シロツメクサ―約束


「ごちそうさまでした」

両手を顔の前で合わせ浅く頭を下げる。
サルージャ邸ではいつも食事が終わるとやっていることだから特別意識したことはなかったけれど、白龍さんからしてみたらそれは礼儀正しく映ったようで、褒められてしまった。こんなことで褒められるのは初めてだったからどう返したものか悩む。
そうこうしている内に白龍さんと白瑛さんが食器を下げ始めてしまったので私もそれの手伝いを買って出る。
客人にそのようなことはさせられないと断られてしまったけれど、心遣いありがとう、とお礼を言われた。
サルージャ邸ではいつも私が片付けをしていたし、それが当たり前だと思っていたから、何もしなくていいと言われると何をしたらいいのかわからない。
仕方なくリビングに戻っても、所謂人様の家なので何をしようにも何もできない。
勝手知ったる人の家なんていう言葉があるけれど、初めての家ではそんな言葉意味なんて持たない。勝手も何も知らないのだから。

「モルジアナ殿」

台所からやってきた白龍さんの手には小さなガラスの容器。
どうぞ、と私の目の前にスプーンと一緒に置かれる。
甘くて、いい匂い。

「杏仁豆腐です。お好みに合うかはわかりませんがどうぞ」
「いただきます」

手を合わせて小さくお辞儀。
スプーンを手に取り、容器の中の物を一口掬って口に運ぶ。
口の中に入れた瞬間それは溶けてなくなってしまった。不思議な食感。
ゼリーとはまた違うし、プリンとも違う。
今まで食べたことのない味、食感。
自然とスプーンが進む。

「お気に召してもらえましたか?」
「はい。すごくおいしいです」
「よかったです」

にこりと微笑んでから白龍さんはまた台所へ戻る。
きっと白瑛さんのお手伝いをしに行ったのだろう。
夕飯の時に思ったことだけど、明らかに三人で使うには数が多い食器類がテーブルにこれでもかと置いてあった。しかもその中にはすべて違う料理が盛りつけられていた。絶対食べきれないだろうと思っていたのに、あっという間に平らげてしまった。
その要因の一つは料理がとてもおいしかったということだと思う。
おいしすぎて食べ過ぎてしまったとさえ感じる。
それにこの杏仁豆腐もまたおいしい。
こんなにおいしいものをご馳走になっておきながら何もお礼をしないというのはとても心苦しい。白龍さんは水をかけてしまったお詫びだと言っていたけれど、正直あれはとても気持ちがよかったし、ぼーっとしていた頭が現実に引き戻されてちょうどよかったのに。
先ほどは片付けを断られてしまったけれど、他のことで手伝えることはないだろうか。
きょろきょろと部屋中を見てみるけれど、きれいに掃除された室内に私が何か手伝えることはなかった。

「どうかしましたか?」

ちょうど片付けを終えた白龍さんと白瑛さんが台所から戻ってきた。
部屋中を見ていたところで声をかけられてしまったため、不審に思われたのかと不安になったけれど、特にそのことについて言及されることはなかった。

「夕飯と杏仁豆腐ごちそうさまでした。おいしかったです。いただいてばかりでは落ち着かないので何かお礼をさせてください」
「お礼だなんていりませんよ。元はと言えば俺があなたに水をかけてしまったことが原因なんですし、その非礼のお詫びなんですよ」
「でも」
「……でしたら、明日一日ここの店番を頼んでもよいですか?」

予想外の言葉に驚いたのは私だけではなく白龍さんもだった。
言葉の主である白瑛さんはニコリと微笑んで続きを口にする。

「明日、どうしても遠方に行かねばならなくなりまして白龍一人に店番をやらせるのを迷っていたのです。モルジアナ殿の都合次第ですが明日一日白龍と一緒に店番を頼まれてはもらえませんか?」
「明日一日ですか。私はサルージャ邸の手伝いの身の上ですのでアリババさんとアラジンに確認してみないとわかりませんが、大丈夫なようならお引き受けします」
「ありがとうございます。では、私の方から連絡を入れておきます」
「ちょっと待ってください姉上! 明日出張されるのですか!?」

そこで漸く今まで蚊帳の外であった白龍さんが身を乗り出して白瑛さんに言葉をぶつける。

「そうですよ。今日の午後に決まったことだったので言うのが遅くなってしまいました」
「いや、でも、店番くらい俺一人でできます」
「いいえ、一人では無理ですよ白龍。それにモルジアナ殿も手伝ってくれると言ってくれているのです。彼女の心遣いを無駄にするつもりですか」
「それは……」
「では私はアラジンに連絡を取ってきますので、モルジアナ殿を送って差し上げなさい。もう10時近くになりますからちゃんとサージャル邸まで行くのですよ」
「……はい」

白瑛さんに言われて初めて気が付いたけれど、時計を見れば確かに10時前を差していた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまう。
すっかり乾いた自分のワンピースに着替えて、夜道を二人で歩き出す。

「今日は本当にすみませんでした」
「白龍さんは謝ってばかりですね。昼間も言いましたけど別に気にしていないですし、むしろおいしいご飯をご馳走になってこっちが申し訳ないというか。だから気にしないでください。お手伝いも私が好きでやるんです」

それきり白龍さんは自分から口を開くことはしなかった。
徒歩10分の距離しか離れていないからサージャル邸にはすぐ着いてしまった。

「明日は9時くらいに伺えばいいですか?」
「はい。お願いします」
「おやすみなさい」
「おやすみ、なさい。モルジアナ殿」

門のところで別れてドアまでの道のりの最中に振り返ると、まだそこに白龍さんは居て、なんだか心配そうにこちらを見つめていた。
心配性なのかしら?
大丈夫ですよ、というのと別れの意を込めて小さく手を振ればそれに応えるかのように向こうも小さく手を振りかえしてくれた。
月明かりが、やけにまぶしかった。



(おかえりモルさん!)
(おかえり、モルジアナ)
(ただいま帰りました。アラジン、アリババさん)

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