トリトマ―恋する胸の痛み


心臓がうるさく騒いでいる。
呼吸も荒い。
白龍さんのお店からサルージャ邸までのわずか5分、10分の距離を全力疾走で帰ってきたからといって普段ならば息さえ上がらないのに、今の私は汗だくで呼吸を乱している。

「あれ? モルさんおかえり」

ドアを後ろ手に閉めたところで、アラジンとばったり遭遇する。
私の様子がおかしいことを見てとって、彼はひとまず落ち着くよう深呼吸して広間の階段に座るよう言われる。

「どうしたのモルさん。今日は白龍おにいさんのところで一日お手伝いじゃなかったの?」
「はい、そうなんですけど」
「何かあったの?」

つい先ほどの出来事を思い出してまたも頬が赤く染まる。湯気が出そうとはよく言ったものだ。
私の頬が一気に染まったのを見て、アラジンはあたふたと慌てふためいてしまう。
普段無表情なだけに、今の私の状態は相当おかしく映っているのだろう。
自分自身でもおかしいというのはわかっている。
でも、どうしようもなく動揺しているし混乱していて、いつまでもうるさく騒いでいる心臓が憎らしい。
たった、一言。
白龍さんのたった一言でこんなにもかき乱されるだなんて。

“好きです、モルジアナ殿”

それは私に向けて言われた言葉ではなかったのかもしれない。
ただの独り言であった可能性は高いし、むしろそうであったのだろうと思う。
あの時の白龍さんはこちらを向いていなかったし、私がいることも気付いていなかった。
驚いて物音を立ててしまって初めて存在を気付いたくらいだったのだから。

「アラジンは誰かのことを好きになったことはありますか?」

心配そうに見ていた表情が困惑に変わる。
私が何を言いたいのかいまいち判断がつかないようであった。
唐突に聞いたことだから仕方のないことではあるけれど、でも彼は困惑の表情からほんの少し笑って、そして真っ直ぐ私の目を見て口を開く。

「あるよ。僕はアリババくんやモルさん、白龍おにいさんのことが大好きだよ」

満面の笑み。
そこに嘘偽りはなく、本心なのだということが真っ直ぐ伝わってきた。

「モルさんは? 誰かのこと、好きになったことある?」
「私は……」

言葉に出してしまう前に少し考える。
私がアリババさんやアラジンに向けている感情は、白龍さんに向けている感情は一体何なのだろう、と。
二人に対して抱いている感情の一番大きな部分は感謝だ。私をすくいあげてくれて、家族を知らない私にこうして“家族のようなもの”を教えてくれている。与えてくれている。あの暗闇から救ってくれたことを私は一生忘れない。アリババさんとアラジンは私の恩人と言うに相応しいのかもしれない。
対して白龍さんに抱いている感情の一番大きな部分は優しい人、だ。
いつも気を遣ってくれて、私が困っていると必ず助けてくれる。真面目で、料理が上手で、悪いことをすると必要以上に悩んで落ち込んでしまう心優しい人。
そして――私のことを好きになってくれた人。
出会ってからまだ2、3か月しか経っていないというのに、アリババさんやアラジンと一緒に語れるくらい、私の中で白龍さんの存在が大きくなっていたことに驚きを隠せない。
いつの間にか、大切な人の一人になっていただなんて。

「私もアラジンやアリババさんのこと好きです」
「白龍おにいさんのことは?」
「……たぶん好きです。でも、アラジンやアリババさんとはまた違った感じというか、うまく説明できないです。三人とも大切な人に変わりはないですし好きなのには違いはないのですが……」
「それはたぶん、僕やアリババくんはお父さんお母さんお兄ちゃんお姉ちゃんが好きっていう家族愛の方で、白龍おにいさんは異性の子が好きっていう恋愛の方じゃないかと思うんだ」
「はあ……」

首を傾げる私に、アラジンはもう少し噛み砕いて教えてくれる。

「“家族として好き”っていうのと“男の子として好き”の違いじゃないかな?」
「そう、なのでしょうか」

言われてもピンとくるものがあまりないけれど、でもそれならこの“好き”の違いにもなんとなくだが納得が出てくる。
家族だから好き、大切にしたい。
好きな人だから大切にしたい。
両方とも“好き”だけど、それは少し違う好き。

「モルさんがここのところ頻繁に白龍おにいさんのところに通うのは何故だい? 僕たちは別にお花をしょっちゅう頼んでるわけじゃないのに、時間を見つけてはお花屋さんに行ってるよね」
「それは、白龍さんとお話ししたり花のことを教えてもらうのが楽しいからです」
「そっか。でも、それはおにいさんがいるからこそじゃないかい? おにいさんがいない日はなんとなくがっかりとかしなかったかい?」

ああ、そうか。アラジンに言われるまで自分でも気づかなかったけれど、私は花のことを教えてもらうという口実のもと、白龍さんに会いに行っていたのかもしれない。
あの人に会いたくて、話したくて、確かにいない日は少しがっかりしていたかもしれない。
――いつからだろう。
いつから、私はこんなにも白龍さんに会いに行くようになったのだろう。

「白龍おにいさんはモルさんのことを女の子としてとても好きだと思ってるよ」

突然のカミングアウトに驚く。
白龍さんの口からは聞いたけれど、では何故それをアラジンが知っているのだろう。
私はついさっき言われたばかりだというのに。
正確には言われたわけではなく偶然独り言を聞いてしまったのだけど。

「なんで知っているんだって顔してるけど、そんなのよく見たら誰でもわかっちゃうよ。おにいさん、モルさんと話してる時と僕と話している時と全然顔違うんだもん。モルさんと話してる方がずっと楽しそうだし嬉しそうだよ」

そうなのだろうか?
本当にそうであるなら、素直に嬉しいと思う。

「おにいさんに何を言われて飛び出してきたのかはわからないけど、でもきっと心配してると思うよ。ここに戻るなんて言わずに出てきちゃったんでしょ? それに今日一日はおにいさんのお店のお手伝いとして行ってるんだからあんまりお店を開けちゃ駄目だよ、モルさん」

諭すように言われる。
私よりも年下なのに、今日のアラジンはすごく大人びて見える。

「おにいさんはモルさんのことが好き、モルさんもおにいさんのことが好き。これで万事解決だよ! 悩む必要なんてどこにもないよ」

笑顔で背中を押される。
その表情を見ていると、悩みなんて溶けて消えてしまいそうになる。
この小さな少年に背中を押されることで――後押しされることで、こんなにも勇気をもらえるだなんて思いも寄らなかった。

「アラジン」
「なんだい?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。お仕事頑張ってね」
「はい。いってきます」
「いってらっしゃい!」

閉められていた重いドアを開け、私は再び駆けだした。



(頑張ってね、モルさん)

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