ネクストチャレンジ


「わひゃ!」

階下から鈍い音と共に聞こえた奇妙な悲鳴。
聞き覚えのある声に、まさかとは思いつつも最低限の灯りしかついていない階段を、手すりを頼りにゆっくり段差を確かめながら降りていく。
普段ならひょいひょいと降りられる階段も、灯りがないというだけでこんなにも慎重になるのだから人間というのは面白いものだ。
まあ、踏み外して怪我なんてしたくはないし、これから春高予選がある身としては万全なコンディションで挑みたいところだから慎重にならざるを得ないけれど。
一つ大きく息を吐き出して、じっと足下に視線をやる。あまり夜目が利く方ではないけれど、これくらいの暗さならなんとか大丈夫そうだ。
一番下まで降りきる前に、持っていたであろうジュース缶を盛大にばら撒いた谷地さんが目に飛び込んでくる。
たまたまそんな状況に居合わせる確率が高いだけなのに、まぁ高いと言ってもこれで二度目だけど……どうにも俺の中での谷地さん像はいつも何かをばら撒いている人、になりつつある。そんなの谷地さんにとってみれば不名誉極まりないものなんだろうけれど、今のところの印象はそれが妥当だった。

「大丈夫? 谷地さん」

なるべく驚かせないように声をかけたというのに、谷地さんは奇声を上げて後ずさる。地味にショックだ。
俺のその感情が表に出てしまっていたのか、今度は顔を真っ青にしてこちらに駆けよってくる。相変わらず忙しないし元気だなあ。

「心配していただき声までかけていただいたというのに奇声を上げた挙句逃げるような素振りを見せてしまいすみません!」
「気にしてないよ」

ここで本当のことを言ってしまえば谷地さんの事だ。土下座だけでは済まないだろう。

「ごめんなさい! すみません! もうしませんとは断言できませんがなるべく気を付けますのでどうか」
「谷地さん」

人差し指を立てそれを口元に当てる。小さく「しー」と口にしてあたりを窺えば、幸いなことに今この場にいるのは俺と谷地さんだけだというのがわかった。
携帯電話を置いてきてしまったから正確な時間はわからないけれど、ここまでくる道中に誰一人として出会わなかったことと暗がりからあまり早い時間ではないことは推測できる。それに若干の眠気も感じる――まあこれは試合後の自主練が主な要因ではあるけれど。ったく、なんであんな試合した後に二時間も三時間も自主練なんてできるんだか。
底なしの体力バレー馬鹿とはきっと木兎さんのことを言うのだろう。そんなこと口が裂けても言わないけれど。
足下に散らばっていた缶を拾い集めれば、またも深く頭を下げられてしまう。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「え、っと……赤葦さん、でしょうか?」
「はい、赤葦です」

ゆっくりと上げられた顔はいつもの谷地さんだったけれど、そこには微かに不安色を孕んでいた。
なぜ俺の正体を確認するのかと思ったけれど、周りは暗い上に階段からの灯りが俺の背後から射しているから谷地さんの位置からだと逆光になってしまってシルエットしかわからないのだろう。
でもこの校内には今、数十人規模で合宿をしているのによく俺だとわかったものだ。

「よくわかったね」

考えていることを素直に口にしてしまって思わず口を押える。あー、そういえば一昨日も同じようなことを言ったような気がする。それは谷地さんも同じ感覚を持っていたようで、何かを気付いたような顔をしている。

「あ、れ?」
「確か一昨日も同じこと言った気がするけど」
「やっぱり、そうです、よね?」

とぎれとぎれの言葉は確認の意も込めてのこと。まあ谷地さんはシルエットしか見えていないわけだから俺がどんな表情で話しているかとかもわからないだろうし、それに他校であるとはいえ一つ年上である俺にどう接したらいいかもわからないのだろう。別に普通に接してくれていいのだけれど、その“普通”がわからないという感じか。
聞くところによれば谷地さんはつい先日入部したばかりだというし、それまでは運動部の先輩後輩という関係に縁遠かったのだろう。急に足を踏み入れた運動部の雰囲気に慣れるのは時間がかかる。

「それ、うちの先輩たちの分も入ってるよね?」

話題を変える意味で、先ほどからずっと谷地さんの両腕の中で顔を覗かせ続けているジュース缶に視線を移す。マネさん部屋でパシリというのはなさそうだし、きっと谷地さんが気を遣って一番年下だからと買って出たのだろう。
でも、俺の腕の中にあるものと谷地さんの持っている数を足してみると、どう見ても一人で持って帰れる量ではない。またこの子は一人で頑張ろうとしているのだろう。一昨日それで洗濯物をばら撒いてしまったというのに。
少しどころか大いに誰かを頼っていいのに、一人で無理をしていいことなんて一つもない。

「持つよ」

有無も言わさず半ば取り上げるようにして谷地さんの腕の中で若干温くなってしまったジュース缶を引き受ける。その際に谷地さんからストップの声がかかるけれど聞かなかった振りで押し通す。

「あ、あの!」
「一昨日洗濯物ばら撒いてたし、今さっきも落としてたから」

そう言ってしまえば谷地さんからはぐうの音も出ない。言いたいことはあるのだろうけれど、言ったところで俺が返すわけがないことは一昨日の一件から薄々感じとったのだろう。
それ以上は口を引き結んで、申し訳なさそうな表情を浮かべるだけだった。

「よくこれだけの量を持てたね」
「コツを掴めばなんとか……」
「じゃあまだ掴めてないんだね」
「う……」

図星だったのだろう。というか今のは自分で言ってしまったようなものだけれど。
まったく、どこまでも面白い子だなあ。

「マネさんの部屋でいいんだよね?」

行き先を確認して踵を返す。背後から「あ、はい!」と声が飛ぶ。一段一段確認しながらゆっくりと、今度は来た道を戻っていく。後ろを谷地さんが追いかけてくるだけなのに、たったそれだけで暗闇を歩く足取りが軽くなった気がした。


(次こそは頑張ります!)

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