暗闇エンカウント


非常灯しかついていない、月明かりだけが頼りの廊下を赤葦は目的地に向かい歩みを進めている。先ほどまで真っ暗闇な部屋にいたからか、特別不便だと思うことはないけれど、夜の学校という単語を思い浮かべると途端に恐怖感を煽られる。普段はクールだの冷静だの言われている赤葦ではあるが、幼い頃は人並みに暗闇を怖がったし、怪談を聞けばその日の夜は寝られないだなんてことはざらにあった。そんな遠い日の思い出があるからか、未だに暗闇は何か出るのではないかと多少の恐怖心を抱いてしまう。
日中歩く廊下と違って、今歩いている廊下は薄ぼんやりとした月光しか頼れるものがない。あの明るい日の光があるかないかというだけでこんなにも違いが出てくるものだろうか。不安感と少しの恐怖心とで赤葦の足は速度を速める。
ふと視線を上げれば、暗闇にぼうっと浮かぶ人影。思わず声を上げそうになり、寸でのところで抑える。その人影が地に足着く人間だとわかったからだ。数回、相手に気取られないように深呼吸をして、それからそっと声をかける。

「どうかしたの。烏野の……マネさん」

声をかけられた相手――烏野高校バレー部マネージャー、谷地仁花は怯えながら赤葦の姿を見つめ、そして接客業もびっくりの角度で頭を下げる。その勢いに赤葦は驚いて目を見開く。

「ご、ごめんなさい! すいません! 私なんて食べても美味しくないのでどうか食べないでください!」
「いや、食べないけど……」

訳もわからず一方的に謝罪の言葉を受け、赤葦は困惑する以外の手段を持てずにいた。この驚きよう、まさかとは思うが。

「ひいい! で、ではどうしたらいいでしょうか幽霊さん!? 私に差し上げられるものといったら何もないんですが!」
「いや、別に恐喝してるわけじゃないし、そもそも俺、幽霊じゃないよ」

仁花が自分のことを幽霊の類であると勘違いしていると察した赤葦は、なだめながら自らの足を叩く。自分と、おそらく仁花の中にあるであろう“幽霊には足がない”という概念。それを否定する意味を込めての行動だった。それを見て、仁花も漸く目の前にいるのは人間であるという結論に行きつき――そしてまたも土下座でもするのではないかという勢いで頭を下げる。

「す、すみません! ひ、人様を幽霊扱いした挙句、失礼な言動の数々! 何とお詫びしたらいいか!」
「あの、ちょっと、落ち着いてもらえるかな」

仁花のマシンガントークに待ったをかけて、赤葦は落ち着くように促す。チームメイトの木兎とはまた違ったテンション。これ以上そのテンポで話されようものなら、頭が痛くなってしまいそうだった。怒っていないし、逆に驚かせてしまって申し訳ない気持ちだった赤葦の心中はどうにもぐちゃぐちゃにかきまぜられてしまった。
――なんか、読めない人だな。
内心で苦笑して、今度はちゃんと仁花の姿を視界に捉える。
月光に照らされて綺麗に映える色素の薄い髪。赤葦の胸のあたりまでしかない身長。その小さな体のどこにそんな力があるのか、先ほどのマシンガントークも謝罪もとてもパワフルだった。見た目は小柄で可愛らしいのに、つい物事を考えすぎてしまう性格なのだろう。最初聞いたときは驚いたものだけれど、そういう人間なのだと理解してしまえばあの言動も納得できるしそうとわかれば対処もできる。
赤葦の所属する梟谷学園バレー部にはいないタイプの人間。いないからこそ、興味をそそられる。人間観察が趣味、とまでは言わないがこんなにも見ていて面白い人間というのも珍しい。

「えっと、烏野のマネさん。名前訊いてもいい?」
「ひゃい! や、やちゅひとかれしゅ!」
「え? やちゅ?」

勢い余って自分の名前すら噛んでしまい、仁花の顔は一気に染まる。

「や、谷地仁花です……」

一瞬、聞き間違えたかと首を傾げた後に今度はきちんと聞こえたヤチヒトカという名前。綺麗な名前だ、と赤葦は胸に刻み込む。
烏野高校バレー部マネージャー、谷地仁花。観察がいのある面白い女の子。

「谷地さんはどうしてこんなところにいるの?」

一番最初に尋ねたかったことをこのタイミングで漸く尋ねる。出会いがしらにあんなに大騒ぎをされてしまっては無理もないことではあるが……。仁花は少し俯いて、それから蚊の鳴くような声で返す。

「お、御手洗いに行ったら迷子になってしまって……」

そんなことを男相手に正直に言わなくてもよかったのに、なんて音にできない言葉を飲みこむ。元はと言えば赤葦から尋ねたこと。ひとまず「そっか」と短く切って、さらに言葉を続ける。

「じゃあマネさんの部屋まで送るよ」
「い、いえ! そんな滅相もないです! 一人でなんとか帰ります! 大丈夫です!」

常日頃からセッターとして他人の動向や様子を注視しているせいか、赤葦の目には仁花の表情に大丈夫じゃないの七文字が貼りつけられているのがはっきりと見えた。明らかに強がっているのが見え見えな態度。それに加え、先ほどの失態が尾を引いているせいか、仁花のキャパシティーはいっぱいいっぱいだと言わんばかりの様子。

「俺もちょうどそっちの方に用事があるからついで」

ほんの少しの嘘を交えて、赤葦は一歩先を行く。首だけ後ろにやり「置いてくよ」と、とどめの一撃を口にする。灯りなんて殆どあってないような廊下に一人残されるかもしれないという恐怖心が仁花の止めていた歩みを動かす。

「あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして」

抑揚のない、ぶっきらぼうにも聞こえたその言葉が、今の仁花にはとても頼もしく聞こえた。



(暗がりであんまり顔わからなかったし、名前訊くの忘れたから誰だかわからない! どうしよう!)

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