決まり手は笑顔


この話を引いています。




今日も今日とて木兎さんの自主練に付き合うべく、俺の足は第3体育館に向かう。
毎日毎日試合と、たまにペナルティをこなし、よくもまあ、あれだけ動いてまだやるものだと感心してしまう。そろそろ疲労も溜まり始める頃だろうに、あの人のスタミナは底なしなのではないかとたまに思う。
バレーに対する木兎さんの情熱は並々ならぬものだ。いや、部活に所属しているのだから情熱がないはずがないが、とにかくいつもの部活でも、合宿でも、時間が許す限り自主練を怠らない。
こう言うと無気力丸出しみたいな感じだけれど、俺だってバレーに対する情熱はあるつもりだ。あるからこうして梟谷学園というバレーの強豪校に進んだし、こうして木兎さんの自主練にも付き合っている。少しでも打ちやすいトスを、求められる最高のプレーを。しかし、それも木兎さんの前では霞んでしまう。あの人はいい意味でも悪い意味でも大きすぎるのだ。
小さくため息を吐きだしたところで背中に声がかかる。その声の主は誰であろう、今しがた話題にあげた木兎さんだった。

「赤葦ー!」

なんでそんな元気なんすか。
上機嫌な木兎さんに比例して俺のテンションはゆっくり降下していく。元よりそんなにテンションが高かったわけではないけれど。
そんなことはお構いなしに木兎さんは駆け寄って、にっこり笑顔を向けてくる。

「今日もスパイク練するぞー!」
「はい」
「テンション低いぞー! 大丈夫か!」
「いや、俺がテンション上がるわけないのわかってますよね」
「赤葦もたまにはテンション上げてこうぜ! ……あ、やっちゃーん!」

やっちゃん?
突然会話の最後に入ってきた聞き覚えのある単語。
木兎さんがこれでもかとぶんぶん手を振るその先を視線で追うと、おそらく手にしていた洗濯物――暗くなり始めの空ではあまり見えなかったけれど、タオルやビブスなんだろう――を盛大にばら撒いてしまった谷地さんの姿を見とめる。あれ、絶対びっくりして落としたんだろうな、というのがありありとわかる状態だった。
意識して驚かせた訳じゃないからか、木兎さんは「何やってんだよー!」なんて笑っている。いやいや、木兎さんが驚かせたからあんな状態になったんすよ。密かに口に出してみたはいいけれど、蚊の鳴くような声では風に流され消えてしまう。
ひとまずばら撒かれてしまった洗濯物拾いを手伝うべく、歩みをそちらに向ける。
木兎さんも一緒についてくるけれど、たぶん大男が二人も近づいたら怯えて縮こまるんじゃないだろうか。木兎さんは背もでかければ声もでかい。どちらかと言えば小動物タイプの彼女からしてみたら威圧感がとてつもないんだろうな、ということは想像に難くない。
ともあれ、ほんの十数歩行けば辿り着いてしまう位置にいた谷地さんは、突然名前を呼ばれて驚いたのと洗濯物を地面にばら撒いてしまったことへの罪悪感とで膝をついていた。それこそ今すぐにでも地面に埋まりそうな勢いで。

「木兎さんが驚かせたみたいでごめん、拾うの手伝うよ」
「だ、だだだ大丈夫です! 先輩方の御手を煩わせるわけにはいきません! どうぞ私のことはお気になさらず自主練に行ってください!」
「全然大丈夫そうには見えないよ」

言いながら腰を下ろし、視線を右へ左へやって散らばっている洗濯物を拾い集めていく。それらはまだ若干濡れていて、脱水したばかりなのだというのがわかった。そんな状態で地べたに落ちてしまったから砂やごみがところどころについてしまっていて苦笑いを作るほかない。あー、これ洗濯し直さなくちゃだめだな。
それにしても随分と数があることが不思議だった。烏野ってこんなに人数いないよな……?
拾った洗濯物をよく見てみればどうにも見覚えのあるビブスやタオルだ。
これ、うちのも確実に交じってる。暗がりでよく色がわからなくて、近くで見て漸く気付いた事実に言葉を詰まらせる。
なんでうちの洗濯物が烏野の洗濯物に交じっているんだろう――とそこで記憶の端から引っ張られてきたのは今朝の先輩たちの会話。
今日は私らが食事当番なんだよね∞あ、そうだったっけ
たぶんその会話を谷地さんは聞いていて――彼女のことだから先輩たちに気を遣って、自分のところも洗うついでだからと言って洗濯を引き受けたのだろう。自分のところの仕事も手一杯なはずなのに。
先輩たちも谷地さんも決して悪くない。悪くはないからこのどうしようもない気持ちは行き場を失って心の内でぐるぐるとまわってしまう。
ちらりと彼女の顔を窺えば、自分のしでかしてしまったことへの責任か、まだ青い顔のままだった。何事にも一生懸命取り組む姿は素晴らしいものだけれど、その一生懸命さが逆に心配になる。何かにつけて考えすぎてしまう性格の彼女だ。またよからぬ方向へ思考がいってしまっているんじゃないかと気が気でない。

「ほい、赤葦」

いつの間にか木兎さんも拾っていたらしく、その分と合わせて彼女に手渡せば、今にも土下座せんばかりの勢いで頭を下げられる。洗濯物を抱えているから言うほど頭が下がっているわけではなく、えらく不格好な形だ。というか持っているものが重すぎて今にも前のめりで倒れそうだった。
こんな状況、絶対人には見られたくない――と思ったら背後からの大音量。

「へいへーい、やっちゃん! あんま気にすんなよ!」
「それを木兎さんが言いますか」
「え? なんでだよ?」

木兎さんがうっかり大声で名前を呼んで驚かせたのがそもそもの原因だというのに、まるでそのことを分かっていないような顔で首を傾げられる。それこそ梟みたく。そんなところは別に梟らしさを出さなくてもいいのに。――ていうか声大きいっす。ボリューム調整できないんすか。
漸く土下座から姿勢を直してくれたというのに、谷地さんはまた土下座をしそうになっている。そう何度も年下の女の子を土下座させる趣味は俺にはないというのに。
木兎さんにわからないようにため息を一つ吐き出して首だけ後ろにやる。

「俺らのも洗ってくれてたみたいですよ」
「なにぃ!? それは本当か! やっちゃん!」
「へ、へい!」

へい? 谷地さんの面白おかしい受け答えに首を元の位置に戻す。時代劇でしか聞いたことのないその返事に一瞬笑いかけて、慌てて口元を押さえる。木兎さんに見られでもしたら向こう一週間はからかわれそうだ。
俺がいきなり口元を押さえたものだから、正面でそれを見ていた彼女は何事かと言うような表情を貼り付けている。心配と困惑が混じる視線とかち合い――押さえていた手を今度は人差し指だけ立てた形で口元に当てる。
“内緒にして”とアイコンタクトを送ってみるも、いったい何を内緒にするのか彼女は全く分かっていない様子だ。それでも分からないなりに気を遣ってくれたのか、小さく頷いて“わかりました”と声に乗らない言葉を受け取る。少しだけ心が通じた気になって嬉しい。
「二人して何やってんだ?」という木兎さんの声を合図にやり取りを終えて立ち上がる。しかしこれで一件落着、問題解決となったわけではない。むしろここからやるべきことが、それこそ谷地さんの腕の中にある洗濯物のように山積みとなっているわけだ。
汚れてしまった物をもう一度洗濯し直さなければならない。しかし、そのために必要なものがこの場に欠けている。そう、洗濯籠だ。およそ手で抱えるにはふさわしくない量の洗濯物をするというのに、彼女は果敢にも籠を使わなかった。もしかしたらどこにあるのかわからなくて使えなかっただけなのかもしれないけれど、何にしてもここはその必須アイテムがなければまた同じ惨事を引き起こしかねない。

「谷地さん。今、洗濯籠を持ってくるからちょっとここで待ってて」
「はい! え、あ、いいえ!」

それはいったいどっちだ。
手伝おうか? なんて提案の仕方をすれば絶対断られるだろうから、もう最初から手伝う前提で話をしようと思ったらどっちつかずな返事で今度はこちらが困惑する番となる。

「拾っていただいただけでも、もう恐れ多い上に感謝感激雨あられですので! あとは一人でできます!」
「今しがたばら撒いてたけど」

それを言われてしまっては言葉もないようだった。まあ、俺も狙って言ったわけだけれど。
この量の洗濯物を、その細くて小さな体で運ぶのは大変だろうし――改めて見ればどうやって持ってたんだか本当不思議なくらいの量だ――何かに躓かないという確証はどこにもない。躓いたら籠の有無なんて関係なしにまた洗濯物をばら撒く結果となるわけだけれども、それにしたって後々運ぶ際にもやはり籠があったほうが便利だし楽だ。
今度は体ごと後ろを向いて拳を握る。木兎さんは俺のそれを見てよっしゃ、来い!だなんて息巻く。しかし谷地さんはその不可解な行動を見て不穏な雰囲気になるのではないかと察知したらしく、あわあわという声が背後から聞こえる。

「木兎さん」
「ジャンケン!」
「「ポン」」

結果は俺がパーで木兎さんがグー。相変わらずわかりやすいというか、なんというか。

「じゃあお願いします」
「三十秒で戻ってきてやらぁ!」
「それは無理ですよ」
「赤葦ノリ悪い!」

それを捨て台詞に、木兎さんは校舎内に駆けていく。その姿を見送ってから、谷地さんの方へ向き直り彼女の腕の中にある洗濯物をやや強引に引き受ける。

「あ、ああああああの! 重いですし服が汚れますから!」
「それは谷地さんも同じだよね」

そもそもこの部活着も昼間の試合で汗をびっしょりかいているから今更汚れるもなにもない。
それに先ほどから洗濯物の重さに耐えきれずプルプルと震えている腕を見せられていたのだ。気にするなと言う方が無理な話。
谷地さんはうまく隠しているつもりだったのかもしれないけれど、常日頃セッターとしてコートに立っているのだ。相対する人間を見て分析することくらいお手の物だ。逆にそれくらい見抜けなくてどうするという話だった。
ここで暫しの沈黙。木兎さんがいないからか、余計静かに感じる。谷地さんは緊張しているのか視線があちこちに散っているし、俺も特に話すタイプではない。
だからだろうか。互いに、何を言うべきか、何も言わなくてもいいのか口を開いては閉じて、の繰り返し。そんなことを何度か繰り返した後、彼女の方が遠慮がちに言葉を紡ぐ。

「あ、あの、梟谷のセッターさん」
「赤葦です」
「赤葦さん、は……あの、音駒で合宿をした夜に私が迷子になっていたところを助けたいただいた、方、ですよね……?」

曖昧な記憶を必死に思い返している途中なのだろうか。谷地さんの言葉は尻すぼみとなり消えていく。
あの夜は灯りなんて殆どなく、わかったのは背丈や声くらいだっただろう。そんなほぼ誰だかわからない状況の中で自校の人間を判別しろというならともかく、他校の生徒を判別しろと言われても無理難題もいいところだ。ましてや彼女はまだ一年。月島から聞いた話では音駒合宿の直前に入部したらしい。そんな、自校の人間を漸く覚えた程度の彼女に、他校の人間がわかるはずもない。
なのに、だ。なのに彼女はあの夜、ほんの数分の出来事を薄ぼんやりながらも覚えていた。しかもその中から断片的に俺の特徴――といってもほぼ声なのだろうけれど――を引き出して答え合わせをしようとしているのだ。
俺にとってあの出来事は烏野高校の新しいマネージャー、谷地仁花という人間を知るきっかけとなった。
けれど、谷地さんにとってもそれが同じだったとは限らない。迷子になっていたら偶然通りかかった見知らぬ他校の人間に帰り道を教えてもらった程度の認識で、そんなこともうとっくに忘れてしまっているだろう、と思っていた。
なのに覚えていた。覚えていてくれた。そのことが、何故かとても嬉しかった。

「あんな暗くて誰だかわからなかったのによく覚えてたね」

しかし彼女の問いには曖昧に答える。
ここで君を助けたのは俺だ、なんて言おうものならたぶん深々と頭を下げられるのは目に見えている。だから曖昧に、でもやんわりと肯定する。その甲斐あってか、谷地さんの返しは緩やかなものだ。

「聞いたことのある声だなぁ、って思ったんです」
「俺の声、そんなに特徴ある?」
「特徴というか、聞いていて落ち着く声、です。安心するというか……送ってもらった時も真っ暗な廊下が怖くてドキドキしてたんですけど赤葦さんの声を聞いてたらとても落ち着きました」

木兎さんたちからはよく声が小さいだのテンションが低いだの言われてきたから、自分の声はそういうものだという意識でいた。
しかしまあ、落ち着く声……か。そんなこと、初めて言われた。聞く人間が変わればこんなにも印象が変わるものなのか。

「あの時は顔も名前もわからなくて、お礼しようにもずっとできなくて、だからこうしてわかってよかったです」

そこで一度言葉を切って、谷地さんは笑う。花のような笑顔とはこれのことを言うのかもしれない。
いつもおどおどしていたりあわあわしていたりであんまり笑っているところを見たことがなかったけれど、谷地さんってこんなかわいい顔で笑うんだ。

「あの時も今も、助けてくれてありがとうございました。赤葦さん」
「どういたしまして」

ちょうどそれが締めの言葉であるかのようなタイミングで木兎さんが賑やかに戻ってくる。行く時も戻ってきた時もテンションが変わらない。

「へいへいへーい! どうだ赤葦! 三十秒で戻ってきただろ!」
「数えてませんでした」
「なにぃ!?」

抱えていた洗濯物を持ってきてもらった籠に入れる。まさかこんなに重いものだとは思ってもみなかったのか、籠を持つ木兎さんの腕が若干震え、目がこれでもかと見開く。リアクションがオーバーすぎる。

「こんな重いもの持ってたのか!? やっちゃん、無理しすぎだぞ」
「うぇ!? あ、はい!?」

突然話を振られて驚いたのか、谷地さんの態度が面白いくらいに揺れる。もうそこには先ほどの笑みはなく、いつもの挙動が面白い谷地さん≠ノ戻っていた。
それが惜しいと思いながらも、あの笑顔は誰にも見られて欲しくない、俺だけのものであってほしいと思って――…………いや、どうして、そんなことを思う……?
彼女は他校の一年生で、ほとんど喋ったことなんてなくて、この間音駒で話したのが初めてで……そう、音駒。
あの一件が契機だった。あれがあったから俺は谷地さんを知った。彼女からしてみたらそんなの日常の一コマでとっくに忘れられてると思っていた。それをちゃんと覚えてくれていたことが嬉しくて、その時の笑顔がすごく可愛くて……。
あれ? もしかして、俺……谷地さんのこと……?
「おい、赤葦! ぼーっとしてないで手伝えよ!」
「あ、はい」

木兎さんの大音量で我に返る。
ひとまず考えるのは後にして、頭を切り替える。
いい加減籠と洗濯物の重さに参っているのか木兎さんの顔はどことなく必死だった。俺と谷地さんは木兎さんよりも長い時間それも持ってたんすけどね、とは口が裂けても言わない。
一度籠を置いてもらい、木兎さんが向かって右側、俺が左側に並び、せーのの掛け声で持ち上げる。
それを見ていた谷地さんが慌てた様子で駆け寄ってくるのを制する。生憎、籠にはもう持つ場所がないし、仮にあったとしても二人ならば余裕で持てる重さだ。かえって歩きにくくなってしまってもしょうがない。正直二人でもかなり歩きにくい。

「谷地さんは先に洗濯機のところに行って準備しててくれる?」

そのほうが効率がいいよ、と言えばわかりました、と素直に返ってくる。たぶん効率、という言葉に背中を押されたのだろう。
くるりと踵を返して駆けていく背中を見送って、木兎さんのほうへ向き直ればどうにも不可解な表情で顔を覗かれる。

「赤葦……お前、顔がなんか変だぞ」
「放っといてください」

自分でもよく分かってる。分かってるからそれ以上傷を抉らないでください。
木兎さんから視線を外し、今度は進行方向――谷地さんの走っていった方へ顔を向けて歩き出す。何の合図もなしに突然俺が動いたものだから、木兎さんから非難の声が飛ぶ。それを聞こえないふりで誤魔化してさっさと歩みを進めていく。

もしかしたら、なんて仮定の話ではない。気付いてしまった、とある感情。
それは意識してするものではなく知らない間にそうなっている≠ネんて昔見たドラマか何かで言っていたのを頭の隅で俺は思い出していた。当時はまだ小学生くらいだったし何を言ってるんだかさっぱりわからなかったけれど、今なら何となくわかる気がする。
だけどそのドラマと少し違うのは、俺はそのきっかけをはっきりと意識したということだ。


赤葦京治、十六歳。どうやら恋に落ちたようです。



(自分の仕事すらまともにこなすことができず先輩方にご迷惑をおかけし貴重な自主練のお時間までいただく始末! 今すぐ土に埋まってお詫び申し上げます!!)
(お願いだから土下座はやめて)

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