絶対起きてますよね?


“やっちゃん、お願い! 雪絵も私もちょっと手が離せないから赤葦の具合見てきてくれない? 潔子ちゃんには私から言っておくから”

午後一番の試合で赤葦さんが保健室に運ばれた、というのを知ったのはつい先ほどのこと。私はその現場を見ていなかったけれど、拙い記憶を思い返してみれば確かに大きな音とちょっとした騒ぎがあったように思う。だけどその時の私はうかりボトルの中身をひっくり返してしまっていて、それの片付けに追われていたから何があったのか詳細はわからなかった。片付けを終えて、一試合終わったところで雀田先輩に手招きされ、事情説明と赤葦さんの容体確認を任命される。
何故ここで私が指名されたのかわからなかったけれど、他校とはいえ先輩マネージャーである雀田先輩たっての頼みだし、ちょうど烏野が審判員の番ということもあって、清水先輩も快く送り出してくれた。
合宿も後半にさしかかり、森然高校の校内も限定的ではあるけれどどこに何があるかというのがわかってきた。迷わず、とは言えなかったけれど大した時間をかけることなく目的地である保健室にたどり着くことができて安心する。
これで迷子になりましたなんてことになったら恥ずかしさと申し訳なさで地に埋まるところだった。

「失礼します」

小さく声をかけて鉄の引き戸をゆっくりとスライドさせる。途端にひんやりとした空気が迎え入れてくれて、思わず顔が緩む。わぁ……天国だ!
ついさっきまで灼熱地獄にも似た状況下にいたからか、保健室はまさに天国と呼ぶにふさわしかった。――と、そんなことよりもミッションをポッシブルしなくては!
室内奥に三つ並ぶベッド。その一番手前に赤葦さんは寝かされていた。
なるべく足音を立てずにベッド脇まで行き、失礼とは思いつつもそっと顔を覗きこむ。顔色は悪くなさそうだし、呼吸も安定しているように見える。素人目で見る限り、特に危ない状態というわけではなさそうだった。
何事もなさそうでよかった……。安堵のため息と共に視界がかすむ。
私は赤葦さんの身内でもなければ同じチームメイトでもない、ただの他校の後輩――とも思われていないかもしれない存在だから必要以上の心配も安堵も余計なことなのかもしれない。でも、やっぱり知っている人が怪我をして寝込んでいるという状況は胸が締め付けられるし、出来ることならそんな状況に遭いたくはない。
一度顔を伏せて目を拭う。雀田先輩には様子を見てきてとしか言われてないし、ここで私が居残ったところで看病も何もない。またあの灼熱地獄に戻るのはとても気が引けるけれど、清水先輩には少しだけ行ってきますとしか伝えていないしお一人で次の準備をされているのかもしれないと思うと一分一秒でも早く戻らなければと使命感に駆られる。
もう一度だけ赤葦さんのお顔を拝見してから出ようと思って、顔を上げたその時だった。

「……ち、さん」

自分の名前を呼ばれた気がして思わず声を上げそうになる。でも、赤葦さんの瞼は閉ざされたままだし、起きられた様子もない。よく耳を澄ませてみるけれどそれ以降は規則正しい寝息しか聞こえてこない。気のせいだった……?
覗き込むような姿勢を正そうと体重を移動させ――られなかった。

「え……?」

私の手はいつの間にか赤葦さんの大きな手により捕まっていて、頭が今の状況を処理できずに困惑の極みとなっている。
えっ……えぇ!? あの、えっ、お、起きてます!? 赤葦さん起きてます!?
慌てて赤葦さんのお顔に視線を移すも、そこにあるのは穏やかな寝顔。
…………あれ? じゃあ無意識に私の手を掴んだ……? それとも何かの反射とかで? 
うん、まあ、ひとまず落ち着こう、落ち着いて状況を整理しよう! クール!
何度か深呼吸を繰り返して、漸く落ち着きを取り戻す。

「……赤葦、さん?」

再度確認のために名前を小さく呼んでみるも返答はなく、完全に沈黙であります! と私の中の軍曹さんが叫んでいる。いやいや、軍曹さんって誰!?
ぶんぶんと頭を振ってこの先どうしたらいいかを考える。
捕まっている手を振りほどくのはたぶん簡単、だと思う。そんなに強い力で握られているわけでもないし、むしろちょっと手の角度を変えればするりと抜けだせそうなほど。だけど、それがきっかけとなって赤葦さんが目を覚ましてしまうのはどうにも心苦しい感じがある。せっかく深い夢の中に旅立っているのに、私なんかのせいで起こしてしまうのは申し訳ない。
合宿の日程も後半に入っていて、疲れも出てきている頃。いくら早寝をしたといえど、やっぱり合宿という性質上普段の生活とはかけ離れた状況であるし、完全に疲労が取れるわけじゃない。それならば、今この状況は赤葦さん的には願ったりかなったりなのかもしれない。静かで冷房が効いていておまけに学校の備品とはいえ、ベッドでの休養。少しでも疲労回復に努めていただくことが最優先事項、というのはわかってはいるけれども! だけど、じゃあ私はどうしたらいいのという最初の問題に立ち返る。
赤葦さんを起こしてしまうわけにはいかないけれど、早く清水先輩の元へ戻らなければならない。ここで私は二択を迫られる。
このまま赤葦さんの眠りを優先するか、清水先輩の元へ戻るか。私の立場を鑑みるとすぐさま戻るべきだけど……。
ほんの少し身を引いた瞬間だった。今まで殆ど力が込められていなかった赤葦さんの手が突如として私の手を力強く握る。まるで戻らないで、と言わんばかりのタイミング。
絶対起きてますよね!? だけど相も変わらず赤葦さんは規則正しい呼吸と穏やかな寝顔でぐっすりと夢の中。
はぁ……。私は今日一日で何度慌てるんだろうなぁ。
今度こそ戻れなくなってしまい、仕方なしとばかりに傍にあった簡易椅子を引き寄せて腰を下ろす。と、途端に襲いくる眠気。あぁ……涼しい室内に午後の日差し。お昼ご飯を食べて少し経った頃合いという抜群のお昼寝タイム。ね……眠たい。このまま、許されることなら眠ってしまいたい……。
とうとう重い瞼を開けていられなくてベッドの端に突っ伏す。
すみません、清水先輩。少しだけ休憩していきます……。



(あれ……? え、なんで谷地さんがここにいるんだ……?)

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