たった一言が言いたくて
眠気を誘う午後の日差しがこれでもかと大きな窓から入ってくる。
今日も今日とて大道具作成の手伝いをしようと、部室の壁にもたれ掛って誓太を待っていた時だった。
大きな欠伸をしたと同時に開くドアに反射的に欠伸を途中でとめてしまう。地味に辛い。
「徹! ちょっと読み合わせ付き合ってよ」
開口一番なんなんだと思うけれど、そんな俺の思いとは裏腹に雪葉は満面の笑みで台本を差し出してくる。
なんで俺なんだよ。他の奴らに頼めばいいだろうに、わざわざ俺を指名する意図がわからない。そもそも今日の役者組の練習はヒロイン不在で成り立つのか? 絶対現場の方は慌ただしくなってると思うんだが……。
口に出さずともそれは伝わったようで、雪葉は「いいから」と腹に台本を押し付けてくる。これ以上言っても聞かないだろうし仕方ないか。まあ、誓太が来るまでの時間つぶしと思って付き合うか。
渋々台本を受け取って視線を上げる。
「ちなみに今日の練習は私のシーンじゃないから大丈夫だよ」
心を見透かしたようなことを言うな。エスパーかと思うだろ……。
ふせんが貼りつけてあるページを開いてざっと流し見。見たところ姫と庶民の恋物語みたいな内容だけど、おいおいまさかこれを俺にやれってか……。
「じゃあいい? 始めるよ」
そう言って、雪葉は大きく息を吸い込んで吐き出すと表情が一変した。いつも見る優しい顔ではない。役者の顔だ。
「どうして、貴方はそうやっていつも私の思いを受け取ってくださらないの!」
勢いに負けそうになるのを踏ん張って台本を確認する。ええと、次のセリフは……。
「姫さま、何度も申し上げておりますが私は庶民の出。貴女さまと結ばれる身分ではございません」
「身分など……! ならば私が家を出ればいいだけの話です! 貴方と共に歩めるのなら私は地位も名誉も家柄もいりません……どうしてわかってくださらないのですか」
「…………」
真剣な眼差し。本当、役に入り込むと雪葉は怖いくらい真っ直ぐな視線を向けてくる。登場人物になりきるのではなく、登場人物そのものになるという表現が正しいのだろうか。
「徹?」
俺が口を閉ざしたままなのを不思議に思ったのか、雪葉が名前を呼ぶ。その声は普段のものであったけれど、どこか厳しさが混じっているような気がした。
一言詫びを入れてから台本に目を落とす。
「貴女は地位も名誉も家柄もいらないと仰いますが、それは決して口にしてはいけない言葉です。貴女はこの国の姫なのです。未来を担う立場なのです。現国王の唯一の跡取りである貴女が国民を見捨て私欲に溺れていいはずがありません。……それに」
ここで一つ深呼吸をする。
この後のセリフを言うのに少しばかり気が重くなる。いくら役になりきるとはいえ、 演劇のいちセリフとはいえ、こんなことを言わなくてはならないのか……。読み合わせなのに心が痛んで仕方がない。続きを待つ雪葉の目は真っ直ぐ俺に向けられていた。瞳を閉じて、ゆっくりと開ける。覚悟を決めるか。大きく息を吸い込んで、言葉を紡ぐ。
「それに、私は貴女のことをもう、愛してはいないのです」
これは演劇だ。ただのセリフだ。俺の本心ではない。そう自分に言い聞かせていないと今にも泣きそうだった。
「そんな、嘘だと言ってください……。嘘だと、言って……」
「……嘘ではありません。元々私と貴女とではつりあわなかったのです。身分も生活習慣も全く違う私たちが合うわけがなかったのです。貴女を傷つけたくなくて、ずっと言い出せずにいました」
台本を握る手に力がこもる。ぐしゃりと悲鳴を上げながらその形を変える。
「私はこれより兵役につくことになりました。貴女とも二度とお会いすることもなく、お別れになります。私のことなど忘れて、どうぞ幸せになってください。今までとても楽しかったです。さようなら、姫さま」
きっとこの青年も本心を隠して、姫にこれ以上心配をかけまいと必死に嘘をついているのだろう。大好きで、ずっと側にいたくて、でも身分の差という致命的かつ大きな障害があり、頑張って乗り越えようとしたところで兵役につかなければならなくなってしまったのだろう。その想いを姫は知っているから……。
「待っています……! 私、貴方が帰ってくるのをずっと待っています!」
全てを知って、受け止めて、受け入れてこのセリフを紡ぐのだろう。
一呼吸置いて、雪葉が締めのセリフを口にする。
「だから、生きて帰ってきたならばまた私の想いを受け取ってください。……愛しています、ロビン」
パタンと台本が閉ざされたのと同時に誓太が部室のドアを開けて入ってくる。
それが終了の合図とばかりに雪葉はありがとうと言って入れ違いに廊下へ出て行く。
「あれ? 雪葉と台本の読み合わせしてたの?」
「ああ」
「ふーん」
誓太は意味深な笑みを浮かべて、俺と俺が握りしめている台本とを交互に見る。それがなんとも居心地が悪い。
「なんだよ」
「いや? 妙に顔が赤いのはそういうことかって思ってさ。その題目さ、まだやる予定のないやつらしいんだよ」
「はあ?」
誓太の思いがけないセリフに変な声が出てしまった。
「だってそれ、昨日第一稿が出来たばかりの台本だよ。まだシナリオ係が手直しが必要だーって言ってたの聞いたし」
でも、その台本に描かれている物語すごく素敵だよね。まるで誰かさんと誰かさんみたい。
そう言って、誓太は道具箱からトンカチを取り出す。いまいち言葉の意味がわからなくて首を傾げるけれど、まあいいか。俺も作業を手伝うべく、トンカチと釘を取り出した。
(シナリオ係はいい仕事するなあ)