる。
隣りのアラジンが小さく「用件を言わなくちゃだめだよ」と言って初めて自分の言葉が足らなかったと自覚する。

「あの、明日マスルールさんのところに行くのですが、白龍さんも一緒に行きませんか?」
『俺が? 何故ですか?』
「マスルールさんが恋人も連れてこいと言っていたので」
『…………っ!』

直後大きな物音がしたと思ったら次に訪れたのは沈黙。
スピーカーから小さなうめき声が聞こえた気がしたけれど、それもすぐに収まって若干弱々しくなった声で白龍さんが続ける。

『明日ですね、わかりました。姉に言って時間を空けてもらいます』
「白龍さん、大丈夫ですか?」
『え!? あ、はい!! 大丈夫ですお気になさらないでください!』

必死すぎてなんだか怖い。
では明日と電話を切ってそれをアリババさんに返す。
と、二人がにこやかな笑みを浮かべていることに気付く。

「なんですか」
「いや、白龍今頃すげえ嬉しいだろうなあ、って思ってさ」
「そうだね、アリババくん」
「……?」

二人の言っていることがわからなくて首を傾げる。
私のそんな様子を見て、なおさら二人の笑みが増す。
――いったいなんなんですか、もう。



(恋人……モルジアナ殿が恋人と言ってくれた)
(白龍、うるさいですよ)

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