六花の面影


先ほどから左手に巻いた腕時計を30秒ごとに確認している気がする。
見ても見ても時計の針は全然進んでいなくて、そのたびにうんざりしつつも高鳴る胸に今にも心臓が飛び出しそうだった。
緊張しているのだろうか。
それもそうか。こんな経験、俺の人生史上初めてのことなのだから。
何度も鏡の前で服装をチェックし、寝癖もちゃんと直してきた。
財布の中身も――乏しいながらもきちんとあることを確認済みだ。
待ち合わせ1時間前からこんなにそわそわしていたら後がもたないだろうに。そんなことわかっているはずなのに、妙に落ち着かない。
世の男子はみんなこんなそわそわ、ドキドキしながら相手の到着を待つものなのだろうか……。もしかして俺だけこんなに落ち着かないのか?

「瀬川……早く来ねえかな」

ぼそりと呟いたそれは雑踏の中に消えていく。
秋穂享、18歳。
本日は人生初のデートに挑む所存です。




「あ、秋穂くん……! お待たせしちゃってごめんね!」

待ち合わせ15分前になってやっと彼女――瀬川はやってきた。
いや、やっとなんて言葉はこの場合おかしいのかもしれない。
彼女はきちんと待ち合わせ時間の15分前にやってきたのだから。
俺が1時間も早く来てしまっただけなのだから。
普通待ち合わせ15分前に来たらちゃんとしている方だろう。
自分の友達を思い返してみても、待ち合わせ時間よりも前に来る奴はほとんどいないのだから。

「なかなか服が決まらなくて……」

そう言う彼女の格好は可愛いという一言に尽きるものだった。
女子のファッションはよくわからないが、彼女の服はそこらを歩く女子たちの煌びやかで派手さを表にガンガンを出していくようなものではないが、でもすごくよく似合っていると思う。
制服のスカートもいいが、こうした私服のスカートもまた良いものだと思う。……いや、俺は決して制服フェチというわけではないのだが。
でも、どことなくユキを連想させるような、そんな色遣いのコーディネートだった。

「今まで地味な色の服ばかり来てたんだけど、きょ、今日はデートだから……その、ちょっと自分でも着ないような色の服を選んでみたんだけど……」
「似合ってるよ」
「本当?」

ぱあっと笑顔の花が咲く。
嬉しい、と満面の笑みで言われれば益々胸が高鳴ってしまう。……今日一日生きてられるのだろうか。
彼女はといえば普段通りの様子で俺一人だけ舞い上がっているみたいで何とも情けない。
これが経験の差と言うものなのだろうか。
彼女に交際経験があったかどうかなんてわからないけれど、でも見た感じの印象だけでいくとこれが初デートというわけでもなさそうだった。
こっちは心臓が破裂しそうだというのに、向こうはいつも通りなのだから。

「秋穂くん、どうかしたの?」
「え……? あ、いや何でもない。行こうか」
「うん」

行く当てがついているわけではないけれど、このままここで立ったままでも仕方がないのでとりあえず歩き出す。
ヒールを履く彼女に合わせて歩幅は小さめに。
車道側を決して歩かせないように率先して右側を歩く。
クラスメイトに教わったことを頭の中で確認しながら、それでも気を遣っているという素振りを見せないように振る舞う。
デートというのは本当に大変なことであると、実際やってみて気付かされる。
世の男子諸君はこんなことをやってのけるのか。
内心ため息をつきそうになるのを堪えて、彼女の方を見やる。
慣れないヒールに苦戦しているようだったけど概ね大丈夫そうであることを確認する。
さて、問題はここからだ。
行き先を全く決めていない――そう、ノープランなのだ。
行き当たりばったりでなんとかなるだろうと踏んでいたのだが、それも無理そうだった。
ここは彼女の方にも手伝ってもらうしかないのか。

「瀬川、行きたいところあるか?」
「え、あ、うーん……。行きたいところかあ。秋穂くんと一緒ならどこだっていいよ」

目的の定まらないときに一番困るセリフを言われたというのに、俺ときたら馬鹿正直に嬉しくなってしまうのだからしょうがない。
正直に謝って俺にはリードはできないとカミングアウトしてしまうか。
情けないし今後彼女から白い目で見られても仕方ない。今日一日を、初デートという大切な一日を台無しにしてしまっては俺が一生悔やみそうだ。

「あのさ、俺、正直デートとか初めてで……というか付き合うのも初めてで……、その、いろいろと情けなくて本当にごめん。デートプランとか考えられなくて……ごめん」

俯く俺に瀬川は意外な一言を発す。

「あの、わたしも今日が初めてのデートで……秋穂くんが初めての恋人なんだけど……? 秋穂くんは情けなくないよ。それに、最初からプランとか考えてその通りにいくわけないし、行き当たりばったりとかの方が楽しい、と思うんだけど?」

ニコリと笑みを作る彼女。
その笑顔にこちらの頬も緩む。

「なーんだ……そっか、瀬川も一緒だったのか」
「そうだよ、一緒だよ。わたしの初めては……秋穂くんだよ」
「はじ……!? あ、いや……うん」

なんて返そうか悩んで、結局曖昧な言葉で返してしまう。
そんな俺の態度を見て、彼女も何となく気まずくなってしまったのかそれからの道中、お互いに口を開かなかった。
どこへ行こうとも考えず、二人してふらふら街中を散歩するように歩んでいく。
流行の服を見て、雑貨屋に立ち寄り、最後に喫茶店でずっと歩きっぱなしだった足を休ませる。
ここで漸く俺も彼女も口を開くことになる。

「ふはー……久しぶりにこんなに歩いたよ」
「そうだな。俺も久々だ」
「……秋穂くん、楽しい?」
「え?」
「服屋さんも雑貨屋さんもわたしが行きたいところだったけど、秋穂くんはそうじゃないでしょ? 女の子向けのところばかり行っちゃってたから、一休みしたら今度は秋穂くんが行きたいところに行こう」
「俺は別に……あ、でも一か所だけ行ってもいいか?」
「うん、行こう」

運ばれてきたコーヒーで喉を潤してからフルーツタルトを口に運ぶ。
イチゴとカスタードの甘さが広がってコーヒーの苦みをまろやかにしていく。
美味いなあ、これ。
彼女はというと自分の目の前にあるショートケーキをぱくぱくと口に入れていく。女子って甘いもの好きだよなあ。
ぼうっと見ていると、突然顔を真っ赤にして今度は紅茶をがぶがぶと飲んでいく。見ていて飽きないけれどそんなに慌てて飲んだら絶対咳き込むと思うんだが……。
案の定彼女は紅茶を気管に入れてしまい咽る羽目になる。

「そんなに慌てて飲んだり食ったりするからだよ……大丈夫か?」
「げほっ、げほっ……大丈夫」

自分の失態が恥ずかしいのか、更に顔を真っ赤にして俯く。
そんな姿も可愛い。口に出しては言えないけど。
コーヒーとタルトを平らげて、一息ついたところで喫茶店を後にする。
向かう先はさっき見ていた雑貨屋。
一目惚れというわけではないけど、一目見て彼女に似合いそうだなと思ったネックレスがあった。
買おうかどうしようかタルトを食べながら悩んで悩んで悩んだ挙句、後悔のないように買うことにした。
生まれて初めてのデートで、いいとこなしの俺だけど最後くらい格好つけたいと思うのは仕方のないことだろう?
店の前で彼女を待たせて目当てのものを手に取ってレジへと向かう。
なけなしの金をトレーに出して品物を受け取ってすぐさま店を出る。

「早かったね。お買いものは済んだのかな?」
「ああ、うん。……瀬川、これ」

握りしめるようにしていたそれを彼女に手渡す。
首を傾げながら彼女は受け取る。

「瀬川に……似合うと思って」

開けるように促す。
淡いピンクのビニール袋を丁寧に開けて斜めに傾ければ、六花を模して中央に赤い石のついたシルバーのネックレスが彼女の手のひらに姿を現した。
一瞬驚いた表情をしてから、今度は俺をゆっくりと見やる。

「あ、ありがとう……すごく嬉しい! あの、これお礼ってわけじゃないんだけど」
「……?」

そう言って、今度は彼女の方から同じ袋が渡される。
開けてみれば、これまた同じネックレス。ただ、真ん中の石が青いことを除いて。

「わたしもね、最初見たときからいいなあって思ってたんだ」
「ありがとう」
「お揃い、だね」
「そう、だな」

なんだか照れくさくて、でも嬉しくて。
小さく揺れる六花をそっと手の内にしまいこむ。

「今日はすごく楽しかった! 本当にありがとう……あい、享くん」

真っ赤な顔で呟かれたそれは、今度こそ俺の心臓を止めてしまいそうだった。



(もうだめ、心臓がもたない……)


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落し物より享と雪月でした。
かるちゃんいつもありがとう!

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