夢の中で


白い靄があたりを覆い尽くしている。
自分がどこにいるのか見当がつかない。
周りは白一色で下手すれば足下すらこの靄によって隠されてしまいそうだった。

「……さん」

誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。
それが自分のことを呼んでいるような錯覚を覚えて、右へ左へ声がするような方向へ顔を動かすも靄のせいでその姿を視認することができない。

「……う、さん」

先ほどよりも大きくはっきりとした声。
払っても仕方のない靄を意味もなく払いながらその声の主を探す。
一歩一歩、見えない足下を確かめながら少しずつその声を追う。
確証はないけれど、近づいているのだと思う。
最初に聞こえた声よりも大きくはっきり聞こえていることが、そう思う根拠となっている。

「……りゅう、さん。白龍さん」

今度はちゃんと聞こえた。
自分の名前をはっきりと、そして一気に靄が晴れ、それを口にした彼女の姿が現れる。

「モルジアナ殿……?」

凛とした瞳に揺れる紅い髪。
そこに立っていたのは間違いなくモルジアナ殿その人。ただ、普段見ている彼女と違った点があった。
いつも着ている異国の質素なワンピースではなく、いつぞや母国である煌帝国で見た、あの女が婚儀の際に着用していたものに似た衣服を身にまとっている。
なぜ彼女が煌帝国の婚儀用の衣服を着ているのだ?

「白龍さん。迎えに来ました」
「え……?」

呆ける俺の手を取って、モルジアナ殿はさっさと歩きだしてしまう。
状況がうまく呑み込めない。
どうして彼女はこんな衣服を着ているのだ? 迎えに来たとはどういうことだ?

「あの、モルジアナ殿」
「あの日、あの別れた日。言ってくれましたよね? 必ず迎えに行きますと。私、ずっと待っていたんですよ、白龍さんのこと。でもいつまで経っても来ていただけなかったのでこちらから迎えに来たのです」

ここで漸くこれが夢の中だということに気付く。
今更すぎるし、どこまでも都合のいい夢に自分で自分に落胆する。
モルジアナ殿がこんな、こんな都合のいいことを言ってくれるはずがない。
俺は、あの日彼女に、彼女の気持ちも思いもすべて無視して一方的な告白をしたのだから。泣かせてしまった。傷つけてしまった。それを見て見ぬふりをしてこんな自分にばかり都合のいい夢を見ているのだから情けなくなる。
どこまでも自分勝手で、女々しい。
優しく握られていた手を少々乱暴に振り離す。
その行動が彼女の足を止め、そしてゆっくりとこちらを振り返るきっかけとなった。

「モルジアナ殿、すみません。夢の中のあなたにまで俺は勝手な想像を押し付けて、それこそ夢を見てしまっています。あなたが俺のところに来てくれるはずがない。あなたは……」

そこまで言って自分が泣いていることに気付く。
この先を言いたくない。でも言わなくてはならない。

「あなたは……光だ。俺みたいな血に染まった人間のそばにいてはいけない。あなたのことが大好きです。ずっと、ずっと隣りに居られたらと思う。共に生きていきたいと思う。だけど、だめなんです。俺はもう……あなたの隣りにいる資格もないし、権利もない。だから……」

この血に染まった手では、もうあなたの手を引けない。
いつか迎えに行くだなんてとんだ夢物語だ。

「だから、さよなら。好きです、大好きです。あなたと共に過ごした日々を一生忘れません」
「…………」

返答を待たずに走り出す。
晴れていた靄が一気に元に戻り、また白い空間に逆戻りだ。
でも、これでいい。
いつか彼女も俺ではない男と恋に落ちて夫婦となり幸せな家庭を築いていくのだろう。
彼女の隣に俺の姿はなくても、彼女が幸せであるならそれでいい。
これで……いいんだ。
あの別れた日の言葉に嘘はないし、今も迎えに行きたいと思っている。
でも、血と怨嗟にまみれた自分では、不釣合いだ。
彼女にはもっと相応しい相手がいるはずだ。――たとえば、アリ……
そこまで考えたところで後ろからすごい勢いで手を引かれた。
驚いて振り返ろうとしたところで唇に柔らかい感触。
この感触を、俺は知っている。
あの日、彼女に強引にしてしまった口づけだ。

「言いたいことはあれだけですか?」

怒気を孕んだ声に一瞬萎縮する。
衣服を乱して仁王立ちするモルジアナ殿。
まさか、追いかけてきたというのか?
それよりも今、彼女は何をした……?

「では今度は私の言い分を聞いてください」

嫌とは言わせぬ雰囲気に思わず正座をしてしまう。

「私は、奴隷でした。アリババさんやアラジンに出会う前はこのまま奴隷として生き、奴隷として死ぬのだと、そう思ってました。彼らに出会い旅をしていろんなものを見ました。いろんな人と出会いました。その中で白龍さん、あなたに出会ったんです。奴隷という卑しい身分であった私に白龍さんはそんなの関係ない、妃にしてくれると言って下さったじゃないですか。それがどれだけ嬉しかったか。確かにアリババさんもアラジンも大切な人です。でも、それでも、一生を添い遂げるのならあなたがいいのです。優しくて、泣き虫で、お姉さん想いのあなたが好きなんです、白龍さん」

にこりと笑みを浮かべて、彼女はこちらへ手を差し伸べてくれる。
涙で視界が滲む。
俺はこの手を取っていいのだろうか?
こんな血にまみれた手で、彼女の綺麗な手を握ってしまってもいいのだろうか。

「モルジアナ殿、俺は……」
「白龍さん。あなたは私の夫になるんです」

戸惑っていた手を、彼女が引く。
宙に浮く体。その力を利用して立ち上がる。

「お返事をいただけますか?」


*


緩やかに瞼が開いた。
一番最初に目に入ったのは見知らぬ天井。
……幸せな夢を見た。
相当自分勝手で、自分に都合のいいように作られた夢。
だけど、本当に幸せで嬉しかった。
あれが正夢となったらどんなにいいだろうか。
――そんなこと起こりうるわけなんてないのにな……。
自嘲気味に笑って、身体を起こす。

「モルジアナ殿……」

空気に解けるその言葉を空しく思いながら、俺は夢の返事をそっと心の中で呟いた。



(ありがとう。ありがとうございます、モルジアナ殿。大好きです)

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