「お揃いだね」


吐く息が白くなり始めの季節。
大学入学時からずっと好きだった人に思いを告げて――長い長い恋にピリオドを打った。
“ごめんね、好きな人がいるんだ”
予想していた中でも一番聞きたくなかった言葉でばっさりと斬られ、可愛くない笑顔を貼り付けるのが精いっぱいだった。それでもその場で泣かずに「そっか」と言えた自分を褒めてあげたい。
泣いたら絶対気を遣わせてしまう。優しい彼ならきっと慰めてくれる。大丈夫かと泣き止むまで一緒にいてくれるかもしれない。でも、そんな痕の残る苦い思い出にはしたくなかった。
これ以上言えない言葉を飲みこんで、小さく「ありがとう」と感謝の言葉を述べる。そして私は、二十一年という短い人生の中で初めて失恋というものを経験したのでした。


一人寂しい帰り道。日も暮れて先ほどよりもぐっと気温が下がった東京の雑踏は私の寂しさを慰めもしてくれない。空気も人も冷たくて、私の心はどんどん疲弊していく。
それはそうか。ここは地元でもなければ母校でもないのだ。泣きそうになっていたら、どうしたの? なんて言ってくれる人もいない。わかったようなわからないような顔をして、でも口にする言葉は真っ直ぐな人もいない。面倒くさがりながらも話を聞いてくれる人もいない。気遣って優しい言葉をかけてくれる人もいない。そう――誰もいない。烏野高校で共に青春を過ごした仲間はここには誰もいないのだ。
自分で進路を決めて、一人になるとわかっていても東京に出てきたのだ。自分で決めた道に、誰もいないことを非難してはいけない。それでも、こんな時彼らの中の誰か一人でもいてくれたら――と思う。縋りたいわけではない。でも、ほんの少しだけでいい。思いの丈を述べて、適当な相槌でも熱い反応でもなんでもいい。話を聞いてもらいたい。そして失恋したんだという事実をちゃんと自分の物にしたい。そうしたら一歩前に踏み出せそうな気がするから。
完全に諦めることはまだできなくても、少しだけ前を向けそうな気がするから。
考えれば考えるほどぎゅうっと締め付けられる胸に大きく深呼吸をして冷たい空気を肺の中に取り入れる。ああ、冷たい。冷たくて鼻の奥がツンとして……泣きそうになるのを必死に抑える。
人の合間をすり抜けるのにも疲れてコンビニの壁に背中を預けて一休みをする。自然と垂れる頭。起こす気力もなく暫くの間そうしていると、目の前に影ができていることに気付く。
……どうして影ができるのだろう? 極力邪魔にならないように端の方にいたはずだったのに。それすらも邪魔だと思う誰かが私の前に立っているのかな……。確かにコンビニ側からしたら営業妨害になるのかもしれない。もしそうなら謝って早々に立ち去ってしまおう。今の私に怒られるだけの気力はないし、上手く謝れるかどうかもわからないけれど。
意を決して頭を上げ――私の目は大きく見開いた。

「え、あ……」
「こんばんは、谷地さん」

そこに居たのは、ウィンドブレーカーを着込み、寒そうに両手をポケットに入れた男の人。こんなかっこいい人知り合いにいたっけ?
でも、声をかけられたということは知り合いには違いない。名前を呼ばれたことにより私の脳内ではある人物が思い起こされていた。
トレードマークとすら言える短い癖っ毛と冷静さを地で行く声。必死に記憶を呼び起こす。
あれ……? あれ? もしかしてこの人――

「あ、かあし、さん?」
「はい。赤葦っス」

少しだけ口角を上げて、赤葦さんはそう言った。三年前、私たちの代の最後の遠征合宿の時に会った時から随分と大人びた顔つきになっていて、一瞬、本気で誰だったかわからなかった。
よかった……! 当たってた! と思うのも束の間。

「おっ、お久しぶりです!」

他校の先輩であったとはいえ、いつまでも突っ立っているような失礼はしちゃいけないと謎の強迫観念に襲われ、腰から九十度に上半身を折り曲げて頭を下げる。たぶん今の私、どこの謝罪会見に行っても通用するだろうなぁ……なんてことを他人事のようにぼんやりと考える。頭を下げているから、赤葦さんの様子はわからないけれど、きっと驚いているのかもしれない。少しばかり時間を置いて言葉が紡がれる。

「……久しぶり。谷地さん、東京に出てきてたんだ」
「はい! 恐れ多くもこの大都会東京にて学生をやらせていただき日々生きております!」
「そっか。会えてよかった。……でもすごく悪目立ちしてるからそろそろ頭を上げてくれないかな」

その声に恐る恐る顔を上げれば、道行く人の何人かがこちらを何事かと窺っている。
それもそうですよね! こんな人通りの多いところで、ましてや帰宅ラッシュドンピシャな時間帯に、何やってんだって感じですよね! それは注目の的にもなりますよね!? すいません!
心の内で本物の謝罪会見を開きつつ、赤葦さんへと視線を戻す。相変わらず背の高い人で、少し首を傾けなければちゃんと顔を見ることもできない。
日向はいつもこんな背の高い人たち相手に戦ってたんだなぁ。すごいなぁ。この場にいない元チームメイトの奮闘を今まさに噛みしめている。

「……あの、俺の顔に何かついてる?」
「え!? あ、いえ!」

そんなことを言われるほど見つめてしまっていたのだろうか。自覚はないけれど、見られていたご本人からそんなことを言われたのだからたぶんそうなんだろう……。
しかしながら顔を見ないようにすると、今度はどこへ視線をやったらいいかわからない。人と話すときはなるべくその人の顔を見るようにしているからか、話すとなるとやっぱり顔を上げなければ私の気持ち的に落ち着かないし、失礼なのではないかと感じてしまう。
どうしたものかと悩んでいるうちに、いつの間にか周囲の人は散り先ほどまでと変わらぬ様子となる。それを見計らって、赤葦さんが薄く笑みを作る。

「谷地さん、夜飯まだ食べてない?」

突然降ってきた言葉に一瞬反応が遅れる。考え事なんてしてるから!
どうしてこのタイミングで赤葦さんがそんなことを訊くのかその意図が読めなかったけれど、ひとまずここで嘘を吐く理由はなかったので正直に「食べてません」と口にする。
日も暮れてまだそんなに時間が経っていなかったし、一人暮らしの身の上で外食ばかりするわけにもいかない。とてもありがたいことに仕送りをしてもらっているしアルバイトだってしているけれど、使えるお金はなかなかに乏しいのが現状だった。東京の家賃ってなんであんなに高いんだろう……。
と、あらぬ方向に飛んで行ってしまった思考を手繰り寄せて、議題を何故赤葦さんが私の夕飯のことについて訊いてきたのだろう≠ノ戻す。でも、その解答はすぐに得られることとなった。

「俺もまだだから、一緒にどうっスか? あぁ、でも――」

彼氏がいるならだめだよね。
その言葉に、今まで抑えていた想いがあふれ出る。
彼氏――そう、なってほしかったなぁ……。大学入学から今まで二年と八か月。好きだと思い続けて、やっと言葉にできたら結果は無残にも敗退。彼の好きな人を教えてもらったけれど、私とでは比べるのも烏滸がましいくらい。言うなれば学部のアイドル的存在の女の子で異性からはもちろんのこと、同性からも人気が高いし評判がいい。だからあの子のことを好きだと言われてしまえば諦めざるを得ない。そんなの勝ち目なんてないのはわかっちゃってるから――わかってるからなおさら心が痛かった。
私が黙ってしまったことを不思議に思ったのか、赤葦さんが顔を覗きこんでくる。

「谷地さん?」
「ついさっきフラれちゃったので彼氏はいないです」

顔を覗きこまれて緊張したのか、それとも言葉にして心を軽くしたかったのか、たぶんどっちも理由としてあてはまるんだろうけど、たぶん言わなくてもいいことを言ってしまったという自覚はあった。
彼氏はいないです、でよかったのに――どうしてフラれたことまで言っちゃったんだろう。
久しぶりに会えた旧知の人に気分が高まったのか、それとも話を聞いてもらいたかったのか。何にしても口にしてしまった言葉はもう戻せない。気まずい思いで顔を上げれば、悲しそうな顔を貼り付けた赤葦さんと視線がかち合う。
赤葦さんがどうしてそんな表情をしているのか――その時の私はわからなかった。だけど、このままではいられないと必死に言葉を探す。

「あ、あの……」
「お揃いだね」
「……え?」

紡がれたお揃い≠ニいう言葉。この場面で出るには相応しくないとさえ感じるそれに私は首を傾げるしかない。どういった意図があってそんな言葉選びをしたのか、とても気になった。

「俺も、フラれちゃったんだよね。しかも谷地さんと同じタイミングで」
「そう、なんですか……」

それ以外のことを言えるはずもなかった。私自身経験したこととはいえ、こんな時どんなことを言えばいいのかわからない。何を言えば心が休まるのか、慰めになるのか――そもそも時間が解決してくれることなのかもしれないのに無理に言葉で誤魔化さなくてもいいのかもしれない。だったらここで余計なことを言うよりも黙っていたほうがいいのかな……? わからない問いを考え続けるのは思ったよりも疲れるなぁ。

「だからお揃いだね。なんか、いろいろ。……ここで会ったのも何かの縁だし谷地さんさえよければお揃い同士のよしみで夜飯に付き合ってくれない?」

いろいろと聞きたい話もあるし、ね。
そう切って、赤葦さんは悲しそうに――今にも泣きそうな、でも我慢しているような難しい表情で言う。
それに私は否定の言葉を、拒む言葉を持てなかった。同じタイミングでフラれたという、お揃い同士という奇妙な縁が妙に私の気持ちを前向きにしているのかもしれない。
傷の舐め合いをしたいわけじゃない。けれど、それでも誰かに話を聞いてほしかったというのは事実だった。
小さく首肯すれば、赤葦さんからは薄く笑みが漏れる。それがどこか寂しそうに見えたのは――たぶん気のせいじゃない。

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