夕闇マッチ


長机を挟んで向かい合う。じっと奥田さんを見据えれば向こうからも真っ直ぐな視線が返ってくる。意識してそうしているのかそれともしていないのかそれはわからないけれど、なんとなくその視線をほかの男に向けてほしくないと思うのは俺の勝手な想いだ。
「で、いったい何で勝敗を決めるわけ?」
「これです」
そう言って長机の上に広げられた方眼模造紙。そこには元素の周期表が書かれていて、どうやら奥田さんのお手製らしいことが窺えた。紙面には元素記号しか書かれておらず、それが何を示すのかという部分が抜けていた。ああ、そういうこと。
「先攻後攻を決めてこの周期表を埋めていきます。パスは三回までです」
分かりやすいルールに、ふむと頷いてからじゃんけんで先攻後攻を決める。大層自信があり気な顔だけど――っていうか思いきり奥田さんの専門領域だからそれはそうなんだけど――俺だって負ける気はしないし負けられない。もしここで負けようものなら恐怖のお手製ドリンク剤を飲まなければならなくなるわけで、まぁそれは本ト勘弁したいところなんだよね。
「じゃ、先攻の奥田さんどーぞ」
「はい」
短い返事の後、奥田さんのペンがすらすらと元素名を書いていく。とりあえず簡単なところから始めていこうという考えなのか一番左端に書かれたHの下に“水素”という小さな文字列が書きあげられる。
「カルマ君どうぞ」
彼女の考えに倣うわけじゃないけど続く俺のターンはその隣に“ヘリウム”と書いて向こうのターン。
“リチウム”“ベリリウム”“ホウ素”“炭素”……。一通り授業で習った範囲を書き終えると、とうとう授業で習っていない範囲に到達する。ここから先は自分の記憶力との勝負となる。とりあえず無表情を装って記憶の端から端まで引き出しをひっくり返して知っている元素名を探し出す。原子番号80番Hgの下に“水銀”と書き込んで彼女に順番を譲る。と同時に彼女のペンはすらすらと“ヒ素”と書き込んで顔を上げればにこりと笑みが浮かぶ。若干冷や汗を掻きながら続けて“鉛”と書けば間髪入れずにまたも彼女のペンが走る。書くことに時間制限があるわけじゃないのに一人でスピード勝負をしてるんじゃないかというくらい彼女の回答スピードは早い。俺を焦らせるのが狙いなのか、それとも別の狙いがあるのか。まぁ、俺は俺のペースでやらせてもらうけど。ゆっくりと確実に文字を書き連ねていく。
何度目かの順番の後、一つ呼吸を挟んでペンではなく口を動かす。
「パス」
「えっ!?」
まさかここで俺がパスするとは思っていなかったのか、奥田さんの目が大きく見開いた。そんな面白いくらいリアクションしてくれなくてもいいのに。見てて飽きないのはいいけど。まぁ、見事に動揺させることはできたから作戦成功だ。こういう心理戦――と言ってもいいのかどうかは甚だ疑問が残るところだけど――も交えていかないと面白くないしね。
「カルマ君の番ですよ」
「パス」
「またですか?」
「そう、また」
薄く笑って答えた。
奥田さんが右へ左へ視線をやって、先ほどよりも長く迷った挙句“ウラン”と書いて俺へ順番が回ってくる。
「はい」
回ってくるや否や速攻だ。“ラドン”と書いて順番を譲る。
「…………」
「パスする?」
にこりと笑みを作れば、奥田さんの方からは引き結ばれた口で返される。暫く沈黙が続いて漸く小さな声が届けられる。
「パスはしません」
そう言って彼女の手がゆっくりと動き、文字を書き連ねていく。
「ねぇ、奥田さん。俺あと十個くらいなら答えられるよ」
こんなことを言ったのはそろそろ窓から差し込む光がなくなり始めていたからだ。言外にそろそろ終わりにしない? という思いを込めてみたものの、果たして彼女からは「すごいですねカルマ君! 私も負けません!」なんて言葉が返ってくる。鼓舞したかったわけじゃないんだけどなぁ。まぁ、読み取ってはくれないだろうなとは思ってたからもう最後まで付き合うしかないか。さっさと書いて順番を回せば難しい顔で奥田さんは方眼模造紙と向き合う。そんな顔するくらいならパスしちゃえばいいのに。
窓の外に視線をやって日没が近いことを感じながらスマートフォンで時刻確認をする。17時か……。始めてからもう一時間も経っていたことに少しだけ驚いた。楽しい時間はなんとやらってやつなのかなぁ。
「カルマ君の番ですよ」
何時の間にやら奥田さんは自分の番を終えたらしく、“白金”と小さな字が書き足されていた。“白金”か……。
「そういえば白金ってプラチナとも呼ぶんだよね」
「そうですね」
「プラチナって結婚指輪とかに使われてるよね」
色のない返事をされたからあんまり興味はないみたいだ。まぁ、こっちも雑学みたいなつもりで言ったから別にいいんだけど。
「奥田さんの番だよ」
「あ、はい……えっと。うーん」
唸りながら目を細める様子を見て、先ほどからの難しい顔の正体に気付く。そっか、暗くてよく見えないんだ……。一応この教室にも電気はきてるけどそれもまぁE組らしく心許ない明るさでしかない。たぶん電球を取りかえればそれなりの明るさになるんだろうけど、それも到底見込めない。ただでさえ目の悪い奥田さんはこの薄暗い状況ではいつも以上に見えていないのだろう。
「奥田さん、見えてないんでしょ?」
俺の声になんでわかるんだという顔で返される。そんなの誰だってわかるよ、とは口にしないで窓の外を指差す。それにつられて彼女の顔も指の先へ向く。
「もう日も暮れてるし続きは今度にしよ」
「でも……」
食い下がる奥田さんにとどめの一言。
「俺が圧勝しちゃってもいいなら別にこのまま続けてもいいけど? 奥田さん暗くて紙面が見えてないみたいだし」
にやりと笑みを作れば、むこうからは納得はしてないけど渋々了承という表情が返ってくる。よし、とりあえず今日はこれで難を逃れそうだ。心の内で安堵のため息を漏らす。
「じゃ、片づけて帰ろっか」
「わかりました」
広げていた方眼模造紙を丸めて教室の隅に置く。手早くペンを筆箱にしまってそれも乱雑に鞄に押し込む。視線を上げればちょうど奥田さんも帰る準備ができたようで、鞄を手にしていた。
「カルマ君、今日はどうもありがとうございました」
「なにが?」
後ろ手でドアを閉めて首を傾げる。そんな感謝されるようなことしたっけ?
「ゲームに付き合ってくれてです。ああいうゲームに付き合ってくれるのってカルマ君か殺せんせーしかいないので嬉しかったです」
やんわりと奥田さんが微笑む。それだけでも今日の放課後を費やした甲斐はあったと思う。特製ドリンク剤は肝を冷やしたけど。ってあれ……?
「そういえばなんで奥田さん自分で飲まなかったの?」
今更ながらの疑問を呈すれば、彼女の方から至極全うな答えが返ってくる。
「自分で飲んでもいいんですけど、そしたら客観的なデータは取れないじゃないですか」
「ふーん。じゃあ俺がデータ取ってあげよっか?」
冗談のつもりだったのに奥田さんの目はとても輝いていて、その真っ直ぐ純粋な視線を受けきれなくて咄嗟に顔を背けた。自分からふっかけといてこれはないだろとは思ったけど、仕方ない。仕方なかった。昇降口を抜けて山道に繋がる下り坂へ向かう。
「カルマ君、明日時間ありますか?」
「あるけど」
「じゃあデータを取るのお願いしてもいいですか?」
できるならその話題はもうさっきで終いにしたかったんだけどなぁ。奥田さんにわからないようにため息を吐きだして承諾する。これが普通のドリンク剤ならまだよかったのに、岡島が依頼したという前情報があるばっかりに色んな意味で危険度が高い。明日の俺の忍耐力に懸けるしかない。
「ありがとうございます」
「奥田さん」
「なんですか?」
「やっぱいい。なんでもない」
煮え切らない態度に奥田さんは首を傾げる。岡島に頼まれたものを素直に作っちゃうとことか俺の態度に気付かないとことか言いたいことは山ほどあるけどもういいや。そういうところも全部含めて奥田さんなんだもんなぁ。
「ほら奥田さん、さっさと歩かないと夜の山道は危ないよ」
「待ってください!」
明日待ち受ける――おそらく拷問にも近しい――実験データ取りに今からげんなりしながら二人仲良く帰路に着いた。



(明日楽しみです!)
(俺は明日学校行きたくない)

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