隣はまだ歩けない


「あーかあっしくん!」

満面の笑みと共に体育館に現れた人物――いつもならバスケ部のジャージを着ているはずのクラスメイトが今日は珍しく私服だった――を一目見て、赤葦の表情が一気に曇る。バスケ部は今日練習ないはずだろ、なんて野暮なことは言わない。
私服姿のクラスメイトが呼び捨てではなく、いつもは呼ばないくん&tけという、如何にも企みのある呼び方で赤葦を呼んだ。これは赤葦でなくとも何かある、と考えてもおかしくはない。
眉間に皺を寄せいっその事見なかったことにしてしまおうかとさえ考える。しかし、再び名前を呼ばれてしまえばそうもいかない。終いには木兎に「赤葦! 呼ばれてるぞ」なんて言われてしまえば行かざるをえない。
渋々その人物の元に歩み寄れば肩を抱かれ目の前にスマートフォンを突きつけられる。画面が近すぎて内容が全くわからないが、この画面の白さからいって恐らくメールの画面であろうということは推測できた。

「なあ、赤葦。お前今日この後暇だろ?」
「…………」

暇かと問われてそうだと答えるとでも思っているのか。声に出さずに視線で抗議する。
仮にそうだと答えてしまえば、きっと面倒事に巻き込まれるのは火を見るより明らかだった。先ほどの笑みを見る限り、案件は先月見せられた写真の女の子のことだろうか。何か進展があったからこうしてわざわざ部活が休みなのに来たのだろうが、正直なところを言ってしまえば見なかった、聞かなかったことにしてこの場をやり過ごしたい、というのが赤葦の本音だ。
それに、バレー部としての活動はもう終わったけれど今は木兎の自主練に付き合っている身だ。また今日も時間が許す限り、自分が納得いくまで続けられるそれは、練習後にはかなりきついものがある。が、それでもこのクラスメイトの案件との天秤にかければ傾く方は決まっていた。
木兎には悪いが、ここは体よく断る理由にさせてもらおう。木兎のバレーへの想いは部活や学年を超えて知られている。ならば自主練に付き合わなければならないと言えば、いくらこのクラスメイトといえど引くはずだ。

「いや、俺は……」

木兎さんの自主練に付き合わなくちゃいけないから、と言い切る前にクラスメイトが大声を上げる。

「木兎せんぱーい! 今日、赤葦借りてきまーす!」

予告もなしにあげられた声。肩を抱かれていた赤葦にはそれを避けることも防ぐことも出来ず、結果的に鼓膜にダイレクトアタックを喰らうこととなった。元来の声の大きさと、体育館の中程にいる木兎に言葉を届けるために大声を上げなければならないという目的意識があった為に、それは最早暴力と言うに相応しかった。
一拍遅れて耳を塞いでみるも、頭の中にキーンという音が鳴り響く。

「はぁ!? なんでだ!」

負けじと木兎も声を張り上げる。
それに返すために真隣のクラスメイトは大きく息を吸い込む。

「ちょっとダブルデートに行くんで!」

今度はちゃんと予兆があった為に耳を塞いで防ぐことが出来たけれど、ダブルデートという聞きなれない単語に赤葦の目は丸くなる。いくら連れ出す方便だとしても、もう少し捻りを加えるべきだ。そんなことで木兎から赤葦を引っ張ってこれるはずがない。

「なんだってぇ!?」
「じゃ、そういうことで赤葦借りてきますんで!」

これ以上この場にいたら木兎に詰め寄られると察知したのか、クラスメイトは半ば強制的に赤葦を連れ、体育館を後にする。背中に木兎の声を聞きながら、赤葦はどうにもできなくなってしまったこの状況に頭を抱えるしかない。
クラスメイトの腕は振り払おうと思えばすぐにでもできる。できるが、しかし。ここで振り払って体育館に戻ろうものなら、木兎を始めとするあの場にいた全員から質問攻めにあうことは想像に難くない。戻ってもこのままクラスメイトに付き合うとしても、どっちに転んだとしても面倒事は避けられそうになかった。
勢いのままに連れ出されてしまい、今更戻るのも何故か気が引ける。ならば仕方ない、と赤葦は諦めてこのまま流れに身を任せる選択をした。
後で木兎さんにあれやこれやと言われそうだな、と後々のことを考えてため息を吐き出したタイミングで、クラスメイトがにこやかに話を振ってくる。

「で、メールを見せた通りなんだけど」
「いや、そのメール見えてなかったけど」
「なに!?」

赤葦の冷やかな言葉に臆することなく、今度はちゃんと見える距離でクラスメイトはスマートフォンを差し出す。絵文字と顔文字がふんだんに使われた文面に慣れていないのか、赤葦の目は滑り内容が全く頭に入ってこない。

「この間話した子がさぁ! 今日こっちに来てくれるんだよ! で、心細いから友達を連れてくるって言うんだ! 赤葦にはその友達と遊んでて欲しいんだ」
「…………」

流れに身を任せたことをここまで後悔することになろうとは思いもよらなかった。いや、ちゃんとそれは明言されていた。現にクラスメイトはちゃんと赤葦を連れ出す際にダブルデートなので≠ニ言っていた。しかし当の赤葦はなにかの方便なのだろう、くらいの認識でしかなかった。もっとほかの理由があるだろう、とさえ思っていた。けれど蓋を開けてみれば、そんなもの方便でも何でもなく、ただただありのままの事実だった。
今からでも遅くはない。体育館に戻るべきだ。引きずられる足を止めようと力を入れたその時だった。

「その子、宮城出身で……えっと、お前がこの間やってたいつもの合同合宿で一緒になった烏野高校? の子らしいぜ」

烏野という聞き慣れた単語に、力を入れた赤葦の足は中途半端に止まり、よろける。それを不審な目で見つめるクラスメイト。

「何やってんの?」
「何でもない」

実際、何でもない訳がなかった。
烏野とはあの烏野のことだろうか。話を詳しく聞きたいけれど、ここで興味を持った素振りを見せてしまえば、きっとこのクラスメイトは調子に乗るに決まっている。根掘り葉掘り聞いてくるかもしれない。それは赤葦的には勘弁願いたいところだった。自分の心の内に秘めているものを出してしまえる程、このクラスメイトとの距離は短くない。
なのでここは無関心を装ってやり過ごすのがベストな選択だ。

「へー」
「なんだよ、もっと興味持てよ!」
「何でもいいけど着替えてきてもいいか?」

赤葦が話題を変えるつもりで口にした言葉も、クラスメイトは「乗り気じゃんか!」なんて言葉で返してくる。乗り気かそうでないかの以前の問題で、この汗臭いシャツをただ単に変えたいだけだった。
それにこれから会うであろう相手――クラスメイトの言葉通りならその子が連れてくる子も恐らく同性の子である可能性が高い――に汗臭いジャージ姿というのが申し訳ないというのもあった。見ず知らずの、それこそ遠い地からわざわざやってきた子に汗臭い服で会うなど普通に考えれば失礼にあたる。仮に相手が運動部所属で汗臭い服にいくらか慣れがあったとしても身だしなみには気を遣うべきだ。
校門で待ち合わせとし、赤葦は一旦部室に戻り手早く着替えを済ませる。今日はもう学校には戻らないだろう、と自分の鞄も忘れずに持って行く。

彼女と同じ高校だけど、きっと縁もゆかりも無い子が来るのだろう。

着替え中、ずっとそんなことが赤葦の頭の中でぐるぐると回っていた。期待してはいけない。烏野だって共学校だ。彼女以外の女の子は沢山いるはずだ。その中の、誰とも知れない二人が来るはずだ。決して彼女が来るわけじゃない。
烏野でたった二人しか知らない異性。二人、といってもきちんとフルネームを知っているのはその内の一人だけ。先月の合同合宿で初めて会い、ついこの間顔を合わせ、少しばかり話しただけの、知り合い程度の関係。決してそこで仲良くなったわけでもないし、ましてや連絡先を知っているわけでもない。
後ろ手で部室のドアを閉め、大きくため息を吐き出す。まだまだ夏真っ盛りと言わんばかりの日差しに若干の眩暈を覚える。
色々考えていても仕方の無いことだ。このままボイコットしてしまいたい衝動を何とか抑え、赤葦はクラスメイトの待つ校門に重たい足取りで向かう。
烏野という単語で一番最初に思い浮かんだ少女、谷地仁花。今日来るはずもないその名前を一度だけ心の中で呼んだ。

「遅いぞ赤葦! 女の子を待たせるなんて失礼だぞ!」

校門に到着するなり大声を張るクラスメイト。その声に足元を見ていた顔を上げて、赤葦は言葉を失う。
視線の先にはクラスメイトと、髪型は違うがおそらく以前写真を見せられたクラスメイトの運命の人=Bそしてその隣に――
「……谷地、さん?」
「えっ!? あ、えっと…………赤葦、さん?」

思わず互いに名前を呼んでしまう。まさかこの場にいるとは思ってもみなかったのだろう。二人して時が止まったかのように呆然と立ち尽くす。そしてそれを面白そうに見るクラスメイト。
あっ、と思った時には時既に遅し。クラスメイトは「何だ、知り合いだったのかよ! じゃあ、あとは任せた!」と言い残し赤葦と仁花の前から姿を消してしまう。
さすがバスケ部と言えばいいのだろうか。俊敏さは目を見張るものがあった。――否、感心している場合ではない。
運命か、はたまた偶然か。遠路はるばるやってきたのはつい先程心に想った谷地仁花その人である。
出会い頭に名前を呼んだはいいものの、その後の言葉が何も出てこない。
けれどそれは仁花の方も同じで、梟谷学園に行くことが決まった時、もしかしたら合宿で世話になった二人の先輩マネージャーに会えるかもしれないと薄い期待を抱いていた。話はできなくとも姿を見れば、少なくとも東京の完全アウェー感からは脱せるだろうと。それがどうしたことか。今、目の前にいるのはあの木兎の相棒とも言うべき赤葦だ。
勢いで名前を呼んでしまったけれど、この先何を言えばいいのか、そもそも私なんかが声をかけ、名前を呼んでいい人ではなかったのではないか、もしかしてどこかでファンの人に見られているのではないか。考えれば考えるほど仁花の表情は怯えの孕んだものになっていく。その変化に赤葦は気付く。気付けば後の行動は早かった。

「谷地さん。ちょっと来て」

今にも土下座し兼ねない勢いの仁花の手を引き、そのまま校門の外まで連れ出す。もしや何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか、と仁花の怯えはマックスに達する。
暫く歩き、ここなら大丈夫だろうとくるりと赤葦が向き直れば、そこにあったのは顔を真っ青にした仁花の表情。
あー……これは。
赤葦が口を開こうとしたまさにその時、仁花の方が先に動く。

「あ、ああああ、あの……!」
「別に怒ってないし、谷地さんに何か悪いことをしようとも思ってないし、連れ出したのはあそこにいると木兎さんたちに見つかりそうだったから」

だからそんなに怯えられてるとこっちが虐めてるみたいで困るからやめて。
そう締めて、赤葦は引いていた手を離す。それがほんの少し名残惜しくもあったが、恋仲でもないのにいつまでも厚かましく触れているわけにもいかない。
仁花はといえば、言いたいことの先を言われ、驚きのあまり閉口する。ここまで自分の考えていることを先んじて言われたのは初めての経験だった。もしかして赤葦さんはエスパーなのだろうか、とさえ思う始末。

「谷地さん」
「ひゃい!?」

もしや考えていることが筒抜けになってしまったのだろうか……。仁花の背筋に冷や汗が流れる。しかし、赤葦の言葉は仁花の思惑とは全く違うものであった。

「……今日は何時の新幹線で帰りますか」

抑揚のない言葉。尋ねられていると気付くのに数秒かかり、言葉の意味を咀嚼し終わったのはそれからまた数秒。
帰りの新幹線……。記憶を遡り、行きがけの会話を思い出す。そう、確か帰りは夜の七時に東京駅で待ち合わせだったはず。そうだ、そのはずだ。思い出した!
「七時に東京駅待ち合わせっす!」

思い出せたことへの高揚感がいつもの口調を呼び起こしてしまう。慌てて仁花は口に手をやるが発した言葉は戻せない。
やってしまった……。烏野であればまだ許容されていたであろうがここはアウェー、東京は梟谷学園だ。馴れ馴れしいにも程があるし、そもそも赤葦とは合宿時に知り合った、付き合いの浅い関係だ。生意気な一年だと体育館裏に呼び出しを受けるレベルの暴挙に等しい。
谷地仁花……ここに死す!
再び顔を青くする仁花とは対照的に、赤葦は目を見開き、そして少しだけ頬が染まった――ように見えた。けれど、それは仁花が瞬きをする間に淡く消えてしまう。

「そっすか。じゃあ後、四時間弱……お友達が戻ってくるまで、俺でよければ谷地さんの時間潰しに付き合いますけど」

その言葉を口にするのに、赤葦がどれほどの勇気を必要としたのかを――恐らく仁花は知る由もないだろう。
時間潰しに、なんて言ってはみたものの、仁花にとって赤葦は決して気の許せる相手ではない。異性で学年も一つ上。それに加えて他校の生徒である。余程交友関係が広い人間か、はたまた人見知りをしない性格でもなければそんな人間との時間潰しを良しとする人間はいないだろう。赤葦自身もそれは重々承知の上だった。それでも――。
それでも合宿中、何度か話したよしみで奇跡でも起こらないだろうか、と。藁にもすがる思いで、そう心のどこかで願っていた。

「……ます」

風にかき消されてしまいそうな、蚊の鳴くような声。
けれど、赤葦にはちゃんとそれは届いていた。
お願いします
仁花にも色々と思うところもあったのだろう。その表情はなんとも言い難いものであった。しかし最終的には、はっきりとした答えが返ってきて、赤葦は胸をなで下ろす。

「どっか行きたいとこありますか?」

極めて普段通りを装って、言葉を投げかけながら案内できそうなところ、時間を潰せそうなところを頭の中でピックアップする。時間も限られていることだし、なるべくなら近場を選択してもらえるとありがたい。が、訊いた手前そこはダメですとも言えない。全ては仁花の返答一つで決まる。
しかし、赤葦の予想に反して仁花が口にした場所はおよそ男女が行く遊べるようなところ≠ナはなかった。

「ス、スポーツ用品店に行きたいです!」
「そんなところでいいんですか?」
「はい!」
「わかりました」

薄く笑って歩き出すと、その後を追って仁花も歩み出す。隣を歩くにはまだまだな浅い関係性。それでもいいかと赤葦は一人笑う。今はこうして、後ろについてきてくれるだけで十分嬉しかった。



(うっかり赤い糸とか信じたくなるくらい、今日の再会は運命的でした)

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