その笑みをもう一回


「奥田さん」

名前を呼ばれてくるりと振り返る。と、同時にかけていた眼鏡を奪われ、一気にぼやける視界に愛美は思い切り眉間に皺を寄せた。

「えっ、あの……カルマ君?」

直前に聞こえた声と髪の色とで今目の前にいる人物の名を言葉にする。名を呼ばれたカルマは「なに?」とにこやかに返答する。

「どうして眼鏡を取ったんですか?」
「んー? なんとなく?」

ぼやけた視界ではカルマがどんな表情をしているかまではわからない。が、きっと笑みを浮かべていることだろうことは容易に想像できた。いつも愛美が思いつかないようなことを、考えつかないようなことをやってのけるカルマだ。
いい加減この不便ならない視界をどうにかしたくて愛美は恐る恐る手を伸ばす。

「カルマ君、眼鏡を返してください」
「その状態で写メ撮ってからね」
「意味がよくわからないんですが」
「意味なんてないよ。俺がただ奥田さんの眼鏡がない状態を見たいだけ」

いいでしょ? と笑う顔さえ今の愛美にはわからない。

「はい、じゃー笑って」
「えっ!? あの、ちょっと待ってください」
「やだ」

抵抗もむなしく、連続でシャッターを切られる音が愛美の耳に届けられる。そんなに連続して撮らなくても、なんて言う間もなくあっという間にプチ撮影会は終了する。瞬きする間にどんどん状況が変わっていく。それについていけずに愛美は目をぱちくりとするだけだ。

「はい、終わりー」

その言葉に安堵のため息をこぼす。ぼやけた視界と慣れない写真撮影に一気に疲労がのしかかるようだ。愛美のそんな様子を見たからか、カルマの方から小さな笑い声が聞こえる。何がおかしいのかわからない愛美は首を傾げる。

「なんですか?」
「奥田さん写真撮られるの慣れてないんだね。笑顔がぎこちなかったよ」
「それはそうですよ! それに眼鏡なくて視界がぼやけてますし」
「そりゃそっかー」

ケラケラと笑うカルマに愛美はいい加減眼鏡を返すよう要求する。だけどそれも難なくかわされ、続けてシャッターを切られる。先ほど撮影会は終了したのではないかと異議を申し立ててみるも、それすら流されてしまう。

「奥田さんがちゃんと笑ってくれたら返してあげる」
「む、無理です!」
「なんで?」
「笑ってなんて言われても急には笑えないですよ」
「ふーん」

そういうもんなのかねーなんて呑気なことを言って、これ以上はどう頑張ってもなんともならないと思ったのか、カルマは手にしていた眼鏡を愛美にかけ直す。愛美が予告もなく戻った視界に驚いているうちに、カルマは席を立ち窓際へと歩みを向ける。いつの間にか日も暮れてきて赤い光がやけに眩しい。そろそろ帰り支度を始めないと山を下る頃には真っ暗になるかなぁ、なんてことをぼんやりと考える。窓際に立つその姿を追って愛美も席を立ち隣に並ぶ。自分と頭一つ違うカルマを見上げて、それからその視線の先を同じく見つめる。だけどそこには何もなくて愛美は首を傾げる。

「帰ろうか」
「そうですね」
「……あ」

気付けばすぐに行動していた。
カルマは愛美の耳元に手をやって、そこについていた枯葉を取って捨てる。おそらく朝一の体育の授業で森を走り回った時に引っかかってしまったものだろう。突然やってきたくすぐったさに愛美は肩を竦めて小さな笑い声を漏らす。その表情はつい先ほどまでカルマが求めていた自然な笑みそのもので、ああそれを欲しかったんだけどなぁ、と心の内で呟くだけに留めた。



(惜しかったなぁ)

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