十年宣言


悪戯用に奥田さんにあれこれ作ってもらおうと、リストアップした紙を持って俺の足は実験室へ向かっていた。放課後は新しい劇物の作成をすると言っていたのを聞いていたし、途中寄り道をしたとしても、もうこの時間ならきっと彼女はあそこにいるはずだ。
実験室の後ろドアから後姿を見とめて、音を立てずに中に入る。
何かを見ているのか、彼女の頭は垂れていて俺が入ってきたことにも気付かないようだった。このまま後ろから驚かせてやろうかと声をかけようとしたその時だった。
「結婚かあ……」
驚かせようと思っていたのに、俺の方が驚かされてしまった。
結婚……? まさか彼女からそんな単語を聞く日がこようとは。
なるべく平静を装って声をかける。その際動揺を悟られないようにいつもの笑顔を忘れずに。
「なに、奥田さん。結婚したいの?」
「か、カルマ君!?」
目を見開いて振り返る彼女の顔は本当に驚きに満ちていて、見ていて面白いものがあるけれど、それよりも俺の興味は先ほどの単語に傾いていた。
「ちょっと奥田さんに作ってもらいたい物があったんだけど、まぁそれは後でいいや。なに、奥田さん。結婚したいの?」
言いながら、ゆっくり話を聞くために彼女の向かいに腰かける。よっぽど俺がこの話題に食いついたのが珍しいのか、それとも単に話しにくいのか、たっぷり時間を置いてからゆっくりと彼女は言葉を紡ぐ。
「特に結婚したいわけではなくて、その……親戚の人の結婚式に呼ばれて、その人がとても綺麗で幸せそうだったので少しだけいいなって思ったんです」
「そっか」
尻すぼみなそれを聞いてどこか安心した。よかった、誰か特定の相手がいるわけではなさそうだ。その想いが顔に出ていたのか、俺の言葉は自分でも分かるほど優しかった。
「殺せんせーを殺さなくちゃそういう幸せも経験できないから本トハードル高いよねぇ」
「そうですね。……でも私、もし殺せんせーを殺せてこの先の人生が続いたとしても結婚とかはしないんじゃないかと思います」
冗談交じりに言ったそれに、彼女は予想外の返答をしてきた。だからだろうか。俺の追及も間の抜けたものになってしまう。
「なんで?」
「結婚って両者の好意があってこそ成り立つもので、私だけの一方的な気持ちでできるものじゃないじゃないですか。たぶん、私のことを好きになってくれる人なんていないと思うから。それにほら、今は殺せんせーをどうにかしないといけないですし!」
言いながら彼女の頭が下がっていく。
自分で言って自分で傷ついてどうすんのさ。
ていうか、俺へのダメージも相当なんだけど。どうしてそんなこと言いきっちゃうんだか。自分のことを好きになる奴なんていない? ここにいるっての。ほかの誰でもない、奥田愛美を好きな男が今目の前にいるっての。あー、なんだか無性に腹が立ってきた。
気配を察してか――本当こういう気配を察するのはなんで早いの――奥田さんが顔を上げる。その目は怯えの色を孕んでいた。
「奥田さんさぁ」
「はい」
しゅんとした声に強制的に怒りを沈下させられる。
そんな顔でそんな声を出したら俺がいじめてるみたいじゃん。
いや、確かに不機嫌な気配を出したのは俺だけど、それは彼女にも原因の一端はあるわけで。でもここで抑えなければ何もかも吐き出してしまいそうだった。
俺は君が好きだよ。
まだ十四だけど、君から結婚っていう単語を聞いたときに本気で焦ったんだから。俺以外の誰かのものになってしまうんじゃないかって。
自分のことを好きになる男なんていない? 馬鹿言うな。俺がどれだけ君のことを好きか言ってあげようか?
渦巻く心中をなんとか押し殺して、漸くの思いで言葉を繋げる。
「…………まぁ、いいや。今言ってもどうせ色んな意味でだめだろうし」
「そうですか」
なんでそんな淡泊な返事しちゃうの。
ああ、もう。
眉間に皺が刻まれるのが自分でもわかった。ということは彼女の方もそれは理解しているということで気まずい空気が流れる。落ち着け、落ち着け俺。彼女を怖がらせてどうするんだよ。
暫く目を瞑って考える。
どうして彼女はここまで鈍いんだか。俺も言葉や態度に出してはいないけれど――いや、さっき思いきり態度に出したけど――少しくらい人の気持ちにもアンテナを張ってくれないものだろうか。
毎日毎日斜め後ろの席から君の頑張りを見てるのに。密かに応援してるのに。英語の時間、あのビッチにキスされているのを俺がどんな想いで見てると思ってんの。理科の時間は本当に楽しそうだよね。
大きく息を吸い込んで吐き出す。
仕方がないか。そういう鈍いところも全部含めて好きなんだから。
でもこのまま俺のことを――君のことを好きな人間がいるということを――意識してくれないままというのは正直言うと辛い。だから、悪いけど楔を打たせてもらうね。
「奥田さん。予言してあげる」
「予言、ですか?」
「そう、予言。奥田さんはきっと十年後に結婚すると思うよ」
振り絞った言葉に彼女の顔が呆ける。すかさず「なんて顔してんの」と言ったはいいものの、確かにいきなりこんなことを言われては呆けもするだろう。俺だって言われた側ならきっとそんな顔をするだろうし。
「さっきも言いましたけど」
言うと思った。だからごめんね、その先は言わせないよ。
「奥田さんを好きになる奴は絶対いるよ。俺が保証する」
「で、でも……私がその人を好きになるかどうかなんて」
それでも食い下がる彼女の顔には困惑の色が窺えた。本気でそんなこと思ってるんだろうなぁ。
「そいつ、奥田さんに好きになってもらえるように一生懸命努力すると思うよ」
俺は君に振り向いてもらえるためなら努力は惜しまないよ。高校に行って、大学に行って、職に就いて、俺は君を隣に迎えるから。
自分のことだと言いたいけれど、ここでは色恋を意識させるだけでとどめておこう。だけど一つだけ俺の言葉で、俺の想いで言わせて。これが、今と未来の君への俺からの宣言。
「好きだって絶対言わせてみせる」
真っ直ぐ彼女の瞳を見つめる。
届くかどうかはわからないけれど、これが俺の気持ちだから。
その視線に耐え切れなかったのか、彼女の方から視線を切られてしまう。今はこんなもんだよね。
「まぁ、でもまずは殺せんせーをどうにかしないとね」
〆の言葉と先ほど書いたメモ紙を机の上に置く。奥田さん、未だに俯いてるし、もしかして言わないとメモの存在に気が付かないかな……?
「あ、そうだ! 奥田さんに作ってほしい物そこにメモ書きしといたからよろしくね」
言いながらドアを引いて、足早に退散する。その直後に殺せんせーとすれ違って妙に楽しそうな、もっと言うなら殺したくなるくらいにんまりとした笑顔で俺を見ていた気がしたけれど、きっと気のせいだ。
赤みを帯びた頬を隠すように俯いて、俺の足はいつもの倍近い早さで帰路に着いた。



(十年かけて君を振り向かせてみせるよ)

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