ハギ―想い


「では、いってきます。アリババさん、アラジン」
「おう、いってこい!」
「いってらっしゃい、モルさん。頑張ってね!」
「はい。今日はありがとうございます」

頭を下げればアリババさんとアラジンが慌てて手を振って制す。

「ほかでもない白龍の姉ちゃんの頼みだからな!」
「白瑛さんが僕たちを、というかモルさんを頼ってくれるだなんてそうそうないことだしね」

だから、頑張って! いってらっしゃい! そう言って二人は私を送り出してくれた。
背中を押された気分で、歩みが軽くなる。
頑張ってという言葉が、いってらっしゃいという言葉がこんなにも嬉しくなるものなのだろうか。
いつもの通り走って花屋さんへ向かう。
今日はいつにもまして足取りが軽い。

「おはようございます、モルジアナ殿。早いですね」

花屋さんの前で白龍さんが掃き掃除をしていた。
時計を確認することを忘れていたけれど、屋敷を出たのが8時過ぎくらいだったはずだ。ここにたどり着くのに5分もかかっていないからどんなに見積もっても今の時間は8時半前。
白龍さんこそ早いですねと返して、何をしたらいいか、何をすべきかどうかを訊く。

「あ、えっと……モルジアナ殿がいらっしゃる前に大方開店の準備をしてしまったのでもうあまりやることはないのですが」
「そうですか」

どうしたものかと悩んで、白龍さんの掃き掃除を手伝うことにした。
手伝うことにしたと言っても塵取りで掃いたゴミや枯葉を受け取るだけ。
それもすぐに済んでしまって、本当にやることがなくなってしまった。

「お茶でも淹れますのでゆっくりしてください」
「あ、いえ。あまりお気遣いしないでください。私は今日一日ここのお店番を任された身です。言うなればあなたの部下、でしょうか。雑用でもなんでも言ってください」
「雑用だなんてとんでもないです。姉が無理を言ってモルジアナ殿の大切な一日をいただくのです。本当に店を見ていただけるだけで大丈夫ですので」
「でも」
「大丈夫ですよ。居ていただけるだけで十分です」

これでこの話はおしまい。
暗にそう言われているような気がして、それ以上この話題を続けることができなかった。
次に何を話したらよいかわからなくて、店内を見てまわることにした。
いつ見ても色とりどりの花が咲き誇っていて、見ているだけで楽しい。
こんなふうに花を見て楽しみを覚えるのはきっと白龍さんのおかげだと思う。
ここに来るたびに花の名前、種類、どういった花なのかということを教えてくれて、何も知らずに花を眺めていた時よりも格段に花を見ることが楽しくなった。
名前を知るだけで、これがどういう花なのか知るだけでちょっと視点を変えてみることができる。

「お茶が入りましたのでどうぞ」
「すみません。ありがとうございます」

店内にはテーブルも椅子もない。もともとあまり大きな店内ではないから商品である花と鉢植えとレジとそれを置くカウンターでもうほとんどスペースがなくなってしまっている。レジ横のカウンターをテーブル代わりにまるで立ち飲み屋とばかりの姿で淹れてもらったお茶を一口含む。
不思議な香りがするお茶だ。

「おいしいです」
「ありがとうございます」

暫しの沈黙。
お茶の香りが店内を満たしていく。
気持ちが落ち着いていくのを感じる。
不意にガラス戸につけてあるベルが鳴る。
驚いてそちらを見やれば、むこうも私の姿を見とめて少し驚いた顔をしている。
そのあとすぐににっこりと笑みを見せてから、その人――年齢は定かではないけど、たぶんおばさんくらいの歳の人――は何かを言おうとして口を開く。

「おはようございます!」

咄嗟に白龍さんが前に出て対応をしてくれる。きっと顔見知りのお客さんだったのだろう。少しお話をしてから視線を花の方へ向けてまた何かを話し込んでいる。
その間、どうしたらいいかわからず、私はただ見ているだけ。
何かを手伝おうにも勝手がわからないから何をすることもできない。
結局いてもいなくても同じような状況になってしまって申し訳なさが募る。
せめて包装作業の邪魔にならないように隅の方へ移動すれば、尚更自分の無力感だけが増していく。

「ここのお花みんな綺麗よね」

今の今まで白龍さんと話していたはずのおばさんは、いつの間にかすぐそばまで来ていて、慌てて顔を上げて「そうですね」と答える。
なんで私の方に来たのだろうと店内を見回せば、白龍さんがせっせと包装作業をしていた。
お目当ての物を買って包装待ちだったようで、その待ち時間の間私とお話をしようということらしかった。

「私ここのお花大好きでね。よく来るのよ」
「私もここのお花好きです」
「いつも綺麗に咲いてるし、ほかの店では売ってないような珍しいものもあるしね」
「そうなんですか?」
「そうよ。それに白龍くんはイケメンだし白瑛ちゃんは美人さんだしね。目の保養にはうってつけよ。ところで、あなたは白龍くんのこれなの?」

うふふ、と笑ってからおばさんはそっと小指を立てる。
その指が何を意味しているのかわからなくて首を傾げると「若い子にはこれじゃ通じないのねぇ」と少し困惑してから、

「あなたは白龍くんの彼女なのかしら?」

と、今度は言葉で言い直してくれた。呆ける私。
その瞬間、ガシャンという音と共に白龍さんが真っ赤な顔をしてこちらを見つめているのが視界に入る。
見れば大事な商品を取り落としてしまったようで、白龍さんの足下には割れた植木鉢の破片が散乱していた。
不幸中の幸い、というか植木鉢は空の物だったらしく片付けるのは容易そうだったけれど、落とした本人は固まったまま動かなかった。
その反応を見て、おばさんはまた、うふふと笑う。
何がそんなに面白いのかわからないけれど、とりあえずこのまま放置しておけないので急いで塵取りと箒を持ち出して後片付けをする。

「あ、す、すいません! 俺がやりますので」
「いえ、もう終わりましたので大丈夫です」

普段サージャル邸で雑用雑務をこなしているから植木鉢の片付けくらいなんてことはない。それよりも白龍さんがその破片で足を怪我していないか、そっちの方が気がかりだった。

「白龍さん、大丈夫ですか?」
「え!? あ、はい! 大丈夫、です!」

足の方は一見したところなんともなさそうだけど、どう見ても顔は真っ赤だし挙動不審だし大丈夫とは思えない。もしかしたら熱があるのかもしれないと思って、失礼だとは思いつつも額に手をやる。そこは見た目通りの熱を帯びていて、酷く熱かった。

「全然大丈夫じゃないじゃないですか」
「あ、や、これは……」
「お熱いわねえ」
「茶化さないでください!」

いつの間にかおばさんはカウンターにある包装済みのお花を手にしてガラス戸のところまで移動していた。
戸に手をかけてから、何かを思い出したかのようにこちらに振り返る。

「おばさんはお邪魔なようだから今日はこれで失礼するわね」
「ですから、誤解されてますよ! 俺とモルジアナ殿はそういう……」
「じゃあまた明日来るわね」

白龍さんが必死に弁解の言葉を述べても、むこうは聞く耳持たずだった。
最後にとても面白い物を見るような目で私と白龍さんを見て、颯爽と出て行ってしまった。
後に残されたのは顔を真っ赤にした白龍さんと私だけ。
一気に静寂を取り戻した店内は、さっきまでの騒動(白龍さんが単に騒いでいただけとも言えるけど)がまるで嘘のようだった。
ふと目に入った、カウンターに置いてある時計はまだ10時前を差していて、時間は全然進んでいないということが驚きだった。

「モルジアナ殿」
「なんですか?」
「あの、離れてもらえませんか?」

言われるまで気が付かなかったけれど、少し顔を上げれば白龍さんの顔が超至近距離にあって、慌てて距離を取る。

“白龍くんはイケメンだし”

先ほどの言葉が蘇る。
特別意識して顔なんて見たことはなかったけれど、確かに整った顔立ちだと思う。顔の左半分が火傷で覆われてはいるけれど、それがあってもイケメンと言える……と思う。断定できないのは自分のこれまで人生の中で同年代の異性とあまり関わり合いがなかったから。
アリババさんとアラジンの二人が私の中での同年代の異性だ。
あの二人と比べると、白龍さんは凛々しい顔立ちをしているし何よりよく気遣ってくれる。おそらく私の方が年下であろうはずなのに敬語で話しかけてくれるし、私が戸を開けようとしたら率先して開けてくれた。大きな花瓶を持って帰ろうとして、前が見えないからと一緒にサルージャ邸まで来てくれたこともあった。
……あれ? なんで私こんなに白龍さんのことを好意的に見ているのだろう。普段あまり気を遣われたことがないから……?
ここで小さな疑問が生まれた。
確かにサルージャ邸ではあまり気を遣われたことはない。
アリババさんもアラジンも家族のように接してくれているから。
良くも悪くも無遠慮。
それが嫌だと言うわけじゃないし、むしろとても嬉しい。数年前まで殆ど外の世界なんて見たことのなかった、ずっと暗闇で生き続けていた私を光の世界に引っ張り上げてくれたのがあの二人だ。血の繋がりはなくても、あたたかい家族という、私が求めていたものを実感させてくれる。
だから変に気を遣わないあの二人の隣がとても居心地がいい。
でも、白龍さんの小さい気遣いが嬉しいのも事実。
あの二人とは違う、白龍さんの優しさ――がなんだか新鮮なのかもしれない。

「情けないところをお見せしてすみません。結局あなたに後片付けをさせてしまいました」

声のトーンがぐっと下がっているところを見ると、相当落ち込んでいるのだろうか。

「それくらい気にしないでください。私はお店のことは何もできないので、片付けや掃除でお役に立ちたいのです」
「本当にすみません……」

消え入りそうな声。
顔の赤みは引いたみたいだったけれど、やはりどこか体調がよくないのだろうか。
数十分前と同一人物とはとても思えないくらい覇気がない。
今の白龍さんは風が吹けば倒れてしまいそうな、そんな危うさがある。
正直、この調子で一日持つのだろうか……。
何もしなくていい、いるだけでいいと言われた店番代理という立場上こんなことを言うのはよくないことだとはわかってはいるが、それでも言わずにはおけない。

「白龍さん。体調がよくないのであれば、私がお店に立ってますので休んでてください」
「……………………」

沈黙で返されてしまうとこちらとしても困ってしまう。
力づくでも、という手段がとりにくい。
これがアリババさんやアラジンであったなら腕にものを言わせて半強制的に休ませることもできただろうけど、相手が白龍さんではそれも憚られてしまう。
――私と白龍さんはまだ、そんな仲ではないし。……私は白龍さんとアリババさんやアラジンのような関係になりたいのか?
思考の渦に巻き込まれそうになったところで、白龍さんが小さく聞き取れるかわからないほどの声で呟く。

「モルジアナ殿。お言葉はとても嬉しいですが、俺は大丈夫ですのでお気遣い無用です」

とてもじゃないけどそんな言葉信じられない。
そんな弱弱しい声で大丈夫だなんて言われても逆に心配になってしまう。
お願いだから、無理なんてしないで休んでほしい。
そう思ったら体が勝手に動いていた。

「……え?」

軽く足払いをしてバランスが崩れた白龍さんの体を抱きとめる。これが余に言うお姫様抱っこというやつらしいけれど、相手が男性である場合それはなんと呼称すべきなのかは悩むところ。
自分が一体何をされたのか瞬時に理解できていない白龍さんはただただ呆けるばかり。

「白龍さんは真面目で優しくてそういうところ私尊敬します。でも自分の身を削ってまで頑張るところは好きではありません。なので今日は休んでください。何もできないですが、お店を見ていることはできますので」

居住スペースへ向かう階段を昨日に引き続き今日も上がる。
生憎白龍さんの自室はわからなかったから昨日通されたリビングの方で下ろす。
まだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、それを聞く前に私は階段を駆け下りてしまった。
――さあ、今日一日頑張らなくては。



(あら。植木鉢忘れたわ)

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