「あ、谷地さん。起きた?」


薄ぼんやりと開けた瞳に映り込んだのは見知らぬ天井だった――……ってえぇ!? どこだろうここ!? 暢気にモノローグを入れている場合じゃない!
眠気なんて一気に吹っ飛ぶ衝撃的な光景。勢いのままに飛び起きれば、ぐわんぐわんと頭の中が揺れて若干の気持ち悪さを覚える。
この感覚、すごく覚えがある……。確か、初めてお酒を飲んだ日、加減がわからずに美味しい美味しいと手当り次第飲みまくった次の日の……そう、二日酔い!それがわかったところで今の状況が一歩も前に進むわけじゃないけれど、ひとまず自分の状態を知ることができたことで一つ安堵のため息を漏らす。
さて、次の問題。状況把握をしようと右へ左へ視線をやってみる。
必要最低限の家具しかないような、どことなく寂しさを思わせるような寝室。ベッドはもちろんのこと、壁紙も部屋中の家具も見たことのないもの。うん、わかった。どうやらここは他人の部屋だ――というよりそれ以外わからなかった。
一体全体ここは誰の部屋なんだろう……。インテリアやベッド周りを見る限り、私の友人の部屋ではないことは明らかだった。あまり友人の部屋に泊まるという経験をしたことがないけれど、それでも記憶の中にいる何人かの、それこそパジャマパーティーをするような仲の良い子をピックアップしてみてもこの部屋の雰囲気にはそぐわない。
曖昧に刻み込まれている記憶を必死にかき集めて昨日の出来事を脳内再生してみる。でも、余程強いお酒を飲んだのか、それとも浴びるように飲んだからか、肝心なところがぼやけてしまっている。
確か、誰かと一緒に居酒屋さんに入ったはず。だけどその“誰か”が思い出せない。
誰だっけ……。でも一緒に居酒屋さんに行くってことは少なくとも見知った人だということは確実なはず。さすがの私も落ち込んでいるからといって誰彼かまわずお酒の席に誘うわけじゃないし、そもそもそんな度胸もない。そんなことができるならもう少し“彼”ともうまく付き合えたと思う。

「…………」

もう正式に振られたことだし、過去の話だから振り返ったってしょうがない。後悔したって、仕方がない。今更、もう……。
気付けば、シーツに小さな染みを作っていた。
あぁ、本当に、フラれちゃったんだなぁ。一日時間をかけて、漸く自分の中に納めることができた。
嬉しいとは思えない。けれど、よかったとは思う。これでやっと一区切りつけることができたのだから。
思考があらぬ方向へ飛んでしまい、一度頭を振ってリセットする。
泣くのはもう、おしまい。今私がすべきことはこの部屋の家主の見当をつけること。
たぶん昨日の夜から今日まで数えきれないくらいの迷惑をかけ、お世話になったであろう人。私が今日一番頭を下げ、誠心誠意謝らなければならない人。
皆目見当つかないけれど、何とかして思い出さなくては。
一休さんのように側頭部に手を当てくるくると回してみるけれど、一向に閃く様子はない。それもそうだよね。私は一休さんではないのだから。
云々と唸っていると、突然電子音が部屋中に鳴り響く。
聞き覚えのあるその音の出所を追ってベッドから飛び降り、多色に光るランプを目印に駆け寄る。
ベッドから数歩も離れていないところに置かれていた携帯電話を手に取ってフリップを開ける。
果たしてそこに表示されていた名前は“赤葦さん”だった。
どうしてこのタイミングで久しく会っていない赤葦さんの名前がディスプレイに出てくるのか不思議でしょうがなかったけれど、いつまでも放置しているわけにもいかず意を決して通話ボタンを押しこんで耳に当てる。

「はい、もしもし」
「あ、谷地さん。起きた?」

起きた……? はて、何故赤葦さんはこんな言い回しをするのだろう。まるで私が今の今まで寝ていたことを知っているかのような口ぶりだなぁ。
訳も分からぬままひとまず問われたことに対し返答する。

「あ、はい。起きました」
「そっか、よかった。頭痛かったりとか気持ち悪かったりとかしてない?」
「若干気持ち悪いです、けど……え? あの、どうしてそんなことを訊くんですか?」
「……もしかして昨日のこと覚えてない?」

昨日? 昨日とは、いったい、何のこと――……あれ? あれれ? 何かが引っかかる。何か大切なことを忘れているような……?
何とか赤葦さんとの話を合わせるため、おぼろげな記憶の欠片を集めてみるものの、やっぱり話の合点がいかない。

「覚えてないなら別にいいんだけど、昨日は飲ませ過ぎちゃってごめん。鍵はテーブルの上にあるから落ち着いたら鍵閉めて帰って」
「は!? え、はい!?」
「じゃぁ、また」

一方的に切られた電話。
ツーツーという電子音で漸く携帯電話を耳から離す。既に暗くなった画面に目を落として、もう一度部屋を見渡す。
シンプルイズベストと言えば聞こえはいいが、必要最低限の家具しかない質素な部屋。しかし、それをこの部屋の持ち主との人物像と合わせると合点がいく。先ほどの通話で判明した驚愕の事実。信じたくないけれど、信じるしかない。
谷地仁花、21歳。遂にやらかしてしまいました。

「ここ……赤葦さんの部屋ー!?」

叫んでみたはいいものの、すぐに口を手で押さえる。この時間だし近所迷惑にはならないとは思うけれど、ここが自分以外の部屋だというだけで何もかも緊張してしまう。ましてや異性の――それも赤葦さんの部屋だ。呼吸をするのも恐れ多いと思ってしまい、知らず知らずの内に息を止めてしまっていた。
く、苦しい……!
手を離し、大きく深呼吸をする。何度かそれを繰り返して漸く息が整ったところで落ち着こうとひとまずその場に正座をする。今の状況が何かしら変わるわけでもないけれど、落ち着こうと前向きに捉えたことと赤葦さんの電話とで、段々と昨日の記憶が蘇ってきた。
そうだ、思い出した!
昨日、フラれた後に赤葦さんと偶然再会して、それで似た者同士って話になってその流れで居酒屋さんに行ったんだ! それで! それ、で…………。

「わああああああああああ!?」

昨日のことを思い出したということは、昨日の失態や失礼や無礼を思い出したということで。ひとまず叫んで、思いを爆発させるけれどそれでも有り余る恥ずかしさと後悔と申し訳なさに頭を抱えるしかない。
穴があったら埋まりたいどころの話じゃない! 命を懸けてお詫びしても全然足らないくらいのあれやこれや。
どうしよう! どうしたらいい!?
誰に訊いても答えてもらえない問いを突き付けられて脳内はパニックを起こしているし、大声を上げて喉はカラカラだし一体まず何から手を付けたらいいかもわからないけれど、これ以上赤葦さんのお部屋で大騒ぎするわけにもいかず、ひとまず自分の部屋へ戻ろうと決心する。
数回深呼吸をして、少しだけ冷静になった頭の中で今日の時間割を確認する。えっと、確か今日は何も授業は入れていないはず。予定もない、はず。
よし! 大丈夫! あんまり大丈夫ではないけれど……。
時刻確認のために携帯電話をもう一度開く。10時前かあ。ここからいったいどのくらい離れたところに自分の部屋があるかはわからないけれど、お昼までには帰れるかな。

「よし!」

景気づけとけじめと自分を振り立たせるために一言掛け声を発して、部屋の隅に置かれていたリュックサックを担ぐ。電話通りテーブルに置かれていた鍵を手に取って念のために部屋中を見て回る。
たぶん赤葦さんのことだからガスや電気の類はちゃんとしてるんだろうけど、念には念を。私ごときがこんな心配をするなんて烏滸がましいにも程があるけど。
一通り見て、大丈夫なことを確認して、さあ戻ろう! と意気込んでドアを開け放つ。
ツンとした空気が鼻をうつ。うー冷たい! 寒い! 今日も冷えるのかなあ。
くるりと踵を返して鍵穴に鍵を差し込む。カチャリ、と小気味のいい音が鳴ったのを確認して抜き取ったまではよかったけれど、ここから先どうしたものか迷う。
本来ならば直接返すべきものなのだろうけれど、生憎私は赤葦さんの通っている大学を知らない。電話やメールで訊けばいいのだろうけれど、今の時間ならばもう始業のベルは鳴ってしまっている。
きっと赤葦さんのことだから私が連絡を取れば気にして返してくれるのかもしれないけれど、これ以上ご迷惑をかけられないという思いと貴重な授業時間を私ごときが奪ってしまってはいけないという思いと私なんかに時間を煩わせてはいけないという思いで未だにドアの前で立ち尽くしている。
大学の授業料って本当目が飛び出るほど高いんだよね……。一年生の春に受けたオリエンテーションでは一コマ三千円という言葉が出て、ああこれは絶対休めないなあと思ったのを今でも覚えている。
そんなこともあって余計に連絡を取りづらくなっている。
それならば、あまり安全な方法とは言えないけれど、ポストに入れてその旨をメールでお伝えしておこうか……。でも、それだとあまりにもあっさりしすぎじゃないかな……。ここまでご迷惑をおかけしておいて、お詫びもせずにさようならは私の気持ちが落ち着かない。
じゃあどうする? と言われると他に思いつく方法は一つしかなかった。
それこそ迷惑の上塗りになってしまうかもしれないけれど、これがたぶん考えられる中で一番確実かつ安全に鍵をお返しできる方法。
うん、そうしよう。
心の中で頷いて、手にしていた銀色をコートのポケットに滑り込ませた。



(谷地さん無事に帰れたかなあ)

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