鞄の中に宝物


木兎さんの自主練に付き合い、いつものごとく夜の七時を回ろうかというところで日替わりの見回り担当教師に早く帰るように注意される。当然のごとく木兎さんからはもう少しだけと希求の声が飛ぶけれど、それを「二度言わせるな」の一刀のもとに切り捨てて見回りの教師は踵を返して行ってしまう。
さすが本校一の鬼教師。木兎さんもそれ以上は何も言わず――というよりも呆気にとられて開いた口が塞がらないと言ったほうが正しいのかもしれない――大人しくボールを拾い集めにかかる。あの、誰よりもバレー馬鹿という言葉が似合う木兎さんがこうも素直に従うとは……。やはりあの人には誰も敵わないのだろう。

「なぁ、赤葦」
「駄目ですよ。これ以上あの人を怒らせたらそれこそ活動停止にまでされかねないです」
「そうだよなぁ……」

そこまでの権力があるのかどうかはわからないけれど、あの鬼教師なら言葉を連ねて何とでもできそうな感じは容易にある。だから木兎さんもあれ以上何かを言うべきではないと判断したのだろう。
だけど、言われるがままに片付けてはいるものの、やはり納得はできていないようでその表情はおもちゃを取られた幼子のようだった。どんだけ納得してないんすか。
あちらこちらに散らばっていたボールを拾い集めて、張っていたネットとポールを片付けて倉庫に押し込む。全開にしていた窓を閉め、重い引き戸をがっちりと閉ざして部室へ戻る。
だらだらと着替えている木兎さんを余所に、早々に着替えを済ませ戸締りを頼み一人先に部室を出る。
そういえばここ最近毎日ここを出るのが八時だの九時だのという時間だったからか、七時というとまだまだ早いという謎の感覚に襲われる。
世間的に見れば部活動で夜の八時、九時までやっている方がおかしいのだけれど、そこは私立校だからという強みなのかそれともバレー部が強豪と言えるほどの強さがあるからかはわからないけれど、余程の事――先ほどの鬼教師みたいなのが来ない限り、部員の好きなようにやらせてもらっている。といっても最終下校時刻というのは定められているから、そこまでの時間という制限は着くけれどそれにしても他校と比べると比較的長いと言えることは間違いない。そのおかげで俺はいつも木兎さんのスパイク練に付き合わされるわけだけれど。
校門を出て、ふと歩みを止めて顔を上げると帰り道が少しだけ違っていた。近くの商店街の店明かりの数がいつもよりも多いという、たったそれだけの事だけれどなんだか新発見をした気分になってしまう。そうか、この時間だとまだ開いている店も多いのか。
いつもの時間だと暗いし回り道になるからアーケードの前を通り過ぎるだけだけれど、今日は一時間も早く部活が終わったからちょっと寄っていってみようか。探検心があるわけではないけれど、持ってきていたおにぎりは部活前に食べてしまったせいで腹の虫のリクエストに応えられるものが今手元に全くない。
家に帰ってもきっとまだ夕飯はできていないだろうし、親も仕事が終わってから作ってくれるから急かすこともできない。
ならばとるべき道は決まったも同然。止めていた歩みを商店街のアーケードに向ける。

「…………」

商店街の中は右を見ても左を見ても活気にあふれていた。そろそろ閉店時間なのか、あちこちから半額を謳う文句が飛び交い、勤め帰りらしき人や買い物バッグを持った人らがそれに飛びついている。あの中に入ってもみくちゃにされてまで腹を満たそうとは思わない。
よく考えてみればいつもこの時間はまだ木兎さんの自主練に付き合っているわけだし、その間も空腹には耐えられている。ならば今日も我慢できない道理はない。
空腹時には目に毒と言わんばかりの弁当、美味そうな香りで誘惑してくる総菜の山を振り切り、一心不乱に駆け抜ける。
賑やかな一角を抜けて名残惜しさで振り返りたくなるのを抑えて、気を紛らわすために視線を右へ左へやっていると、ある店が目に留まる。正確にはある店のショーウィンドウに飾ってある、向日葵のストラップ。
季節がら、夏らしさを具現化したものなんだろうけれど、俺の頭の中ではある女の子の姿がはっきりと映し出される。
向日葵のような明るくて眩しい髪。闇夜に輝く星々をあしらった髪ゴム。花のような笑みに小柄な体躯。右へ左へ駆けまわり、何に対しても一生懸命さがひしひしと伝わってくるその姿に俺の目は何度奪われたことだろう。
気付けば店内に誘われていて、数分後には可愛らしいラッピングをされたストラップを手にして店外に佇んでいた。自分でも驚きの即行ぶりに上手いこと現実を受け止めきれない。だけどそれも一瞬のことで、我に返って一番最初に考えたことは買ったところでこれを渡す機会ってないんじゃないのかということ。
というか機会もなにも、俺と谷地さんはまだ“知り合い”程度の仲だ。例えきっかけがあったとしても、他校で年上で知り合い程度の人間がいきなりストラップを渡すとか引かれないか? 引かれるよな。万が一引かれなかったとしても、谷地さんからしてみたら意味が分からないよな。大して仲がいいわけでもないし、プレゼントを渡せるほど親睦を深めたわけでもない。合宿中も会話という会話は片手で済ませられるような回数しかなかったし、その貴重な時間も話したことといえば他愛もない世間話くらいなもの。
何故もっと話しかけようとしなかったのか、とか会話の引き出しが少なすぎだろとか、今になって思うことはたくさんあるけれど、すべて後の祭りだ。そんなのわかっている。
それでも、だ。あの時もう少し頑張りを見せていれば、このストラップだって普通に渡せていただろう。買った後でこうして思い悩まずに済んだのだろう。
一つため息を吐きだして、今一度手の中にあるストラップを見つめる。渡せるかどうかもわからない、もしかするとずっと鞄の中で眠るかもしれない。それでもいいかと思えたのは、何か一つでも谷地さんとの関わりを持てるものを傍に置いておきたかったから。これがあれば、また谷地さんと話せた時に、話のネタにでも使えるかもしれないから。あわよくば渡せるかもしれないから。下心丸出しと言われようが構わない。同じ高校でも同学年でもないのだから、少しでも小さくてもチャンスを掴みたい。
包みがへたれないように大切に鞄のポケットにしまい、止めていた歩みを再開させる。特に目的地は決めてはいないけれど、もう少しこの商店街を探検してみようと思った。もしかしたら面白い店がほかにもあるかもしれない。そうしたら次会った時の話のネタになるかもしれない。持てる引き出しは多い方が断然いいのだから。
ふと顔を上げれば、空には一際輝く一等星。なんだかそれが妙に嬉しくて、自然と頬が緩んだ。



(いつか渡せる、その日まで。)

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