Go to Tokyo


この話の続きのようなそうでないような。





まだ暑さの盛りを過ぎない夏休みは後半戦を迎えていた。風の影響を受けやすい屋内競技は窓を全開にしていてもカーテンを引いて練習しなければならず、熱気がなかなか外に出ていかない体育館は灼熱地獄と化している。屋外に出たほうが風が吹いている分まだマシとさえ言える状態に、仁花は額の汗を拭いながら練習の後片付けをしていた。
いつもなら一日全てを部活に費やすというのに、今日の午後から明日の夕方まで体育館の補修作業が予定されており、体育館を使う部活はすべて午前中で練習を切り上げさせられた。老朽化していたバスケットゴールを取り換える作業と並行して天井部分の補修もやってしまうようで、どんなに作業を急いだとしても、どうしても一日費やしてしまうと告げられたのは昨日の練習後のことだった。
言われて見てみれば、確かにバスケットゴールは塗装が剥げ留めているボルトも若干の錆が窺えた。通常使用する分には問題なさそうに見えるが、何か事故に遭ってからでは遅いというのが校長とほかの教師陣の見解だった。昨今の不祥事やら事件事故のせいで生徒に危険が及びそうな事案は即決即断で解決せよとのお達しが出ているのか――それは仁花たちには窺い知れぬことではあったが――しかしせっかく丸一日練習ができる夏休みに何もやらなくてもと皆が皆思っていたことだろう。夏といえばほとんどの運動部が三年生の引退をかけた試合に臨む大事な時期である。しかしその大事な時期にこそ万が一のことがあってはいけないという武田の必死の説得もあってか、バレー部内では渋々という形ではあるが了承されることとなった。影山や日向からは納得しかねるというような表情が返ってきたがそれも一時的なものに終わった。
ともあれ、急きょできた午後休み。日向と影山の自主練を手伝おうにも肝心の体育館が使えないのでは話にならない。これ以上体育館にいても仕方がない、と大人しく帰ろうかとドアに手をかけたちょうどその時だった。

「仁花! ちょっといい?」

名前を呼ばれて顔を上げれば、そこにはいつも下ろしている黒髪を一つにまとめ上げ、夏らしい私服に身を包んだ友人の姿。帰宅部であったはずの友人が今この場にいる理由がわからなくて、仁花は内心首を傾げる。もしや知らず知らずの内に何か約束をしていたのだろうかと必死に脳内の記憶を辿りながら、外履きへと履き替える。

「どうかしたの?」
「あ、うん……その」

歯切れの悪い言葉に、仁花は目の前の友人がどうにも口にするのが難しい話題を話そうとしていることを察する。
もしかしてバレー部の誰かへの橋渡しとかしてほしいのかな……。いや、でもそんなのうまくできる自信ないしそもそも私なんかがそんな大役を仰せ使えないし、ああでも期待を裏切るわけにもいかないし!
得意のマイナス思考に差し掛かろうかというところで、友人からの言葉で我に帰る。

「仁花って東京に行ったことあるんだよね!?」

予想外の問いかけに、仁花の目は白黒とする。辛うじて聞き取れたのは東京という単語。

「え、あ、うん……。でも行ったことあるって言っても遠征で行っただけだし、しかもマイクロバスで連れて行ってもらったから都心とか全然わからないよ!」
「それでもいいの! むしろその方が好都合っていうか……」
「……? えっと、あの、話がよく見えないんだけど……」

両者とも異様なテンションでの会話に、一回落ち着こうという話になる。
深呼吸を何度か繰り返し、友人はゆっくりと話し始める。とあるSNSで知り合った男が自分と好みの合う人間だったらしく、何度かメッセージのやり取りをする内に親しくなり、実際に会うことになったらしい。しかしその男の住まいは東京。見ず知らずの土地で、SNSで知り合った人間と会うということに不安感を拭いきれなかったが、そこで友人はあることを思い出した。そういえばその男の高校は仁花が以前遠征合宿に行った際に参加していた梟谷学園ではなかったか、と。その男はバスケットボール部所属で同じ体育館競技だ。もしかしたらその男とバレー部員との間に接点があるかもしれないし、そのバレー部員が仁花と接点があるかもしれない。そんなかもしれないばかりの沫すぎる期待。それでも何の希望も期待も持てずにいるよりかはずっといい。そう判断して、友人は仁花に白羽の矢を突き立てたのだ。

「仁花! 一緒に東京……っていうかその梟谷学園に行ってくれない!? 私が全額お金出すから!」
「え、いや、でも……私が行ったのは音駒で梟谷学園は行ったことないんだけど」
「お願い! 仁花しか頼める人がいないの!」
「…………うん、わかった」

普段押しの強くない友人が必死に頼み込んでいるのだ。きっとそこまでしてでも会いたいと思う相手なのだろうということが窺えた。その瞳には恋をしていることがありありとわかる色が映し出されていた。仁花にはまだこの友人のように強く恋い焦がれるような異性に出会うような経験はない。心の隅で羨ましく思いながら、笑みで返す。

「本当!? ありがとう!」
「それでいつ行くの?」
「今日! 今から!」
「今日!? 今から!?」

まさかこの友人にこんなにも行動力があるとは思いもよらなかったのだろう。驚きの発言に、笑みを崩して目を見開く始末。
今日の仁花の予定は午前中を部活に費やし、何事もなければ家に帰るというものだったので、当然部活着と制服しか用意がない。まさか部活着で行くわけにもいかず、そうなると制服しか選択肢がないわけだが、私服の友人の隣を歩く、制服姿の自分というのがなんとも言えず閉口する。
しかし考えてみれば向かう先は東京とはいえ高校だ。ならば制服はこれ以上ないくらい適した服であると言える。
そう考えることによって仁花はなんとも言えない思いを押し込める。
友人に着替えの時間をもらい急いで更衣室に戻り、今までに類を見ないほどの早着替えをこなす。その速さたるや、潔子が唖然として声をかけるのを忘れるほどだった。それでも先輩への敬意を忘れることなく、着替えが終わり更衣室を出るときにはくるりと向き直り「お疲れ様でした!」と満面の笑みで挨拶をする。潔子が返答を終えると、仁花はその笑みを崩すことなく更衣室を後にする。
友人の待つ校門までの道中を走る。走る。走る。全力疾走で走り抜ける。炎天下の中、こんなに走るのは久しぶりだ。きつい日差しに眩暈がしそうになる。それでも友人を待たせているということが仁花の足を止めずに走らせ続けている。
目的地に着くころには仁花の息は上がりに上がり、肩で息をする状態にまでなってしまっていた。これから人に会うというのに汗だく状態になってしまい、内心若干の後悔はあるものの、

「そんなに急いでくれなくても大丈夫だったのに……ありがとう」

友人のはにかんだ笑みで、そんな考えもどこかへ飛んで行ってしまった。同性から見てもこの友人の笑みは天下一品である。それは裏表や何かの考えがあっての顔ではなく、心の底からの笑み。

「ど、どういたしまして?」

声が裏返りながらも仁花も同じく笑みで返し、二人は駅への道を歩き出した。



(いざ行かん! トーキョー!)

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